キミの涙を見た夜に

鉄道王

前編

「はぁ……」


 仕事終わり、給湯室でコーヒーを入れる時間……社会人になってから5年間続けている日々のルーティンだ。疲れた脳に苦みが染みわたって心地いい。

 隣の休憩室では先輩たちが備え付けのテレビを見ながら、のんびりとくつろいでいた。

 番組は夕方のローカルニュース。市内で祭りの時期が近付いてきたという話題で、若い女の子たちの浴衣レンタルを取材していた。


(ああ、もうそんな季節なんだ……)


 夏宵灯なつよいび。江戸時代から続く市内最大の祭り。毎年、開催中は市内で浴衣姿の女の子を多く見かける。

去年ニュースで見たのが昨日のことのようで、時の流れの速さを実感する。画面では若い女子アナが浴衣を選ぶ女子高生たちに話を聞いていた。


「土居ちゃん、可愛いよな!ホント美人」


「スタイルもいいし、女優やっててもおかしくないよ!」


先輩たちが、女子アナを話題に雑談している。僕はそれを横目にコーヒーを飲みほした。

 画面の女子高生たちが人気者を前にちょっと緊張してる感じがわかって少しほほえましい。


「東京じゃミスコンで優勝したりしたんだろ? なんでローカルでアナやってんだろ? この見た目なら絶対キー局狙えたのに……おい山口」


紙コップを捨てて、帰ろうとしていた僕を先輩が呼び止めた。


「お前、同じ山北出身だろ? なんか知らね?」


「……さあ?特に何も」


そう言って、その場をさっさと立ち去った。こういう話題に巻き込まれるのは苦手。出身地が同じ地区だって知られたとたんに、色々根掘り葉掘り聞かれるからうざったい。


「お先に失礼しまーす」


そう言い残して、町役場を出ると、ピンコーンと音が鳴って、スマホのRineにメッセージが入ってきた。


「誰だろ……え……?」


それを見た僕は少し驚いた。


《久しぶり!元気にしてた? あのさ、もし時間があったら、夏宵灯の二日目、一緒に行かない?》



 僕の幼馴染、土居朱音どいあかね。東京の大学を卒業して、地元局のアナウンサーをしている県内一の人気者。今さっきVTRとはいえ、テレビに出ていた人間からのRineに少し驚く。

 その日は特に予定があるわけではない。断る理由もなかったは言え、突然の連絡が少し気になった。


《こちらこそ、久しぶり。うん、特に予定もないし大丈夫。 それにしてもどうしたの? 朱音がこういうこと言うなんて珍しいよね》


送信して1分ほどでまたRineが来る。


《午前の取材が終ったら、オフで、夏宵灯行こうと思ったんだけど。誰か誘おうと思ったら、遥人の顔が浮かんだんだよね》


 朱音は女友達も多かったし、その娘たちを誘えばいいんじゃないかと思ったが、何か理由があるんだろう。せっかくの機会を無駄にするのも勿体ないと思った。


《そっか。じゃあ楽しみにしてるね》


 送信すると朱音から笑顔のスタンプが送信された。朱音とこうしてどこかへ行くなんて何年ぶりだろう?すっかり遠い存在になった幼馴染。誇らしさと同時に、少し遠くへ行ってしまったような寂しさを感じていた。


(そういえば昔も一緒にいったな……)


遠い昔。歩行者天国の中を二人で綿あめを食べた記憶が蘇る。テレビに映る朱音はあの頃と変わってとても大人びていた。



◇◇◇◇◇


『昨日投開票が行われた岩田市長選挙は……』


母さんと二人で夕食中。6時台のローカルニュースを朱音が読み上げていた。


「ホント凄いわね~朱音ちゃん。トークも面白いし、まだ2年目なの信じられないわ」


母さんは感心したように、テレビを見つめる。娘がいなかったぶん。朱音のことを娘のようにかわいがっていたから、まるでわが子を見る目線だ。


「そりゃ、東京じゃ芸能活動してたんだし、何でも出来るんじゃない?」


 朱音は大学時代、大手局の企画に選ばれて深夜ラジオのアシスタントをしていたことがある。あいにく我が県では聴取できないので、東京に旅行した時にちょっと聞いたぐらいだが、トークも面白く、共演者にもウケていた。

