陽菜乃さんは霊が視えない! ~episode 2~

釜瑪秋摩

赤いリボンの少女

 午後四時半。大学の食堂は昼の喧騒を忘れたように静かだった。


「でさ『赤いリボンの少女』って知ってる?」


 宇田川晴音うだがわはるねがスマホを差し出しながら言った。画面には、どこかのトンネルで撮られた心霊写真らしきものが表示されている。


「赤い……リボンの少女?」


「ほら、これ。最近、うちの大学の近くのトンネルで出るって噂なんだよ。深夜に通ると、リボンをつけた女が、こっちを見てるんだって」


 岸本泰河きしもとたいがは眉をひそめて画面を覗き込み、その写真の隅に写った人影にビクリと肩を震わせた。かすかに女のような輪郭。その首元には、不自然なまでに真っ赤なリボンが……。


「うぅ……また怖いやつか……」


 泰河は即座に顔をそらし、頼んだばかりのカレーにスプーンを突き刺す。


「例によって、調査しに行くわけ?」


 そう口を開いたのは宮野陽菜乃みやのひなのだった。陽菜乃は泰河の斜め向かいに座り、落ち着いた表情で紅茶をすすっている。


「もちろん。で、お願いなんだけど……陽菜乃、行ってくれない?」


 晴音は両手を合わせて拝むようなポーズで頼み込む。


「どうせあたしは、なーんにも視えないし、気にせず突っ込めるって?」


「うん。あと、陽菜乃って、除霊もできるじゃない?」


 陽菜乃はため息をついた。


「もうさ、うちのサークル、霊感あって視える人が怖がって、霊感あるけど視えない人が突撃するって、おかしくない?」


「いや! 視えるんだから、怖がって当たり前じゃね!? だのに先輩ら、俺が怖がるってわかってて突撃させるのもおかしくね!?」


「泰河は、それでいいんだよ」


「なんで俺だといいんだよ!!! アカンでしょ? 絶対に!!!」


「うるさいなぁ。それより先輩たちには困るよね」


「ほんとそれ……頼むから先輩たちにも行ってきて欲しい……」


 泰河はうなだれる。

 先輩たちも霊感のあるタイプとないタイプに分かれるけれど、あるタイプは怖がって行こうとしないし、ないタイプは面倒臭がって行こうとしない。

 なんのための都市伝説研究サークルなんだか。



 *****



 ――夜。

 陽菜乃と泰河は例のトンネル……正式名称『白霧隧道しらぎりずいどう』までやってきた。


「うわ……想像以上に不気味だな、ここ……」


 泰河が懐中電灯を手に、陽菜乃の背後にぴったりくっついて歩いている。泰河の手は微かに震えていて、歩くたびに懐中電灯の光がぐらぐら揺れる。

 トンネルは車一台が通れる程度の幅しかなく、天井には無数の水滴が滴っていた。両側には苔のついた古い壁。歩くたびに靴音がピチャピチャと不自然に響く。


「……ねえ泰河。リボンの少女って、なにがヤバいの?」


「えっと……あれは確か……『リボンを結んであげる』って言いながら、首を――」


「ちょ、ストップ! そこから先は聞かない。想像力が暴走する」


「えっ……そんなんで、よく除霊できるなぁ……」


「まっ、いつも除霊ってより、浄霊のほうが多いけどね」


 そんなやりとりをしていると、トンネルの奥から風が吹いた。深夜のはずなのに、確かに冷たい空気が動いた。


 ピチャ、ピチャ、ピチャ――


 水音にまじって、別の足音が加わる。


「ちょ、ちょっと……陽菜乃……いま、足音が!!!」


「うん、聞こえる。でもね、視えない」


 陽菜乃はあくまで冷静だった。陽菜乃の目には、なにも映っていない。

 後ろを歩いていた泰河は、不意に立ち止まった。


「なに? なにか視えたの?」


 泰河は震える指でトンネルの中央を指さした。控えめに声のトーンを落としているけれど、凄まじい勢いで泰河は陽菜乃に訴えた。


