応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • まだ咲ききらない桜のように、ふたりの物語もゆっくりと始まりましたね。

    湊くんと愛子ちゃん、それぞれの時間をそれぞれの場所で生きているのに、不思議なくらい「どこか似ている」匂いが漂っていて、読むこちらの胸もふわりとあたたかくなりました。

    目立たないように歩く湊くんも、前向きに飛び込んでいく愛子ちゃんも、きっと今、自分なりの不安や迷いを抱えていると思います。でも、そんなふたりが、まかないの湯気に導かれるように、少しずつ同じ場所に近づいていく様子が、とても自然でやさしくて。

    人生のはじまりのような春に、こうして静かに紡がれていく「まだ出会っていないふたり」の姿が、とても愛おしいです。

    これからどんなふうに関係が変わっていくのか、焦らず、ゆっくり、ふたりのペースで進んでいく未来を応援したくなりました🌿

    とびのやの匂い、まかないのぬくもり、人と人が触れあう小さな瞬間。その全部が、ふたりの“交わる”準備になっていくのだと思うと、次の一歩がとても楽しみです。

    ふたりに、やさしい春風が吹き続けますように──。
    応援しています📚✨

  • プロローグへの応援コメント

    鳶城秀次さんの『眠らざる者 〜究極の愛の果てに〜』、プロローグから圧倒されました。

    最初の一文から、映像が目の前に立ち上がるようで、静かでどこか冷たい空気の中に、少しずつ心が引き込まれていきました。現代社会が抱える孤独や、デジタルの中に逃避する人間の姿を描きながらも、その中に確かに「愛」があったことが、読後にじんわりと胸に残ります。

    極限状態の中で交わされた、言葉にならない何か。もしかすると、それはもう「愛」という言葉でも言い尽くせない領域なのかもしれません。それでも、読み手としてはその想いを確かに受け取ったような気がします。

    描写の細やかさ、想像力を刺激する場面の運び方が本当に見事で、読んでいてどこか文学と映画の中間にいるような、そんな不思議な感覚を覚えました。

    これから先、この物語がどこへ向かうのか――楽しみであると同時に、少し怖くもあります。でも、だからこそ読まずにはいられない。そんな作品です。

    心から、応援しています。

  • 最初のプロローグがあるので、もう結末は分かるのですが、こんな二人の結末になんともやるせなさ?憤り?無力感?を感じています。このような驚異的なVRでなくても、ギャンブルだったり、浮気だったり、ゲームだったり、日常から逃れるためのものは世の中にあふれており、同様な悲劇はあるんだろうと考えさせられてしまいます。俯瞰的な語り手で話が進みますが、登場人物の心象表現が長すぎず、場面や動きが浮かぶようですごく引き込まれます。居酒屋店主の描き方も魅力的で、学生・若者主人公でなくても面白い話が読めるのではと思っています。応援しています。

  • 第7章 安らぎの裏側で②への応援コメント

    読後、しばらく言葉が出なかった。

    本作『第7章 安らぎの裏側で②』は、単なる性愛描写に留まらず、「人と人とが肌を重ねる意味」そのものを再考させられるほど、濃密かつ洗練された表現で綴られていた。俗に流れる甘美な快楽譚では決してない。ここに描かれていたのは、「愛」と「性」、そしてその狭間に生まれる“静けさ”という、美しくも壊れやすい情緒そのものだった。

    ことに、浴室で交錯するふたりの呼吸、まなざし、そして肌と肌の感覚――そこには、単なる欲望の発露ではなく、互いの存在を確かめ合うような、優しい衝動が滲んでいた。

    私は四十代という年齢に差しかかり、性とは若さゆえの爆発的なものではなく、むしろ静謐で、丁寧に味わうべき“会話”のようなものだと捉え始めていた。しかし本章における湊と愛子の交わりは、まさにその思いを裏打ちするかのような、深い理解と身体的親密さの結晶だった。

