愛より熱し 運命の

柏望

唇よりも熱い拳を

 カウンターから奥まで見えるガランとした喫茶店は、さっきから同じ曲が流れている。さっきからグラスを磨いてばかりのマスターは私に気を遣ってクレイテイルのだろう。ずっと黙ってそっとしてくれている。刺激といったらレモンティーのちょっとした酸味くらいの空間で、私は過去の発言を思い出して頬を緩ませる。


「二人が戦ってくれたらハッキリするんだけどね」


 ちょっと背伸びして喫茶店で紅茶を飲んでいる間にも、二人の男が私を巡って争っている。あの時とおなじように防具に身をかためて竹刀で打ち合うというわけではないだろうけれど。なんであれ私なんかのために、いいやだからこそ譲れなくて互いを傷つけあっている。

 葛木くんも吉良君もどちらもカッコよくて、選べないほどいいところがあって、他のなにも見えないくらい私に夢中で、私が欲しくてたまらない。女の子にとってこれほど喜ばしいことが他にあるだろうか。

 吉良くんのいつも微笑みを浮かべているあの頬が今はどんな風になっているのだろう。葛木くんの真一文字に結ばれた口元はどんな表情がむき出しになっているのだろう。

 二人にとって今日は満願成就の日だ。憎いライバルを打ち倒し、待っている私を抱きとめられる日。尾羽打ち枯らしてボロボロの姿で現れた彼に私はどんな顔をしてあげようか。笑って勝利を祝ってあげようか。泣いて無事を喜んであげようか。どちらの筋書きも私好みだ。唇くらいなら捧げる覚悟もある。

 だって今日まで二人とも頑張ったのだから。いろんな物を失ってきたのだから。どんなに下手くそなキスでもその事実だけで最高に甘くなるに違いない。


「まだかな。早くおいでよ」


 店内に小さな声が溶けていく。二人のどちらかが、私を迎えにくる。それが今日の結末だ。


 レモンティーはとてもいい香りで、砂糖も入れていないのにうっとりするような味わいがする。二人のすべてがいま、グラスに入ったレモンティのーのように私の手の中に収まっているからかもしれない。ストローで思いのままにかき回される氷は私の男たちのようだった。


 葛木厳。葛木くんの表情は氷のように頑なで冷たいけれど、その表情の奥にある激情を確かに知っている。防具も着けずに木剣を振るいながらの稽古は胸の奥に消えることのない炎がないとできないのだ。


 吉良清。吉良くんの氷のように透き通るような表情にはみんな夢中で、それを崩したのが私だ。

剣道部の部長としてみんなを引っ張ってきた彼が、退部までして葛木くんと戦っている。それが私のせいじゃないなんて思えない。


 あの二人が、どうして争うようになったのか。私だけが分かっている。

 どうしてそんなことをとみんな言うだろう。私だって何度も止めた。それでも止まらず今日という日が来てしまった。勝敗が付いてからどうなるのかなんて誰にだって予想できない。こんな愛憎劇に人生で何度触れられるだろうか。しかもその渦中にいるなんて。


 暇つぶしに喫茶店でおやつを食べているだけのこの瞬間ですら、男たちの間で悩む乙女みたいな光景でストローを咥えた唇が思わず緩む。一秒一秒がこんなにも愛おしく感じるなんて。今まで想像することすらできなかった。


「なに頼もっかなー」


 二杯目はハーブティーにでもしようかなんて考えている内に、ふと魔が差した。


 勝った男を祝福するのもいいけれど、敗けた方を祝福するのいいかもしれない。なんの栄光もなく傷ついて打ち震える敗者に差し伸べられる手はどれほど尊く映るのだろう。

 勝利の女神もいいけれど、敗者を癒やす聖女も悪くないかも。勝った方と結ばれるハッピーエンドは面白いけれど捻りがなくて、敗北者に寄り添った方にしか楽しめない物語があるかもしれない。


「ローズレッドをお願いします」


 透明なお湯の中に滲んでいく淡い鮮やかな桜色が、徐々に深みを増して鮮血のようになっていく。テイーカップに注がれた芳醇な液体へ、ほんの少し先未来に私の瞳に映る相手へ捧げるように唇を寄せた。


 次に私が目にするのは、葛木くんか吉良くんのどちらだろう。私が愛するだろう一人のために、今は唇を温めておこう。

 私の学校は剣道部がそこそこ強いらしくて、主将を務めていた吉良くんは男女問わず尊敬と憧れのだった。全国優勝を争うほど強くて、防具の中から頭を抜いたときの爽やかな表情は今も印象深く遺っている。

