ある工務店経営者の語り2
夏の湿った空気は重く、どんよりとした曇り空が、これから始まる儀式の静謐さを際立たせていた。壊れた祠の修繕を前に、安全祈祷祭が執り行われる。私は工務店の主として、この場に立ち会っていた。顔ぶれは、祠の管理を担当する市役所の職員、この地の旧家である神崎家の末裔という女性、工事を取り仕切る宮大工の棟梁、そして、この場所の調査に尽力してくれた大学教授とその助手。それぞれの表情には、僅かな緊張と、儀式への敬虔さが滲んでいた。
やがて、神主が姿を現した。古式ゆかしい装束を身につけ、厳かな雰囲気を纏っている。紹介によれば、神主は神崎家の分家に当たる家系の出身で、直系の子孫とは兄弟のように親しく育ったという。その言葉に、この土地の根深い繋がりを感じた。
神主は恭しく祠に向かって一礼し、
ごおっ、という轟音と共に、突如として強い風が吹き荒れた。思わず目を閉じ、腕で顔を庇う。吹き飛ばされそうなほどの強風に、周囲の木々もざわめき、祭壇の幕が激しく波打った。ほんの一瞬、腕の隙間から薄目を開けた時、私は信じられない光景を目にした。まるで黒い蛇のようなものが、数匹、いや、もっと多くいただろうか、宙を舞い上がり、まるで何かに吸い寄せられるように、壊れた祠の中へと消えていくように見えたのだ。
数秒後、嘘のように風は収まり、あたりには祭具が散乱していた。御神酒の瓶は幸いにも倒れずに済んだようで、皆、ただの強い突風だったのだろうと、胸を撫で下ろしているようだった。しかし、私の目に映ったあの黒い影は、一体何だったのか。
その後の安全祈祷祭は、滞りなく進められた。祝詞が奏上され、玉串が捧げられ、最後に一同が祠に向かって深々と頭を下げ、儀式は静かに幕を閉じた。
初めてこの祠に足を踏み入れた、あの夏の夜の恐ろしい体験が、ふと脳裏をよぎる。背中に残った赤黒い手形、耳元で囁かれた「タスケテ」という声。あの夜以来、私は毎日欠かさずこの祠に通い、清掃をし、新しい飲み物、そしてささやかな供え物を捧げてきた。あの子供は、ようやく成仏してくれただろうか。あの黒い影は、その彷徨う魂だったのだろうか。
重く垂れ込めていた曇り空に、一筋の光が射し込んだ。
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