 それに、ミスコンで優勝した実績でモデル活動もしていて、本当に別世界の住人だった。



「そうよねえ、いい大学も出たし。あんたと違って要領がいいし」


「うるさいな。しょうがないだろ。頭の出来はさ!」


からかってくる母親に少しイラつきながら、みそ汁を啜る。ニュースは締めのトークで夏宵日の話題になった。


『私も浴衣を着て、行ってました。実家から1時間かかるので、行くの大変だったんですけど……今年も取材に行きますんで、皆さん一緒に楽しみましょう!』


先輩たちと笑顔で話す朱音。母さんはちょっと不思議そうな顔をした。


「そういえば最近、朱音ちゃん帰ってこないけど。どうしたのかしら?去年はちょくちょく見かけたんだけど。やっぱり仕事が忙しいのかな」


「……うーん」


ちょっとだけ心当たりはある。でもほんとにそうなのかはわからない。


「こないだ朱音ちゃんのお母さんにあったんだけど、実家に全然顔出さなくなったらしいのよ。たまには甥っ子の顔を見に来てほしいって寂しがってたわ」


「まあ、いろいろあるんじゃない?なんとなく地元に帰りたくない時ってあるでしょ」


 朱音は去年の7月ぐらいから、全く地元に帰ってこなくなった。学生時代は盆と年末年始は必ず帰省してたのに……。

 彼女が抱えているだろう辛さは多分そうすることでしか癒せないんじゃないか。テレビに映る幼馴染を見ながら、ちょっぴりやるせなさを感じた。





◇◇◇◇◇

 


8月初旬。夏宵灯は金曜日に雨上がりの中で始まった。この日から3日間晴れマークで新聞でもそのことに喜ぶ主催者のコメントが掲載されていた。

 

土曜日の午後5時。ビルが立ち並ぶ繁華街の広場。朱音から指定された待ち合わせ場所はここだった。

広場にはクレープ屋やたこ焼き屋が軒を連ね。特設ステージではローカル歌手がまばらな観客を前にミニライブを行っている。


高校生だろうか、手をつないだカップルの姿もあった。僕は青のTシャツに長ズボンという高校時代から変わらない私服で朱音を待つ。

ビルに備え付けられた大型ビジョンには地元局のキャンペーンが映し出され、朱音がマスコットキャラと一緒に出演していた。


ぼーっとその映像を見ていると、後ろからポンと肩を叩かれた。


「久しぶり、山口くん」


「っ!」


 画面に映っている張本人が目の前に立っている。白いシャツにショートパンツを履いて、眼鏡をかけ、テレビとは雰囲気の異なる朱音の姿。足を大胆に露出していて思わず視線が泳ぐ。中学生みたいな反応をしてしまった。


「山口くんって……呼び方気持ち悪いな……」


「中学の頃、そう呼んでたじゃん。まあちょっと会ってなかったからさ、おふざけだよ。おふざけ! 遥人、今日は来てくれてありがとう!」


 そう言ってニコッと笑う朱音。テレビで見る姿と違って、子供のころから変わらない無邪気な朱音そのものだった。

中学の頃、この笑顔に癒されてクラスの男子から告白されていたのを思い出す。この頃は気恥ずかしくなって今思うと違和感しかないが、お互いを苗字で呼び合っていた。




「じゃ、行こっか。とりあえずぐるっと回って、またここに戻ってこようよ」



「うん、それでいいよ。朱音は何か食べたいものない? 奢るからさ」


「そうだなあ、とりあえず回りながら決めない?」


 僕たちは大通りの方へと歩き出す。遠くからお囃子の音が聞こえ、道路には浴衣を着た人があふれる。

 そんな非日常の時間で、違う世界に住んでいると思っていた朱音が隣にいる。ドクドクと胸の鼓動が速度を速める。中学の頃に一緒に帰った時も感じたこの感覚。


これがときめきというヤツなんだろうかと思った。



 歩道には屋台が並び、その脇を歩行者の波が通っていく。土曜日ということもあって家族ずれや若いカップルの姿が目立つ。すごい人ごみで押し流されそうになった。


「朱音!」


はぐれないようにととっさに朱音の手を握る。柔らかい感触が手の中に広がった。

まずい。彼氏でもないのに手なんか触ってしまった。小学生の途中まではよくつないだけど、さすがに……


「助かったよ。はぐれちゃうかと思ったから。ありがとね遥人」


「……」


気にしてなかったようだ。ほっとして手を離そうとすると逆にぎゅっと握り返される。


「朱音?どうしたの?」


穏やかな表情で僕の目を見る。なにか楽しんでるような、何かを懐かしんでるような目だった。




「いいじゃん、もうしばらくこうしとこうよ」


「うん、朱音がいいならいいけどさ……」



どこか甘酸っぱい気持ちで満たされる。心に余裕はあまりない。夕焼けに照らされたビル街の中を、朱音と手をつないで人ごみをかき分けていった。

 




 

 



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