あるスーパーの店員の語り

夜の帳が下りた頃、スーパーのバックヤードは独特の静けさに包まれる。蛍光灯の白い光の下、私は一人、山積みの商品と格闘していた。バーコードリーダーの無機質な音、電卓を叩く爪の音だけが、時折響く。棚卸しとレジの集計を終え、ようやく解放されたのは深夜を回った頃だった。

駐輪場に向かい、愛用の自転車に跨がる。夏の夜風が火照った体に心地いい。ペダルを漕ぎ出し、見慣れた帰り道を走る。住宅街の灯りはまばらで、シンとした静けさの中に、虫の声が響く。時折、どこかの家から聞こえるテレビの音が、遠く寂しげに漂ってくる。

その時、だった。軽い異音と共に、ペダルが空回りし始めた。まさか、このタイミングでチェーンが外れるなんて。ため息をつきながら自転車を降り、坂道を押して帰る羽目になった。夏の夜の湿ったアスファルトの感触が、じっとりとサンダルの裏に伝わってくる。

普段は通らない抜け道に入り込んだ時、ふと、鬱蒼とした木々の陰に、小さな祠が佇んでいることに気づいた。古びて苔むし、どこか寂しげなそれは、ぽっかりと口を開けた闇を抱えているように見えた。吸い込まれそうな、不気味な静けさ。思わず自転車を道の端に止め、私は近づいて、祠に向かって手を合わせた。「どうか、祟らないでください」心の中でそっと念じた。理由なんてない。ただ、あの暗がりが、言いようのない不安を掻き立てたのだ。

小さく頭を下げ、立ち去ろうとしたその瞬間だった。

轟音。

まるで真横に雷が落ちたかのような、けたたましい音が鼓膜を震わせた。何が起こったのか理解できず、反射的に身を竦ませる。恐る恐る音のした方を見ると、先ほどまで停めていた自転車が、無残な姿を晒していた。大きな石が落ちてきたのだろうか、フレームは歪み、前輪はぐにゃりと折れ曲がっている。

心臓が早鐘のように打った。一体、何が起こった?落雷にしては、空は晴れている。周囲を見回しても、他にそれらしいものは見当たらない。ただ、あの祠だけが、先ほどよりもさらに深く、不気味な影を落としているように感じられた。

いてもたってもいられず、私は周りに散らばった石をいくつか脇に寄せた。潰れてしまった自転車に、申し訳ない気持ちが湧き上がった。リュックから飲みかけのペットボトルのお茶を取り出し、祠の前にそっと供えた。「ごめんなさい」小さく呟き、自転車をそのままに私は早足でその場を後にした。背中に、じっとりとした視線を感じたような気がしたのは、きっと気のせいだろう。

翌朝、いつものようにテレビをつけると、ローカルニュースが流れていた。近所の中学校に通う15歳の男の子が、昨夜から行方不明になっているという。画面に映し出された、あどけない笑顔の少年の写真を見た瞬間、私の背筋に、ぞっとするような悪寒が走った。昨夜、あの祠の近くで……。まさか、そんなはずはない。ただの偶然だ。そう言い聞かせようとしたけれど、あの祠の不気味な闇と、潰れた自転車の光景が、どうしても頭から離れなかった。

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