第6章 変わらない居場所
第39話 巣立ちの時
朝日が眩しく照りつけ、柔らかな風が吹く。朝日を浴びた山々が、まるで私たちの門出を祝うように。
結局、荷造りも時間がかかってしまったのでその日中に帰ることはできなかったし、みんな疲れてたので一晩お屋敷に泊まって帰ることになった。
早朝、荷物を馬車に運び込む際、私は集まっていたみんなに訊く。
「ショイとヴェルデは昨日、どこにいたの?」
すっかり聞きそびれていたのよね。私がウィルバート殿下と登場したあと、彼らはどこにいたのかしら。
するとショイがすぐに答えた。
「おいらたちは主に王子側のやつらとやりあってたな。向こうもそれなりの数を揃えてきてたからよ」
なるほどね。外はそんなことになってたんだ。
「なんというかまぁ、この日のために防壁を造らされたんだなと思ったな」
そう言うヴェルデは頬に傷を作っていたようで、顔にガーゼを当てていた。リタとパウラが手当してくれたみたい。
確かに新しい防壁のおかげで、周囲の町に知られることなく穏便に済んだそう。
改めてお義母様の用意周到さに感服するわ。
「まぁ、あの王子もただのバカじゃねぇよな。一応、自分の配下を引き連れてはいたさ。だが、ほとんどの貴族がすぐに戦闘放棄してたし、使いの人間どもくらいじゃなかったか? 戦い慣れしてねぇ人間なんざ相手にもならねぇよ」
「そうだったのね……あんなに武器を作るのも嫌がってたあなたたちが、私のために……ごめんね」
彼らのことを思うと涙が出てきちゃうのよ。
「なぁに、ドワーフだからな。別に問題ないさ。それに大事なもんを守るためなら、武器だろうがなんだろうが作るし、戦いもする」
ヴェルデは腕を組んで言った。ショイも真似して威張るように鼻息を飛ばす。
「そっかぁ。でも怪我までして……先生の傷薬、帰ったら飲んでね」
「いや、オレはそういうのはいい」
たちまちヴェルデの顔が強ばる。
「どうして? すぐに治るのに」
「ヴェルデってば、こう見えて薬が大嫌いなのさ」
「ショイ! お前はまたいらんことを!」
ショイの軽口にヴェルデがすぐに怒る。ドワーフたちは追っかけっこをはじめたので、私はやれやれと首を振り、荷物を運び込むグレルとリタを労いに行った。
「二人もありがとうね」
「いえいえ、別に俺は戦闘には参加してないんで」
グレルが真っ先に照れたように笑いながら言う。
するとリタがじっとりとした目でグレルを見上げながら口を開いた。
「この方、ついてきたはいいけど武器も使えないし、大した戦力になりませんでした」
「いやぁ、俺は非力な商人なんでぇ。運び屋くらいしか取り柄がないんすよぉ。それにほら、王子が絡んでるってなると自分の立場も……いや、ゲフンゲフン」
何やらごまかそうとしてるけど、なんとなく考えてることはわかったわ。
王子に楯突く平民だなんて、前代未聞の大事件だものね。
「とはいえ、グレルさんは私たち使用人へ、うまく指示を出してくださいましたよ」
そうフォローするのは、杖をついてやってきたパウラだった。
今回の騒動で大忙しになり腰を痛めてしまったようなのよね。
フォローしてくれたパウラの後ろでグレルが「えへへ」と照れ臭そうに笑う。
「モーリッツさんたちもお屋敷で何が起きているのか、やっと把握できたと思います。本当に奥様は一人でなんとかなさるつもりだったのでしょうね」
パウラは言いながら、お屋敷の大門を見やった。
トーマンやエカード先生、執事のモーリッツ、メイドたちが私の荷物を運び出してくれている中、お義母様の姿は見えない。
すると、パウラが真剣な口調でかしこまって言った。
「カトリーナ様。私はもうカトリーナ様にお仕えする資格がございません」
「え?」
「カトリーナ様が家を飛び出して、心配だったことは本当です。しかし結局はその主人を裏切る形となり……私はどうしたら良いかわからなかったのです。奥様とカトリーナ様が手を取り合うには、どうしたらいいかと」
そっか。パウラはずっと、私のことだけでなく親子の絆も危ぶんでいたのね。
「私は、もう胸を張ってカトリーナ様をお守りすることができません。どうかご容赦ください」
それはこれまでずっと私を優しく見守ってくれていたパウラの、最初で最後のわがままかもしれない。
本音を言えば、パウラにはずっとそばにいてほしい。でも、自分の人生を歩んでほしい気持ちもある。
「パウラ……」
「パウラぁ」
リタまでも私の横でメソメソと泣いた。
「あらあら、リタったら。いけない子ね。主人の前で泣き顔なんてもう見せてはダメよ。あなたはこれからカトリーナ様の右腕になるんだから」
「うぇえええぇええん、パウラぁぁぁ」
リタは素直にパウラに抱きついた。
そんな彼女たちを私も上から包むように抱きしめる。
「パウラ、ずっと元気でいてね。もう無理しないで」
「えぇ、大丈夫です。奥様と坊っちゃまのためにのんびりと働かせていただきます。お手紙もお出ししますね」
そんな話をして、しばらく私たちは心ゆくまで抱擁した。
「そんな根性の別れみたいに泣くことはないだろう」
