sideA−1 エカード・エアフォルク

 最後に会ったのはもう十年ほど前になるだろうか。

 僕が学術研究所をクビになったとき、彼女はまだ幼かった。生まれつき魔力消費が激しくて、僕が生成した魔力増強剤を飲まなければ生きていけなかった。ひな鳥みたいによちよち歩きの頃から、僕の後ろをついてまわってにっこり笑う彼女は、とても弱くて脆い生き物だった。

 錬金術師として初めて与えられた仕事だったが、最初の頃は不満を感じていた。貴族令嬢のお守りだなんて、と。

 だから別れの際も、ただ長年勤めていた仕事を離れるだけだと思っていた。

 でもいざ離れてみるとわかる。彼女と二週間に一度会って診察がてら話をすることはすでに生活の一部になっていたんだと。


 こうなったのは自業自得。一生不自由を強いられるくらいなら、無味乾燥な未来を捨てて自由を手に入れてやる。そう決めたから、すべてを捨てたんだ。

 僕はただ自由に想像を膨らませ、創造したいだけ。


 カトリーナ。君には僕のような人生を選んでほしくない。


 それなのに、あの娘は……王子との婚約を蹴って、実家にいられなくなったのは容易に想像できたが、だからって僕のところに来るか?

 普通は来ないだろ。ていうか、もうとっくに僕のことなんか忘れてたと思ってたんだけど。


 玄関前で倒れているのを見て、あのストロベリーピンクの髪の毛ですぐわかった。

 人の顔をあんまり覚えられない僕がよく覚えていたなと自分で感心するほどだった。


 案の定、長旅で魔力消費していて体が弱っていたし、昔にも飲ませていた魔力増強剤を含ませておいたけど。

 まったく、勘弁してほしい。これじゃあ亡きライデンシャフト伯爵に顔向けできないだろ。


「はぁ……無事に帰り着いてくれよ」


「なにをブツブツ言ってるんだい、錬金術師さん」


 フードの男が僕の前を歩き、振り返る。

 そうだった。この不気味な男の相手をするのが嫌すぎて現実逃避してたんだった。

 ちょっと外の空気を吸いに出たら、グレルの馬車がこいつに絡まれてるから仕方なく引き剥がそうとしたわけだが。


「別になんでもない。あ、ほら、ここにしよう」

「はぁ? 酒場じゃないけど」


 ただの空き地にたどり着き、男は素っ頓狂な声を上げる。

 僕はフッと軽く鼻で笑った。

 バカが。町の酒場なんて連れてくわけないだろうが。

 それに人気のない場所じゃないと薬の売買ができない。別に危ない薬を売っているわけじゃないが、学術研究所を追われた僕の薬は国の検閲を通さないもの。そのおかげで、市場に出回っているものより効能がいいものを作って売っている。


「君が飲みたいのは僕の薬だろ。それ飲んだらとっとと消えろ。魔物や魔獣がいる場所にでも行って実力を試すんだな」


 冷え冷えとした声で言うと、男は僕を睨みつけた。爪を噛み、イライラとしたようになにかをつぶやく。


「……にしやがって」

「もうすでにヤバい薬使ってそうだな。ったく、この町も治安が悪くなったもんだ」


 こんなやつに僕の高尚な薬を売るのはかなり嫌なんだけど。

 どうしようか。魔法で攻撃……は、できないな。足がつくのは避けたい。

 一応、護身用のナイフは持ってるけど、これもあまり使いたくないな。


 仕方なく僕はマントの下から小瓶をいくつか出した。

 魔力増強剤。紫色をした、とろみのある液体は僕が得意とする生成した薬で、これは昔、カトリーナにも与えていたものだ。他にも栄養補強剤、回復薬、嗜好品としてもいける清涼飲料、精力剤、睡眠薬などなどあるけど。

 まぁ、こいつが欲しいのは魔力増強剤だろうな。

 小瓶をちらつかせれば、男がわずかに顔を上げる。


「通常は金貨五枚で取引してるんだが、今回は特別に金貨一枚でいい」


 やれやれ。もっとふんだくってやりたいけどな。

 手のひらを差し出すと、彼は銅貨を一枚投げて寄越してきた。僕の足元でくるくる回転し、地面にへばりつく。


「おい、なんの冗談だ、これは」


 バカは言葉もわからないのか?


