寝台出雲狂騒曲

女郎花

第1話

「寝台出雲引退狂騒曲」の思い出  


地球がコロナウイルスに侵略された令和年間の、人類の悲喜苦を、昭和平成時代の駘蕩とした風と比べるのは辛すぎますが、令和が特殊すぎるのでしょうね。

思い返しても心が豊かだった寝台出雲狂騒曲。

振り返って一部始終を物語ろうか。


例によって、どうにも止まらないお馬鹿なわたくしが、二千六年年三月十八日の東京着で時刻表から消える、「寝台特急出雲」の追っかけをしちゃいました。


十七日十八日のきちがいじみたフイーバーを避けようと、一週間前の十日十一日を狙いました。あーあそれなのに、考えることはみんな同じなのですね?


これって、「下手の考え休むに似たり」のようなものかなあ?


十日金曜日夜の東京駅十番線ホームは、カメラを構えた人々と、今夜の異床同夢(造語どす)らしき人々でごった返しをしていました。


六号車十六番下段に荷物を置いて、携帯カメラでパチパチしましたとも。ホームでは、記念グッズのプレート類を駅員さん達が叩き売りをしていました。お安くない値段ですが、一万円札が行き交っていましたよ~。買い漁っているのはもはら、男性です。


夜の九時十分発車ですので、早々とベットをしつらえチーズとワンカップをちびちびと舐めながら・・遠ざかる遠ざかる・・街の灯を胸きゅんで見詰めていました。


スパツツにTシャツを着て、備え付けの浴衣を纏った姿は、許してもトイレまでです。そんなあんなで、機関車連結作業の見学なんぞパスをして、つつーつつーと引き込まれる睡魔に全身を預けていました。


香住を過ぎる頃が午前七時ごろなので、香住の先の餘部鉄橋を目に焼き付けるぞと旅の目的に勇んでいたのです。トンネルを幾つか抜けて、黒瓦の集落が眼下に見えてきました。海岸線もあるし、これが餘部だよね?とおたおたしている間に通り過ぎてしまいました。


だって~鉄橋の特徴である赤い鉄骨の梁が、窓にかんかんかんかんと、影差さないのだもの。これが鉄橋?とは解らないですよ。確かに集落は高そうには見えない眼下に現れましたけど・・。

鉄橋って、川に架かるのじゃないの?あれ?


要するに餘部鉄橋は、下から見上げてこそ、橋を形成している鉄骨の枠組みが美しく眺められるのですね?


なんだか気落ちしていると、浜坂近くなって蟹寿司の販売が始まるぞ~。今はサロンになっている食堂車に行きましたよ。なんだなんだこの行列は~。


そこには、ほとんど満員なんだもの。前後車両から押しかけるの図が展開されていました

。かくして蟹寿司をゲットしたのは並んでから三十分か四十分は過ぎていましたなあ。


大山の停車時間が長い間を利用して、弁当を買わずに我慢をしていた人々が、ホームの立ち食い蕎麦に行列をして、あふうあふうと食べているのを見ながら、しもうたと臍を咬んだものです。何故なら、帰りの大山はもう立ち食い蕎麦も閉店の時間でしたが駅弁はホームで待っていました。帰りに蟹寿司を買い、行きは大山出雲蕎麦にすればよかったなあ。


駅のホームで食べる立ち喰い蕎麦の味は、お店で食べるのとは微妙に違うのです。あーあ!ぬかつたわい!


十一時前に出雲に到着。夕方またこの出雲に乗るのです。暫しの別れじゃ。


一畑電鉄で出雲に向かいました。全国的にポカポカ陽気とかで、オーバーでは暑かったなあ。出雲大社に至る参道に並ぶ家並みは、なんだか森閑とした雰囲気なんですね?なんだろう?


譬えて言えば、シヤツターの下りた駅前商店街の雰囲気です。出雲蕎麦のお店に入ったが、主人夫婦が新聞を読んでいましたもの。土曜日ですよ~?どうしたのかな?


伊勢神宮の参道の賑わいとは大違いでした。伊勢は赤福が露台に山積みされて呼びかけの声も威勢よく、伊勢うどんの店が並び、伊勢神宮本体は厳かにして鎮まっていましたもの。


出雲大社も同じように静やかに迎え入れてくれましたよ。それなのに参道の寂しさはなんでかしら?十月の神無月に神様が集まった時にこそ、盆と正月が一緒に来た賑わいとなるのかしらん?


また出雲駅に戻って、目指すところは駅歩いて一分の「らんぷの湯」です。

歩いて一分ですぞ!

民家風に梁組みを見せた高い天井から、らんぷが点点と下がっています。

大きな桧の浴槽に茶色い湯が溢れています。掛け流しだからまさしく溢れているのだー。


露天は一人用の桧の浴槽が三つ並んでいて、庭の青竹群を眺めながらの一人露天も落ち着きます。狭いけど休息室もあって、畳にごろ寝をしながら、温泉に入りなおしたりして、列車の時間を待ちます。


正味六時間の余裕しかなかったため、湯の川、玉造、倉吉などの温泉を諦めて、「らんぷの湯」にしたのは正解でした。あたふたと時間に追われて汗まみれにもならずに済みました。みなさん!お勧めですよ~


三時三十九分出雲市発「寝台出雲」の三号車四番下段が今夜の宿です。上段に高校生らしき男の子と、向かいの上段にはチャーミングな女の子が乗ってきました。


行きの、野郎ども三人に囲まれたか弱い子羊←(私のことだわん)と大違い。安心の一夜に緊張が解れたのかな?なんと七時半にはベットを作って潜りこんでしまいました。高校生の坊やごめんなさい。


寝台列車の旅は、あのゴトンゴトンのレール音が耳障りで眠れないと聞きますが、眠りは小刻みでけど、揺れとレール音に身を任せながら、うつらうつらから引き込まれてゆく眠りはなかなか味があります。要は慣れかもしれません。


十二日の朝六時五十九分に東京駅到着です。乗客は名残りを惜しむように、前後の先頭車両に駆け寄ってはカメラに収めています。廃止の後はどのように使われるのでしょう?アジアの諸国に売られて、国民の足になるのかしら?それなら列車も本望でしょう。走り続ける歓びの轟音を、異国で響かせて欲しいと思うのです。


列車の名前にも、映画のタイトルと同じく洋風なカタカナや横文字の名前が増えて、サンライズだのスーパービューだの洒落にもならないと言いたいなあ。寂しいなあ。


日本人にとっての言霊の力は、もう失われたのではないかしら?

短歌に触れているのは虚しい行為だぞという声が出雲の空から降ってきたような・・完。


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寝台出雲狂騒曲 女郎花 @iwanohime

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