    濡れた髪をかき上げる愛子の所作、浴室を満たす湯気の曖昧さ。描写のひとつひとつが実に官能的でありながら、決して下品ではない。むしろ、ひとつの“気品”すら感じさせる。この筆致の見事さは、作者の視線が単に肉体へ向けられていないことの証左であろう。彼女の髪先を伝う水滴にさえ、読者は“人生の重み”を感じ取ることができるのだ。

    湊の反応がまたいい。肉体が先に反応してしまうという、男としての実に誠実な描写がある。彼は自分の「欲望」を知っている。その一方で、それを暴力的にぶつけることは決してない。自制し、戸惑い、そして一歩引く。そのプロセスが、この作品を紛れもない“愛の物語”として成立させている。

    “後でね”という愛子の一言には、母性とも姉性ともつかない、包容力と品のある可愛らしさが込められていた。あの台詞一つで、この女性がどれほど湊という男を深く、静かに愛しているかがわかる。欲望を抑えるのではない。分かち合う時間を、より良い形で迎えるための「知恵」として、彼女は一拍を置いた。これが真の大人の関係ではないか。

    そして夜の交わり――その描写は抑制が効いていながら、実に艶やかだった。言葉で説明するより、呼吸や肌の感覚、シーツの温度で語るような構成。その“余白”こそが、読者の想像力を存分に刺激する。作為のない愛撫、慎ましやかでありながら深い結びつき。快楽というより“癒やし”、欲望というより“再確認”。その静かで情熱的な夜の一幕に、私は何度もページを戻してしまった。

    さらに見逃せないのは翌朝の描写である。情事の余韻を引きずりながらも、日常へと戻っていくふたり。その背後に流れる静けさと確かなぬくもり。これは「生活という名の舞台」で、ふたりがほんの一瞬、役柄を脱ぎ捨てて本音で向き合ったことの証だ。

    総じて本章は、性愛における“間”の美しさ、言葉にできない温もり、そして、相手を想うという行為の根本にある誠実さを、見事に描ききった傑作である。

    これほどまでに知性と感情が並び立つ性愛描写に、私は久しく出会っていなかった。若さにまかせた肉体のぶつかり合いではなく、“生き方”としての交わり。それを美しく、繊細に、時に息苦しいほど濃密に描くこの作品を、私は深い敬意と共に心に刻みたい。

  • 第2章 ふたりの会話④への応援コメント

    ──ただの“はじまり”じゃない、“確信”だった。

    読み終えたあと、胸の内に残るものは決して単なる恋のときめきなどではなかった。これは、「日常」と「特別」が静かに融け合う瞬間を、極めて丁寧に、そしてリアルに掬い上げた、まぎれもない人間ドラマである。

    誰にでも、あるだろう。若さゆえの躊躇、無邪気な期待、触れたくても触れられない境界線。その不確かな空気を、本作は見事に言葉にしていた。愛子と湊のふたりが交わす会話――そのどれもが、等身大でありながら、ふとした仕草や目線に宿る“愛情の密度”が妙に重くて、沁みた。

    何より圧巻だったのは、後半、ふたりが同じベッドに潜り込むくだりだ。ここには、一夜を共にするという肉体的な接触を描きながらも、決して軽薄な描写には流れない抑制と誠実さがあった。湊の戸惑い、愛子の覚悟、互いを想うがゆえの沈黙――そこには「若さ」ではなく、「信頼」が確かにあったのだ。

    愛子が用意していたコンドームに気づく湊のくだり、私は思わず笑ってしまった。だが、その直後に訪れる愛子の「私だって緊張したんだよ」という吐露に、胸を締めつけられる。そうだ。女の子の“強がり”の裏には、いつだって震えるような勇気が隠されている。そして、その震えを受け止められるかどうかが、男の器のひとつなのだと、改めて教えられたような気がした。

