ウェア・インシュアランス・ゴー

「いくら要求するおつもりだったんです」

「通帳からの金銭の横流し及び唐山と言う男への貢物で八百万円、それと別に不貞行為への慰謝料として四百万円…」

「五年間ずーっとですからね、それほど高い金額でもないと思います」


 合わせて千二百万円もの大金を、純太郎は千賀子に請求するつもりだった。

 また唐山と言う千賀子の浮気相手にも、千二百万は無理としても四百万は請求するつもりであった。

 だがこうなってしまうと、唐山はともかく千賀子から請求するのは不可能である。


「あの子がそんな事をしていたなんて私どもも知りませんでした。それこそ顔に思いっきりビンタでもしてやろうと思ってたんですが」

「二人は何も悪くないのに……」


 千賀子の両親、つまり純太郎の義父母もうなだれていた。

 こうなってしまった以上、もう二度と千賀子の過ちを正す事など出来ない。死体に向かって馬鹿野郎とか怒鳴った所で、耳に届くはずもない。

 もし泣きついて来ようものならそれこそ一円たりとも援助する気などないと言って追い返してやるつもりだったのに。



 千二百万もの大金を払うべき責任者は、もういない。無論唐山にと言う事も出来るが、それとて「唐山への貢物」の分は奪還できても千賀子が自らの利益のためだけに使ったそれを唐山に請求するのは難しい。

 実際千賀子と唐山を追っていた探偵事務所と懇意にしている弁護士によると、千賀子が唐山に貢いでいたのは三百万円程度であり、八百万の回収は困難である。

「それこそ私たちの貯金を割いて」

「やめて下さい!大事な老後資金を!」

「娘を育て損ねた責任ですから」

「責任なんかないでしょうが!」

「……この商売は、明るい事ばかりじゃいられないんですがね……あちらもハッピー・テロリストとやらに秘かにキレてますよ」


 千賀子の両親がどれほどまでに責めを負う必要があるか分からない事案で還暦を越え定年退職まであと二年、ようやく悠々自適な生活を送れるかとなった所でそんな損害を負わねばならないと言う非道な運命に、本人たち以上に純太郎と探偵事務所の所員の方がうつむいていた。

 もし千二百万の支払いを拒むようならば少しばかり良からぬ筋の所から強引に金を借りさせて支払わせ、そしてそのままそういう仕事で返済させるつもりだったらしい。三十五と言う年からして完済できるかはかなり怪しいらしくそれこそ死ぬまで働かせるつもりであったと言うが、それも今回のハッピー・テロリストの一撃でおじゃんになった。



「あ、そうだ。殺人事件である以上…」

「下りますか、やはり」


 それでも、千賀子が出せない金がない訳でもない。

 死亡保険だ。


「さっき連絡を入れましたが殺人事件と言う事で下りるそうです。しかし……」

「しかしと言われても、これこそ純太郎さんへのけじめと言う物で」

「一千万円なんです」


 だが健康体であった上に子どももいない千賀子は保険への意識が低く、それこそ保険も生命保険一口と入院保険しかなかった。その生命保険も一千万円に過ぎず、一千二百万円を返し切るには足りない。と言うか、元々受取人が純太郎であった事を加味しても、これでは彼女は両親に何一つ返していない。

「では二百万だけでも」

「そんな!」

「ですが弁護士さんのおっしゃる通り」

「と申されましても、確かに此度の千賀子さんのケースは正直悪質ではありますが実際四百万と言った所で字面ほどに取れる物か……」

 辣腕と言われていたはずの弁護士が、歯切れ悪く言葉を紡ぐ。実際慰謝料を要求した側が満額回答の金額をもらえるなどなかなかないが、今回のケースは挙式後すぐからと言うかなり悪質なそれだった事もあり八百万+四百万いけるとその弁護士も踏んでいた。

 

「容赦のない処罰を望みますとか言う気もないですが、実際その方があの子にとってもいいと思っていました。それなのに更生の機会を奪ってしまったハッピー・テロリストとやらは全然ハッピーなどもたらさないただのテロリストです。無論責任逃れをする気などありませんが……」

「でしたらやむを得ませんね、その保険金一千万で手を打ちます。しかし…」

「それで済むなら何よりです。いっそ何の痕跡も残さない方がいいですし、少なくともあの子は私たちの墓に入れませんから」


 千賀子の両親は、無理をしているのが丸わかりの笑顔を浮かべていた。

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