雨が降るたび、きみを思い出す【後編】
「透、お前さ、やっぱ演技うまいな……」
シーンの終わり、湊がぽつりと呟いた。懐かしさと、ほんの少しの寂しさを滲ませながら。
「お前が書いた台詞だからな」
「……俺は、何一つ変わってない気がするよ。透のことも、芝居のことも。全部、まだ俺の中に居座ってる」
湊が俯くと、彼の肩にかかる影が揺れた。かつて一度だけ触れた体温、その鼓動。透は思い出していた。
芝居の稽古と称して、触れた指先。酔った帰りに交わした、あれが本気だったのかどうかも曖昧な口づけ。
「俺さ。あのとき、怖かったんだ」
「何が?」
「透の気持ちも、自分の気持ちも。……だから逃げた。逃げて、全部終わらせた」
雨の音が天井を打つ。
どこかで猫が鳴いた。
「湊、俺も逃げてたよ。あれからずっと、誰と芝居しても、誰といても……お前を超えられなかった」
苦い告白だった。だが、それが本音だった。
湊がいなくなって、透は何人かと関係を持った。舞台の上でも、現実でも。でも、どこかに常に“湊の影”が差していた。
「台本……最後までやろう」
「……え?」
「第三幕の最後、二人が別れる場面。あれ、ちゃんとやったことなかったろ」
湊が小さく笑った。
それは、高校時代に初めて主役をもらったときの笑顔に似ていた。
「――俺はもう、きみに触れられない」
「きみが触れてくれたから、俺はここまで来られた。ありがとう」
台詞が交差する。声が重なり、沈んだ時間が舞台の上で再構築される。
「……また一緒にやろう。今度は、ちゃんと向き合って」
「……それって、台詞?」
「違う。今のは……俺の本音」
湊は立ち上がり、台本を胸に抱いた。
透は彼の横顔を見つめる。どこか子供のようで、それでいて、かつての恋人のようでもある。
「明日から、稽古しないか? あの頃みたいに」
「……透、俺、もうお前を裏切らない」
再会は、過去を掘り起こす痛みでもあった。だが、それでも未来を繋ぐための儀式だと信じた。
「……なあ、透。俺たち、本当に役じゃなくなったらどうなると思う?」
「さあな。でも、一度くらい、役じゃない言葉で言ってみろよ」
湊は、しばらく黙っていた。雨音のなか、少しだけ躊躇って、そして言葉を落とした。
「……俺は、ずっとお前が好きだった。演技じゃなくて、本当に。……ずっと」
それは確かに、台詞ではなかった。
その言葉に、透は目を閉じた。そして、静かに答えた。
「……遅えよ、バカ」
けれどその声には、責める響きも、怒りもなかった。ただ、ようやく戻ってきたものに対する安堵と、許しの気配があった。
二人の間に残るもの。
それは過去の傷と、今の感情、そして舞台という名の逃げ場。
だが、その逃げ場にしか、二人の真実は存在しないのかもしれなかった。
―――雨が止んだ。
湿気を含んだ空気が、やがて透明に変わっていく。
透と湊は、新たな稽古を始める。
未完だった台本に、今度こそエンディングを記すために。
そしてその物語が、もう「役」ではなく、二人の「現実」になることを、心のどこかで願いながら。
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