「――いた! ホントにいたってばよ!!! 陽菜乃、どうする!? にげ……逃げる? 逃げよう! 今すぐ!!!」


「泰河、うるさい。落ち着きなさいよ」


 そこには、白いワンピースを着た少女が立っていた。髪は長く、顔は見えない。しかし、首元には真っ赤なリボンが……その結び目の下に、なにかの痕のような赤い色が見えた。現れた場所から少しずつ、二人に近づいてくる。


『リボン……って……る』


「きっ、きっ、キターーーッ!!! 陽菜乃! もうダメだああああぁっ!!!」


 泰河が容赦なく陽菜乃の服を引っ張り、体をガクガクと揺らしてくる。

 少女がゆっくりと手を伸ばしてきた瞬間、陽菜乃がポケットから取り出した塩の袋を一閃させた。


 シュッ――!


 白い粒子が霧のように飛び散り、少女の姿はかすかに揺らいだ。


「消えないッ! 陽菜乃、消えてないってばよ!!!」


「ウソ……? 消えてない?」


 少女は泰河を見つめ、もう一歩、近づいてくる。そしてなにかを訴えるように赤いリボンに手をかけた。

 そのときだった。泰河が触れている陽菜乃の肩から、少女が訴えかけてくる映像が流れてきた。


「――そのリボン、あなたの意思じゃないんだね?」


 陽菜乃は真っ直ぐ彼女を見て言った。


「無理に結ばされて、誰かに苦しめられてるだけなんじゃないの?」


「え……? なに? なんなんだよ? どういうこと……!?」


「いいから、泰河はちょっと黙ってて!」


 その言葉に、少女の体がびくりと震えた。

 陽菜乃は懐から小さな銀の鈴がついたお守り袋を取り出した。


 ――もう大丈夫だから。リボン……ひどい目にあっちゃったね。結び目はすぐにほどけるよ。だから、安心して。あたしがちゃんと、上げてあげるからね――


 微かに音を響かせる鈴の音とともに、陽菜乃はお守りを正面に向けて掲げた。

 少女の足元に、なにかが落ちる。

 スルリとほどけて落ちたのは、古びた赤いリボンだった。


『……ありがとう』


 かすかな声と共に、少女の姿はふっと風に溶けるように消えていった。


 のちに調べてわかったのは、もう何十年も前に、この近くで少女が首を絞められ、殺害された事件があったこと。少女は首に大きなリボンを巻かれて締めた痕を隠されていたという。



 *****



 帰り道、泰河はすっかり青ざめた顔でコンビニのホットドリンクを握りしめていた。


「お、俺……もう調査とか……絶対に行かんぞ!」


「今さら、なに言ってんの」


 陽菜乃は苦笑しながら、缶コーヒーを一口。


「あの子……『リボンを結んであげる』じゃなくて『リボンを解いてくれる?』って言ってたの」


「え……? 聞いてた話と逆じゃね?」


「うん。話しが伝わるうちに、どこかで変わっちゃったんだろうね」


「だとしても、あんなん近づいて来たら、怖いことに変わりはないからな!」


 泰河は鼻をすすり、残ったコーヒーを一気に飲み干している。


「でもまあ、視えるのって便利だと思うよ。相手のことが良くわかるんだし」


「いや、視えてたら怖いんだってばよ! 今回だって……うわああ、もうダメだ……夢に出る……なんか首のうしろから寒気も感じるんだけど!」


「じゃ、リボン巻いて寝なよ」


「やめろおおおお!」


 そんな調子で、二人はいつものように騒がしく、そして静かな夜のキャンパスへと帰っていった。




-完-

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陽菜乃さんは霊が視えない! ~episode 2~ 釜瑪秋摩 @flyingaway24

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