「手持ちがそれしかない。まけてくれ」

「はぁ? 通常の金額からかなり譲歩したんだぞ。それともなにか? 金の数え方もわからないボンクラなのか?」


 腕を組んでそう言うと、男は首をかしげた。フードの下から血走った目を向けてくる。

 あ、しまった。イライラしすぎてつい本音を言っちまった。

 神経を逆撫でしたのか、男はブツブツと低い声で恨みごとをぶちまける。


「あー、そうかよ……ふーん。そうか、そんなこと言っちゃうんだァ。ハハッ、これだから鼻持ちならない錬金術師はさぁ、ほんとぉぉぉぉにムカつくよねぇぇぇ」

「だから、金さえ払えばいいって言ってんだろ」


 僕も苛立ちを隠さず、腰にさしたナイフを握る。

 これは少々手荒な真似をしなきゃダメそうだ。


 すると突然、背後から物音がし、野太い声が轟いた。


「それじゃあ力づくで奪うしかねぇなぁ!」


 すぐさま振り返ると、大岩のような巨漢が襲いかかってきた。その数、五人。男たちが一斉に飛びかかってくる。

 ひらりと脇に避けると、巨漢の拳が切り株に命中した。


 あっぶな……。


 切り株が真っ二つだ。素手でやってそれ? 魔力を増強したら怪物になるんじゃないのか、こいつら。


「チョロチョロ逃げやがって! お前ら、さっさと捕まえろ!」


 フード男の怒号とともに、男たちが僕を取り囲む。

 クソッ、油断した──!


 昔からどうにも丈夫じゃない体なので喧嘩にはめっぽう弱い。そのぶん、口での喧嘩は強くなった。今この状況じゃまったく通用しないんだけど。

 僕はとっさに魔法で風を起こした。強い風は竜巻となり、屈強な男たちの動きを鈍らせる。

 その間に魔力増強剤を飲もうと瓶を出した。これでやつらを眠らせるような魔法を一発ぶっぱなそう。


 喧騒が聞こえる風の中、ぐいっと小瓶の薬を飲む。身体中を巡るエネルギーを感じる。


 ん? エネルギー?


 僕は小瓶を見た。わずかに残った液体の色は黄色。しまった……これ、栄養補強剤だ。

 呆気にとられていると、風をかき分ける猛者が背後からヌッと現れ、僕の襟首を掴んで持ち上げた。

 フード男のニヤけ顔が見える。

 掲げられた僕は、思い切り地面に叩きつけられた。たちまち風がやみ、形勢逆転。男たちがマントの中をまさぐり、薬の小瓶を奪っていく。


「おい、コラ! 金払え! 金さえ出せば売ってやるって言ってるだろ!」

「お前、状況わかってねぇのか?」


 巨漢の拳が思い切りみぞおちに入る。

 クッソ……衝撃が強すぎて声も出ない。

 内臓が潰れたか、骨が砕けたか。どっちもありそう。

 ダメだ、こいつらまともな連中じゃない。


「散々バカにしやがってそのザマかよ! 情けねぇなァ! ははははっ!」

「こいつ、もう殺すか?」

「あぁ、どのみち、こいつは国のお荷物だって噂だしな! ぶっ殺しゃ国も喜ぶだろうよ!」


「やれるもんなら、やってみろよ」


 口だけは達者なものだから、この期に及んでもそう言ってしまう。

 僕の声は弱々しいが嘲笑も忘れずに添えてやれば、男たちはまるでおもちゃで遊ぶかのように僕の全身を殴りつけた。


 大丈夫。死ななければ、あとで回復薬を飲めばいいんだし。

 少しでもこいつらをここで足止めできたら、それでいい──


「そこまでよ!」


 夜闇に突き刺さるのは、凛とした強さを帯びた娘の声。

 視線の向こうに、ダイヤのような輝きを放つカトリーナの姿があった。

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