 吉良くんがみんな知っている大輪の花なら、葛木くんは知る人ぞ知る陰日向に咲く花だった。葛木くんが剣術道場に通っていて時間が下校時間になるとそそくさと学校から出て道場に向かっていることを知っているのは学年の中でも一握りだった。

 どこかの体育の授業がたまたま剣道の授業で葛木くんと吉良くんが並んで竹刀を振るっていた。


「二人とも竹刀振るってるだけだとあんまり違わないんだね」

「吉良君は防具着ててもカッコいいけどさ。葛木出す理由なくない」

「知らないんだ。葛木くんって剣術の道場に行ってるんだよ。もしかしたら吉良くんより強いかも」

「吉良君って主将でしょ。葛木なんてきっとヒラだし勝てるはずないって」

「実際に試合をやってくれたらハッキリするんだけどね」


 人気者の吉良くんになったから盛り上がっている女子の勢いを利用して、男子たちが模擬試合の許可を先生に取ってきた。二人のどちらかが断ると思っていたけれど、吉良くんが笑って、こっちの方を向きながらいつもの調子で「いいよ」って答えたその瞬間、私は少し息をのんだ。


 なんとなく恥ずかしくて視線を逸らすと、葛木くんと目が合った。


 もしかしたら私が試合をして欲しいと思っていたことが伝わっていたのかも。そうであるなら、二人が私の期待に応えてくれたような心地がしてけっこう嬉しい。まさかとは思うけど、まさか、って思いたい。



 私のことを見てた。きっとそう。あれは、やってみせるって目だった。なんだか、胸がどきどきした。


「始め」


 先生のかけ声で始まった試合は、吉良くんが飛び込んで葛木くんがスッと下がっていく。一度二度ではなく、短い間に何度もそんなやり取りが繰り返される。防具を着けているといないじゃ間合いが違うんだと男子の誰かが言っていたけれど、女子にはわからない話だ。観戦から離れていく子も一人二人ではなかった。吉良くんがカッコよく葛木くんを倒すのを期待していた女子にとってもあまり面白い試合じゃなくなっていき、ボソボソと女子の中から葛木くんへの不満も漏れてくる。

 

「ねーさっきから葛木って逃げてばっかじゃないの」

「わからないよ」


 わからない。でも、私には見える。葛木くんも吉良くんも『なにか』を我慢してる。二人ともなにかを探り合っているような雰囲気を感じて、本気を出しているようには見えなかった。

 勝つのなら鮮やかに勝ちたいのかもしれない。そう思った瞬間、吉良くんが剣を構えたままグッと迫って、葛木くんが飛ぶように後ろに下がった。どちらも防具を着けているとは思えないほど、疾く軽やかな動きで目にも止まらぬ動きというものを初めて見せられた。


「葛木。道場のことを気にしてるなら降参してもいいぜ」


 声をかけられた葛木くんは俯きながら少しだけ上半身を傾けた。防具と竹刀の向いている先一直線上には私がいて、誓うように一言声を漏らす。


「参る」


 防具の奥から響いた声は低く、決意に満ちていた。まるで、ここで勝つと私に誓ってくれているみたいだった。

 葛木くんが一瞬見えなくなって、花火が爆発するような音がする。思わず目を閉じると、数拍送れて先生の怒鳴り声が届く。


「やめ!」


 目の前には折れた竹刀を喉元に突き立てる寸前で静止している葛木くんがいた。吉良くんは動じずに構えたままの相手へ声をかけた。


「突きは反則負けだぜ」


 あくまで淡々としていたけれど、吉良くんの声にはライバルにしか向けない熱のようなものが籠もっていた。それは恋のライバルだったりするのかもしれない。

 スッと竹刀を引いた葛木くんは面を外して体育の先生に一礼をすると、そのまま職員室に連れて行かれた。あまりにもあっけない幕切れで、私の一言が原因でこうなってしまったことが申し訳なかった。それでもあんなに本気になってくれたことが、ちょっとだけ、嬉しくて頬が熱くなった。


 三杯目の紅茶を飲み干したあと、レシートを見て少し青くなった。高校生にとってはそこそこの出費だし、そろそろ帰らないと家でも怒られる。何より、外はもう暗くなり始めていた。。二人からはSNSの反応もないし電話もない。男子の喧嘩ってそんなに長引くものなのか。最初の授業のときみたいにあっさりと決着がつくものでもないだろうけれど、あの時と比べれば何十、何百という時間が過ぎている。出なくてもいいから一報くらい入れてみるかと思った瞬間に、最悪の想像が脳裏を過った。


