1ページからの恋【短編集】

宵蜜しずく

恋に、はさみを入れる

 ああ、今日もか。ちらっとスマホを確認して、私は画面の灯りを消した。


「あ、門川かどかわさん」


 不意に上から落ちてきた声に顔を上げれば、そこには竹田たけだ君が立っていた。微かに口角を上げた彼が笑っているように見える。

 彼に見下ろされながら、足音に気づかなかった自分を恨んだ。もうとっくにクラスの皆は帰ったばかりだと思っていたから、完全に油断していた。


「……何?」


 私は平静を装いながらスマホを鞄に仕舞い、席から立ち上がる。これ以上ここにいたって仕方がないし、教室に竹田君と二人きりだなんて本当にごめんだ。鞄を肩に掛け、教室のドアを目指して歩き出す。

 しかし、微笑んだまま表情を崩さない竹田君の一言が、そんな私の動きを止めた。


「またドタキャンされたの? あのさ、どうして別れないの?」


 さも、それが当然だと言わんばかりの聞き方だった。

 正直に言うと、私は竹田君がきらいだ。何を考えているのか分からないような顔で、ぐさりと胸に刺さる言葉を掛けてくる。

 今だってまさにそう。その言葉が私の心を乱すための最適解だと、どうしてだか竹田君は知っているのだ。



 ──付き合い始めてから、今日で七度目のドタキャンだった。もう慣れた、と思えてしまうことが悲しい。そう思うことでしか、この行き場のない感情は癒されない。


 彼氏は元々気分屋な所があり、一つの場所には留まらない、まるで蝶々みたいな人だった。

 そんな自由に飛び回る蝶々が羨ましくて、そしていつしか惹かれ捕まえたいと思うようになっていて。

 私から溢れる思いを伝えると、抵抗することなくそのまますんなりと籠に入ってきてくれた。


 ああ、告白が成功したんだと思った。

 付き合い始めた頃は、放課後や休日、暇な時間さえあれば私の手を引いて街へ連れ出してくれた。

 すきなひとに下の名前で呼ばれる、うれしいのにむず痒くなる気持ち。

 軽く触れるだけの優しい、初めてのキス。

 彼は私に沢山の幸せを与えてくれた。


 だけれど、幸せな日々は予告なく終わりを迎えているようだった。


 最近は学校以外で会うことも、会話や触れ合うことも全くなくなってしまった。

 理由なんて、私に分かるわけもない。私に出来ることは、蝶々を逃がさないように追い詰めないことだけ。それしかなかったのだ。


 私の言葉を待っているのかいないのか、竹田くんは私を見つめたまま微動だにしない。

 そんな彼に動揺を悟らせまいと、下から睨みながら鼻で大きく呼吸をする。


「……そんなこと、竹田君には関係ないじゃん」

「あ、門川さん! あれ見てよ!」


 そう言うと、竹田君は私の腕を掴んだ。ぐいぐいと教室のドアとは反対側へ引っ張っていく。

 あまりに突然の身のこなしに驚き過ぎて、上手く声を出せなかった。


「ちょっ、な……ッ」

「あれ、あれ見て!」


 コツコツと、窓を指で叩く竹田君。強引に視線を斜め下へ誘導された私は思わず息を飲んだ。

 そこには、このニ階の教室まで届くんじゃないかっていうくらいに、楽しそうに笑いあう男女が歩いていた。


「あれって門川さんの彼氏じゃない? 隣にいるのは、うーん……誰なんだろうねえ」

「……は」


 愛しいはずなのに、今はとても、とても憎らしい蝶々。

 何度も受信した『ごめん、今日無理になった』の文字を思い出す。


「……どうして」


 ──知ってたよ。彼のこと、好きなんだもん。彼が私の籠に留まり続けることはないって。知ってたに決まってるじゃん。

 それでも好きだった。知らないふりをすれば、私を選んでくれると思ってた……なのに、どうして。


「竹田君はさぁ、私をどうしたいのっ……!」


 行き場のない感情を、絞り出すように声に出した。

 すると、私の両頬に竹田君の親指があたる。溢れている涙を何度も何度も拭ってくれた。


「門川さんはさ、ほんと可愛いよね」

「な、に言って……」


 だんだんと門川君の顔が近づいてくる。


「僕はさ、早くあのクズと別れて欲しいと思ってるだけ。門川さんのこと見てるヤツはほかにもいるよ?」


 口元のすぐそばで囁かれた言葉は、躊躇うことなく私の赤い糸に刃を振り落とした。

 私の未練がましい、きっと血の色に似た真っ赤な糸だっただろう。

 でも初めから、そんなものどこにも繋がってなかったのかもしれないんだ。

 ただ、行き場を失った私の糸が項垂れて地面を這いつくばっている。この糸の先を拾い上げるのは、一体誰なんだろう?


「……じゃあ、言ってよ」


 私は竹田君の目を見て、ぽつりと溢すように言葉を託す。

 竹田君の、ごくりと唾を飲む音が聞こえた気がした。


「……ふっ、やっぱりすごいね門川さん」

「言わないなら、もう行くけど」

「ははっ、つれないなあ。後悔しないでね?」


 竹田君は窓を背にして、手を広げる。


「門川さん、好きだよ。こっちにおいで」


 西日が差し込み逆光に包まれた彼が、今どんな顔をしているのかわからない。

 でもいいの。今度は私が捕まってあげる。そして竹田君も捕まるの。

 赤い糸の先がどこに向かうのか知りたくて、私はゆっくりと足を踏み出した。




【了】

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