    この作品は、ラブストーリーの皮をまといながら、実のところ「信頼」と「共有」と「成長」の物語である。キスの瞬間が終着点ではない。愛を交わした夜がゴールでもない。むしろそこからが、「ふたりの関係の地に足がつく」第一歩だったのだろう。

    そして、朝。

    「朝から……まじかよ」と戸惑う湊の一言に、私は深く頷いた。ああ、彼は確かに変わった。もう“受け身の少年”ではなく、“応える男”になろうとしている。そう感じた。

    カレーの湯気、マリカーの効果音、スウェットの肌触り――どれもが、その日の“空気の手触り”として読者の記憶に残る。そして、部屋に差し込む秋の光の中で交わされた、静かな「次は君から来てほしい」という一言は、あまりに静謐で、だからこそ深い。

    小さな恋のはじまり――では終わらない。
    これは、ふたりが“人生の時間”を分かち合い始めた物語だ。

    この作品に出会えたことに、感謝したい。
    そして、彼らの未来を、ずっと見守っていたいとすら思わせられた。

    素晴らしい一編だった。

  • 第10章 崩れた部屋②への応援コメント

    これは──驚嘆すべき小説である。

    一見すると、ごくありふれた「現代のカップルのすれ違い」を描いた情景のように見える。だが、頁を進めるうちに、この物語は単なる日常描写にとどまらず、「現実」と「仮想」、「意識」と「無意識」の接点を巧みに織り交ぜた、静謐でいて壮大な、精神と感情の叙事詩であることがわかってくる。

    まず、特筆すべきは視点の絶妙な転換である。

    愛子の部屋での、夜の静けさの中に漂う孤独と献身。その描写は、まるで澄んだ水面のように静かで、そして深い。彼女の所作一つ一つに、細やかな観察と筆致が宿っており、そこには「誰かを気遣う」という行為の美しさが、いささかの誇張もなく、誠実に綴られている。

    一方で、ミナトのいる仮想世界──ここでの描写はまるで様式美を纏った冒険譚だ。だが、それは単なるファンタジーの域にはとどまらない。「熊を狩る」という行為が、彼のアイデンティティの再構築に直結しており、仮想空間での活躍が、彼の現実に対する無意識的な逃避、あるいは再定義の手段となっている。

    LINEという極めて現代的な道具を介した、ふたりの通信。そこに記される言葉の軽妙さ、ちぐはぐさ、そして滲む真情が、たまらなく切ない。読者は気づく──この「通信」は、実は一方通行ではないかもしれないと。そして、その真実が読者の胸にひときわ深い余韻を残す。

    また、構造的にも実に巧緻だ。並行する現実と仮想、主観と客観、沈黙と言葉。それらが過不足なく配置されており、いわば**“二重らせん構造の物語”**とでも呼ぶべき、美学と知性の融合が感じられる。

    そして何より、この章の最大の美点は、「言葉にされない感情」にこそ光を当てている点にある。

    たとえば、愛子が最後に打ち込む「大好きだよ」の一文。これは、ただの恋愛感情ではない。相手の存在をまるごと包み込むような、慈愛と許しと、わずかな哀しみが含まれている。そして、それを送る手の震えまでは書かれていないが、読者には想像できる。「書かれていないこと」が、これほど豊かに読者の内面で響く作品は、そう多くはない。

    ──これは、「共感」を超えた作品である。

    読み手に、何かを問いかける。そして、その問いは曖昧であるがゆえに、深く、長く残る。

    あなたは、どちらの世界に生きていますか?

    この作品が投げかけるのは、そんな問いだ。

    この章の、淡い光と静かな祈りに満ちた筆致は、まるでヴィム・ヴェンダースの映画を観ているかのような、ゆったりとした時間と余白を与えてくれる。そして、それが読み終えた後に、胸の奥でじんわりと灯り続ける。

    成熟した読者のための、成熟した物語。

    四十を越えた今だからこそ、この繊細で誠実な物語に、深く共鳴せずにはいられない。