第10話 家出令嬢の譲れないもの
「どうしてここにいるの!?」
抱きとめられたままの格好で叫ぶと、トーマンはうっとりとした目で私を見つめた。
「どうしてって、姉上の居場所などこの僕にかかれば嗅覚だけで探れます」
「バカなことを言わないで! というか、もう大丈夫だから離れてよ」
そう言うとトーマンはなぜか私を横抱きにした。
「ちょっと!」
「姉上、お会いしたかったです」
「昨日の今日よ! いいから下ろして! トーマン、姉上の言うことを聞きなさい!」
彼の背中を叩くも「あははっ! 姉上が元気そうで何よりです!」と微笑ましく見つめるだけ。
まったくこの愚弟は! 去年くらいからずっとこうよ! そりゃ昔から私に懐いてくれるのはありがたいけどね、ちょっと私より力が強くなって背が伸びたからって、こんな風に横抱きにしてくるのはいかがなものかしら!
しばらくポコポコ叩いているも、一向に下ろしてくれないので諦める。
「はぁ……なんだってこんなとこにあなたがいるのよ。お義母様から連れ戻すように言われたの?」
少し落ち着いて訊くと、トーマンの浮かれた顔が一気に冷めた。嫌そうに顔を歪めて言う。
「えぇ、そうです。母上はあなたを血眼になって探しています」
「うーわー……」
「もうカンカンですね。ウィルバート殿下とのご婚約は破棄となりましたが、さすがに今回は……」
「何よ? 何かあったの?」
なんだか言い淀むトーマンに、私はぐいっと顔を近づけて訊く。
彼は目をそらし、気まずそうにボソボソと答えた。
「公の場で王子に恥をかかせたとして、姉上には貴族籍からの除籍を……求められまして」
「……そう」
あまり考えないようにしていたけど、それだけのことをしでかしたのだから、なんらかの処分は免れない。
暴君ではない我が国の王様、王子たち、それにお父様の功績も高く評価されているから極刑まではいかないとは思っていた。でもトーマンの言うように、王子に恥をかかせ、当家に泥を塗ったことは明らか。除籍だけで済むならまだ……
でも、いざその沙汰を突きつけられると心に堪えるものがあり、頭が真っ白になった。
「おそらく母上もそのつもりです。とにかく屋敷へ戻って釈明しろと仰せですが、僕はおすすめしません」
「あなたも私と共犯だものね……」
あの日、私は無理やりドレスを着せられ、お義母様に引っ張られながらお城へ向かった。
──お義母様、私の話を聞いてください!
──いいえ、聞きたくないわ。あなたは私の言う通りにしていれば幸せなの。これはお父様の願いでもあるんだから。
──でも、私は……私は、それを望みません!
──あなたの望み? またくだらないことを言うんでしょう? もううんざりよ!
お義母様はちっとも耳を貸してくれなかった。挙句、王子が他の女性と楽しげに話をしているところに割って入り、挨拶をさせようとしてきた。もうこんな横暴は私だってうんざりだった。
『私はあなたとの婚約は望みません! このお話はなかったことに!』
そう言い捨てて逃げた。
「あれは僕も母上が悪いと思います。無理強いはよくない。姉上の幸せを考えるならば、あれは愚策でしたよ」
トーマンはいつでも私の味方だ。私の顔を覗き込み、優しく微笑む。
「大丈夫です。僕が姉上をお守りします」
「いや、待って。あなたは私を連れ戻しにきたんでしょ? 言ってることが全部矛盾してるわ」
「いいえ! 確かに僕は姉上を連れ戻すよう言いつけられましたが、そのつもりはまったくございません!」
「え、じゃあ何しに来たのよ」
「ただ姉上に会いに!」
自信たっぷりに言わないでよ!
「トーマン、あなたねぇ……私のこと大好きすぎるわ。いつまで抱いてるつもりよ」
「僕は姉上不足で飢えてました! これくらい許してください!」
「だから昨日の今日でしょ! あーもう、下ろしなさい! さもないと……」
威勢よく言ったものの、彼を降伏させる術が見つからない。どうしよう。
そこで私は手に持っていたものにようやく気がついた。魔石ライト、持ってきてたんだわ。
「えい」
カチッと魔石をはめこみ、トーマンに光をぶつける。
「うわぁっ!」
目に直撃したせいでトーマンは顔を仰け反り、手で顔を覆った。
支えられていた手がなくなり、私はあっけなく地面に落ちる。
「きゃっ!」
「あぁっ、姉上! ごめんなさい!」
「いえ、いいのよ……」
あいたたた。お尻を思い切りぶつけちゃったわ。
それにしても魔石ライトの威力がすさまじい。これは長く目に当てるとよくないわね。魔石を取って光をおさめる。
「なんだか珍妙なものをお持ちですね。目がチカチカします」
「こういうときに相手を撃退するのにも使えそうね。改良の余地があるわ」
「撃退なんて物騒な」
トーマンは目をグリグリ揉みながら不服そうに言った。
「ところで姉上は昨夜からどこに寝泊りされてるんですか? しかもその格好……なんだか男物のようですけど」
「あぁ、これはね……」
説明しようとした口が開いたまま止まる。
そうだわ、私、エカード先生と口論になって飛び出したんだった。どうしよう!