 相討ち。共倒れ。勝負なし。そうなった場合、助けに行くことができるのは私だけで。そう気づいた瞬間には身体が全力で動いていた。


「みんな私のせいなんだから。私が止めないと」


 ポツポツと灯りが灯り始めた街の中を息を切らして進んでいく。スカートが脚に絡むのが鬱陶しくて、学校指定の鞄が信じられないほど重く肩に食い込む。それでも私がきっかけなんだという責任感が心臓を爆発させるように鼓動させた。


 二人が争っているだろう場所につくと空がもう真っ暗になっていて、今まで嗅いだことのない異様な匂いが漂っていた。草の匂いに混ざる微かな鉄の匂いを感じ取りながら探すと、本来の場所とは少し離れた草むらの中に吉良くんと葛木くんの二人がにらみ合っている。

 遠くの街灯の光だけでは二人がどうなっているかもわからなくて、スマホのライトを使って二人を照らすと悲鳴が漏れるほど凄惨な光景が広がっていた。


 

 顔の判別ができないほど腫れ上がっていて、誰がどっちなのかも見た目で分からなくなっている二人はわけのわからないことを叫びながらお互いへ向かって突っ込んで、顔を掴み、腹を蹴り上げ、ありとあらゆる部分を殴った。唸りながら噛みつき、呻きながら締め上げ。投げ飛ばした相手に覆い被さり、蹴り上げた相手に追い打ちをかけた。

 互いに互いを壊しあっているような、長く凄惨な喧嘩。悪夢のような光景はなにもなければ見なかったことにして逃げだしたいくらいだけれど、そんなことできない。

 なんとかして止めないと。私のせいでいくら傷つけあってもかまわないけど、壊れて欲しくなんかない。声をかけたけど返事どころかこっちを向いている様子もなく無心に飛び込んできた相手を壊しあっている。


 音が響いていた。肉のぶつかる音。骨が軋むような音。獣のような呼吸音。


 やめて。


 そう思っているのに声が出ない。喉が凍りついたみたいに痛みを訴えてくる。


 この場を収める方法は一つしか思い浮かばなかった。脚がすくんで全身が震えるけれど、なんとかできるのは私しか。いいや私だからこそと勇気を絞って死地に飛び込んで叫んだ。   


「やめて! 私のために争わないで! 」

「「男同士の間に入るなァ!!」」

 間髪入れずに二人の怒号が揃って返ってきた。

 ヒュっという音の出所は、目の前を横切る吉良くんからなのか私の喉から漏れたのかはわからない。 葛木くんも吉良くんも最初から私のことなんか眼中になくて、私は二人の物語のどこにもいなかったと理解した。


 ふたりの目が、私の肩をすり抜けて、互いだけを見ている。


 膝が笑った。声が出なかった。その場で二人を見ているしかなかった。


 二人が動かなくなってしばらくしたら、救急車を呼んだあとしばらく二人は学校に来なくなった。

 

 包帯やら松葉杖やらを巻いた二人が戻ってきたときはクラス中が戦々恐々としていたけれど、二人の仲は意外なほどに深まっていた。


 空いたバスの座席へ吉良くんが葛木くんを誘導しているのを見て胸がキュッとした。交わす言葉は少ないけれど、そばにいる時間が増えた二人はあの戦いが嘘だったかのように良好な関係を築いている。


「葛木。もう腕は動くんだからストローは刺さなくていいって」

「すまん。癖になっている」


ストローの刺さったアイスティーを差し出す葛木くんも、受け取る吉良君も笑っている。

 あの日に入った喫茶店に二人が並んではいるのを見てから、私もたまにお店に通っている。二人はけっこうな頻度で通っているらしくて、マスターとも親しげに話をしているのを何度か見た。顔を合わせたら声はかけてくれるけど、気づいてくれることはあんまりない。でもそれでいいんじゃないかと思う。


「コーヒーをブラックでお願いします」


 二人の間に入れなくて少し寂しいけれど、それでいい。互いに笑いながら同じテーブルで囲む二人を見ているだけで、私はカフェオレよりも甘いコーヒーが飲めるのだから。

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愛より熱し 運命の 柏望 @motimotikasiwa

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