いつまでもぐすぐすしていると、エカード先生が呆れたように笑ってくる。
やがてリタ、ショイ、ヴェルデが馬車に乗り、グレルは自分の幌馬車の定位置に座りはじめた。いよいよ出発ね。
私も先生と一緒に馬車へ乗って帰らなくちゃいけない。
「姉上」
それまで大人しかったトーマンがおずおずと一歩ずつ近づいてきた。私の手をガシッと掴む。
「姉上……僕はやっぱり、母上と姉上の仲を取り持つことができませんでした。申し訳ありません」
「そんなの、あなたが気にすることじゃないのよ」
だってこれは私とお義母様の問題だもの。
「除籍もないし、私はただこれからも家出した令嬢として生きてくだけよ。何も変わらないわ。そういうことに、しておくみたいだから」
お義母様は除籍の件を認めてはくれなかった。
きちんと話し合うことができず、スッキリしないけれど仕方ない。
「これで本当にいいのかわからないけど、まぁなんとかなるでしょう」
「姉上はいつも強いですね。姉上が男だったなら、立派な伯爵として務めを果たせたと思います」
トーマンはいつになくしおらしい。まぁ、まだまだ十五歳だものね。
そんな彼の前からいなくなるのは姉として心残りではあるけれど、これも仕方のないことね……。
「何を言ってるの。あなたは立派な伯爵になれるわ。なんたって、お父様の自慢の息子なのだから。それで、名を挙げて私に魔剣を作らせてちょうだい」
トーマンの手を握り返し、私は力強く言う。
すると彼の目もようやく光が戻った。
「姉上ぇぇぇ〜!」
辛抱たまらなくなったのか、トーマンは私に覆いかぶさるようにギュッときつく抱きしめる。
「と、トーマン、ごめん、苦しい。姉上、苦しがってるんですけど……」
「おい、トーマン。いい加減に離れろ」
エカード先生もトーマンの力強さにおののき、私から彼を剥がそうとする。
それでもトーマンは私をしっかり抱きしめて離さなかった。
「いやだ! 僕もやっぱり一緒に行く!」
「あーもう! 聞き分けなさい! さっきまでの私の発言、全部撤回させる気!?」
そんな一悶着をしていると、背後からコツコツと硬いヒールの音がした。
「何をしているの。さっさと出て行きなさい」
お義母様が仁王立ちし、私たちの滑稽な様子を厳しい目で睨んでいた。
「トーマン、あなたはここ最近、ずっと剣のお稽古をサボっていたわね。今日からたっぷり指導してもらうよう王都から先生を手配したわ」
「えっ、あ、はい……母上」
トーマンは再びしおらしくなり、私から離れた。
お義母様の横に並んでしょぼんとした様子は、怒られて落ち込む子犬みたい。
私もなんだか緊張してしまい、まともにお義母様の顔が見られない。
「お義母様、まさかお見送りにきてくださったんですか?」
「別にあなたのためじゃないわ。油を売ってるトーマンを連れ戻しにきただけ」
「あ、そうですよね。あははは……はぁ」
愛想笑いが枯れる。ため息も出てしまう。情けない。
ダメよ、カトリーナ。せっかくのチャンス。ここできちんとけじめをつけないと。
私はドレスを掴み、優雅に一礼した。
「お義母様、今まで育ててくださりありがとうございました」
すると、お義母様は一拍置いて嫌そうに返した。
「あなたは私の娘でもなんでもないわ」
「それでも、私はあなたの娘として生きてきました。何度も衝突し、何度も嫌な思いもしましたが、ここまで立派に育ててくださった御恩は忘れないつもりです」
お義母様のように毅然とした態度を見せる。
すると、お義母様はため息をつき、目を伏せた。
「せいぜい、現実の厳しさに打ちのめされることね。あなたもこれでわかったでしょうけど、この世界はあなたが思っているより甘くはないわ」
「はい。その通りです。お義母様のような人に利用され、搾取されることもあるでしょう。これからもっとつらいことがあるかもしれません。でも」
でも、私は私だから。何度その信念が揺らいでも、自分をやめることはできないから。
「私は、この人生に未練を残したくない。きっとまっとうしてみせます」
背筋を伸ばし、笑顔を見せる。
お義母様は私をまっすぐ見つめ、しばらくして「そう」とつぶやいた。
「好きにしたらいいわ」
「はい! そのつもりです!」
「まったく……あなたのそういうところが、憎らしいのよ」
お義母様はさらに小さくつぶやくと、くるりと踵を返した。
「あ、お義母様!」
「まだ何か?」
うんざりしたような声。背中はいつもより小さい。
そんな
「行ってまいります!」
言葉は返ってこなくてもいいの。私らしくけじめをつけたかっただけだから。
お義母様は一瞬振り返ろうとしたけど、すぐに一歩踏み出してお屋敷に戻って行った。
「まったく、あの人はやっぱり不器用だな」
それまで黒子に徹していたエカード先生がため息まじりに言う。
「本当にそうですね。まったく、うちの母は仕方がない人です」
私も軽口を叩き、目尻に溜まった涙をこっそり拭う。
やがて、パウラたち使用人やトーマンが手を振る中、私たちは帰路についた。
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