「あ、いたいた、カトリーナ様ぁ〜!」
トーマンの背後からグレルの声がし、顔を覗かせる。
グレルとエカード先生がこちらへ駆けてくる様子が見えた。
すぐさまトーマンが振り返り、腰にさしていた銀色の剣を抜く。
「誰だ!」
「いや、あんたこそ誰」
グレルが驚いたように言い、その場に固まる。
「トーマン、やめて」
「しかし姉上」
二人でそんな応酬をしていると、エカード先生が前に進み出た。
「君、カトリーナの弟のトーマンか」
「その顔は……エカード・エアフォルク!」
トーマンは一層敵意むき出しに叫んだ。
先生に剣を向けようとする。でも、エカード先生はひらりと身軽に躱して興味深そうに言った。
「へぇぇ、大きくなったなぁ」
「子ども扱いするな!」
「はは、相変わらず嫌われてるな、僕……まぁいいや。姉上を迎えに来たのかい」
のんびりとした口調は、さきほど私と口論していたとは到底思えないほど落ち着いている。
そんなエカード先生に対し、トーマンは警戒心をあらわにしたまま渋々剣を鞘に収めた。
「今、エカード先生のところでお世話になっているのよ」
落ち着いたところで話をしてみるも、トーマンは「へー」と低い声で返事するだけで取り合ってくれない。
「それはどうも、うちの姉上が世話になりました。しかし、僕はあんたを認めない! 絶対に認めないからな!」
「もう、トーマン、やめなさい!」
「姉上、やっぱりダメです。家出したいなら、姉上のご友人のところへ行きましょう。そのほうがいい。そうするべきだ」
「ちょっと、落ち着きなさいってば」
トーマンの勢いは止まらない。鼻息荒くする弟をどうにか押さえ込もうとしていると、エカード先生が私をじっと見て言った。
「カトリーナ」
「は、はい……」
「弟君の言う通りにしたらいい。僕もそうするべきだと思う」
「えっ!? 先生、何をおっしゃって……」
トーマンに言われたからって、何もその通りにする必要はないわ。
私はあわててエカード先生の前に躍り出て、彼の顔を覗き込んだ。
「待ってください! 確かにさっきは言いすぎました。でも、先生だって譲らないし、言う通りにしろだなんて」
「そう。僕も言いすぎた。あんなふうに言って君を縛りつけようとするなんて最低だ。だから、君は僕から離れるべきだと思う」
私は言葉を失った。
彼の顔は無そのもので、何も読み取れない。そして私から目をそらし、くるりと踵を返す。
グレルがおどおどと私と先生の様子を窺う。トーマンは首をかしげている。
私は一歩遅れてエカード先生の後ろをついていった。
「待って……先生、エカード先生! 私の夢は? 先生の夢も、どうするんですか! ここで終わりですか!?」
先生は答えない。グレルの横を通り過ぎ、家路へ向かおうとする。
「ちょっと先生……勝手に決めないで!」
私は全身全霊で叫んだ。
エカード先生の足が止まる。でも振り返ってくれない。
なんでみんな、私の言葉を封じて勝手に決めるのよ!
悔しい。悔しくて、涙が出てくる。泣きたくないのに。
「姉上……」
トーマンは私の大声に圧倒されたのかオロオロする。
「トーマン。私ね、モノづくりがしたいの。やっと見つけた夢なの。だから、邪魔しないで」
自分でも驚くほど低い声が飛び出し、トーマンは息を呑む。
私の顔はどんなだろう。悔しくて涙を流すまいとぐしゃぐしゃに顔をしかめているかも。
「お嬢様の気迫じゃねぇや。なあ、旦那」
グレルがその場をなだめるようにおどけて言うけど声に力がない。
それでもエカード先生は振り返らない。
「エカード先生、私が貴族だから一緒にいたくないんですか?」
貴族へのコンプレックス。そして、私が令嬢だからという遠慮。つい口が滑って自責の念を感じてしまう。そういったところでしょう。いくら私が慕っていても、彼が壁を感じるというなら破壊するまでよ。
「だったら、私は貴族籍を除籍します」
「なっ、カトリーナ、君……」
すぐさま返ってくる言葉とともに彼はようやく私を見る。
「ちょうどそのような沙汰がきました。これで私はライデンシャフト家の令嬢じゃありません」
「姉上、それはまだ……」
トーマンがおずおず言うけど、その口を塞ぐように私は肩幅に足を広げ、腰に手を当ててふんぞり返った。
「先生はすべて捨てて自由を手に入れた。だったら、私もそのようにします! そもそもそのつもりで家出したんですから!」
私は自分らしくあることをやめない。
自由がどんなに愚かで過酷だとしても、見通しが甘くても、絶対にくじけないんだから。
「私は先生からなんと言われようとへこたれませんよ。お金の交渉も不当だと思ったら言いますし、先生が悪に染まろうとしたら全力で止めます。お覚悟を!」
ビシッと人差し指を突きつけると、エカード先生は目を伏せて深いため息をついた。
「……今後もこういうことが起きるぞ」
「望むところです」
「本当にわかってるのか? 僕は自由を得るために金を稼ぐことを第一に考える。それが嫌なら、僕と一緒にいるのがつらいのは君だよ」
「ふふっ」
つい噴き出すと、先生は怪訝そうに片眉を上げた。
「何がおかしい?」
「だって、そうやって私を気遣ってくださるので問題ありません!」
なんだかんだ言ってエカード先生は非情になりきれないのよ。
彼の困った顔を見ているとよくわかる。
私は先生の手をとり、にっこりと笑った。その瞬間、私のお腹がぐぅうううううっと情けない叫びを上げる。
これには、気まずそうな顔をしていた先生も笑いを堪えられなかったらしく、くはっと噴き出した。
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