第36話 刹那
そうこうしているうちに壁の向こう側が騒がしくなってきた。人が近づいてくる。
これにウィルバート殿下も焦りを見せ、舌打ちすると私を思い切り突き飛ばした。
「きゃ!」
「この役立たずめ」
そう吐き捨てると、彼は偽魔石ライトを取る。
「ダメ! やめてください!」
私は反射的に飛び上がり、殿下の腕にしがみつく。こうすることしかできない。
「離せ!」
「離しません!」
そんな応酬をしていると、食堂のドアが蹴破られた。
「カトリーナ!」
エカード先生がクロスボウを持って現れた。それはいつぞや私が作ったものよりもスリムで、先生の薬瓶がはめこまれている。
ヴェルデたちが作ったのかもしれない。
先生はクロスボウをこちらへ向けた。その顔は引きつっている。
「君、誰に向かってその武器を向けているんだ?」
ウィルバート殿下が怒りをにじませた声で唸る。
私は殿下の腕にしがみつき、偽魔石ライトの発射を抑えようとしている。
廊下では殿下の使いの人たちと交戦するような音が聞こえてくる。
エカード先生は武器を持ったままピタリと動きを止めた。
「エカード先生、お願いです! ここは一旦引いてください! でないと、先生たちが捕まっちゃう!」
私は苦し紛れに言った。
その瞬間、殿下の腕が私を思い切り振り払う。弾き飛ばされ、テーブルの角にみぞおちを打ちつけて床に崩れた。
「うぅっ……」
「カトリーナ!」
エカード先生の声。今にでもこちらに飛び出してきそうな剣幕。
それを制する殿下の冷ややかな牽制。
「動くな」
ウィルバート殿下は私に偽魔石ライトの砲口を向ける。
ほどなくしてエカード先生だけでなく、グレルやリタ、パウラも駆けつけてくる。
「お嬢様!」
「カトリーナ様!」
「騒ぐな! この娘を撃つぞ」
殿下の低い声が食堂にこだまし、全員が息を詰めた。どうしてこんなことに……。
そんな中、エカード先生だけが冷静に口を開く。
「ウィルバート王子、こうなった以上、もうあんたは終わりだ。一国の王子でありながら国家転覆を図るなんて」
「おや、誰かな、そんな恐ろしいことを考えるのは。あぁ、あの女か。ハリエットは私の忠実な下僕だったが、あいつもしくじったのかな」
強い痛みのあまり、うずくまるしかない私はその言葉を聞いても思考がうまく回らなかった。
リタとパウラが同時に息を呑む。
エカード先生がため息をつく。
「王子、今ならまだ引き返せる……」
「うるさい! ハリエット! どこにいる!」
ウィルバート王子は裏返った声でお義母様を呼んだ。
その瞬間、背後から強い魔力を感じた。
「お呼びでしょうか、殿下」
お義母様が転移魔法で現れ、すぐに殿下の近くへきた。
「生きてたか」
「えぇ、少々手間取りましたが問題なく」
お義母様はそう言うと素早く私を立たせ、背後に追いやった。
よろける私は、暗い通路にいる誰かに抱きとめられる。
「これはすべてお前の責任だ。なんとかしろ」
「はい、万事整っております。これより、国王陛下が参られましょう」
ふわりと一歩進み出るお義母様は、冷ややかにそう言う。
「なんだと?」
ウィルバート殿下は不審そうに訊く。
「この者らは証人となりましょう。殿下の企みはすでに白日の下へ晒します」
「は……」
ウィルバート殿下は何かを悟ったかのようにハッとしたかと思うと、その顔が怒りに歪む。
次の瞬間、彼は武器を発射させた。
ドンと鈍い音がお義母様の体を突く。彼女の体がゆっくりと仰向けに倒れていく。
「母上!」
私の背後から鋭い声がつんざく。トーマンだった。私を抱きとめたまま視線は母に向けている。
エカード先生が前に踏み出していく。そして彼はクロスボウを下ろし、代わりに手のひらを殿下に向けた。魔法はその武器だけを弾き飛ばす。グレルとリタが飛んだ武器をキャッチしようと飛び出した。
その一連の動きも、私の脳はあまり認識していなかった。
お義母様を撃った殿下は蒼白な顔だけど、そう打ちのめされたようではなく、ただただ冷めた目でお義母様を睨んでいた。
倒れている。血を流している。お義母様が。嘘よ……。
「お義母様!」
私は痛みを忘れ、這うように飛び出した。
「お義母様!」
「母上!」
姉弟二人で飛び出し、お義母様に近づく。
彼女は目を閉じていて意識がない。
するとエカード先生がクロスボウを上空に向け、食堂全体に魔法を放つ。
緑色のミミズクを模した魔法の光が現れる。翼が空間を覆い、ドーム状の膜が張られる。
「ウィルバート王子、今しがた結界を張りました。ここで起きたことすべて、この空間がすべて記録しています。言い逃れはできません。投降を」
エカード先生の静かな声がする。彼は無抵抗のウィルバート殿下を魔法で拘束した。
随分と手際がいい。でも今は状況を把握するのが難しく、私はお義母様を抱きかかえていた。
「お義母様、目を覚ましてください! お義母様!」
どうしよう。血が溢れて止まらない。
パウラが駆け込んできて、私からお義母様を取り上げようとする。
トーマンは涙を浮かべており、必死にお義母様に呼びかけている。
「リタ、他の使用人を呼んで! 早く!」
「わかった!」
そんな言葉が飛び交う。喧騒の中でも私とトーマンだけは時が止まったよう。
「カトリーナ様、止血をしなければ」
「嫌! やだ! お義母様が!」
「わかっております。パウラにお任せください」
取り乱す私にパウラは冷静で、お義母様はすぐに食堂から運び出されていった。
それを私とトーマンは呆然と見つめるしかなかった。
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