壊れた妹と見えない束縛

紫糸ケイト

第0話 壊れた妹


 

 目覚ましが鳴るよりも早く、日が昇るよりも早く俺の一日は始まる。

眠たい体に心で鞭を打ち、冷たい水で顔を洗って無理矢理意識を覚醒させ、ボロ家を後に自転車に跨り目的地に走る。

 

「……さっむ」

 

 短かった秋が終わり、長い長い冬が少しこんにちはしているような冷気を受けながらも俺はペダルを漕ぐのを止めない。

しかし朝には元々強くなかったせいなのか、気合いが足りずぼーっとしていたせいなのかは分からないが、マフラーを忘れてしまった事を首元から入る冷気が教えてくれる。

 

 取りに戻ろうかと考えたが、少しでも時間が欲しいので先に進む事に決め、さらに冷気を浴びる。

 

「おはようございます」

 

「おはよ、今日も一番乗りだね、妹迫ゆう君」

 

 目的地に着いて、何度も割れて修復を繰り返したであろう冬月配達店と書かれたすりガラスの引き戸を開け挨拶をすると、中にはだるそうな顔をしながらタバコをくわえているお姉さんが挨拶を返してくれる。

この時代に職場で、しかも室内でタバコはいいのだろうかと考えない事もないが、言って仕事を減らされるのは避けたいので一度たりとも口にした事はない。

 

「冬月さん、今日の分はどれですか?」

 

「えーっとね、そこの机の上にあるでしょ、いつもの赤いカゴのやつ」


 赤いカゴには、新聞がぎっしりと詰められている。

今日は新聞か……牛乳とかの飲み物の方が早く終わるからタイパいいんだけど、仕事に文句を言っても仕方ない。

 

「それで、冬月さんの分はどこですか、青色のやつ無いですけど」

 

 赤いカゴの他には白いカゴや黒いカゴと様々なカゴが置かれている。

ここ冬月配達店で働く配達員は自分の色が割り当てられていて、俺の色は赤、だから赤いカゴの中身を配達すればいい。


「え、今日も私の分やってくれんの?」

 

「はい、だから早く出して下さい」

 

「何、もしかしてお姉さんの事狙ってる? 少しでもお姉さんからのポイント稼ごうとしてるの?」

 

「冬月さんみたいな素敵な人と俺じゃ釣り合わないですよ、あ、その冬月さんポイントは現金に換えられますかね」

 

 冬月さんは笑いながら自分のカゴを取り出して、牛乳を詰めてくれている。

笑いにくい冗談を言ってはいるが、彼女は俺の状況を理解し、色々と相談にも乗ってくれるし、言葉だけでなく仕事を回してくれて、金を出す事で間接的にだが俺を助けてくれている素晴らしい大人だ。

借金だけ残して消えた俺の両親とは比べ物にならない程の……クソ、ダメだ、あんなクソ両親の事は考えるな。

 

「現金にはならないけど、このスーパー美人と貧乏男子高校生の釣り合いが取れるぐらいポイントを貯めたら、愛に変えられるかもよ」

 

「あはは、今は恋だ愛だと言ってられる状況じゃないですよ」

 

 冬月さんは吸い殻を灰皿に押し付けて、新しいタバコを取り出して火をつける。

さっきまで笑っていたとは思えない程、真面目な顔をしていて、ただでさえクールな顔をしているのに、真面目な顔は少し怖いぐらいだ。

 

「ゆうかちゃんの具合はどう?」

 

「最近は学校にも行ってますし、少しづつですけど回復してますよ」

 

「……ま、それならいいんだけど」

 

「それじゃ、行ってきます」

 

 冬月さんのカゴを受け取り、自転車から落ちないようにロープで縛り付けておく。

これをしないと、走っている最中にカゴどころか中身が飛び出して彼女にめちゃくちゃ怒られる事になるし、そうなれば給料も減らされてしまうのでしっかりと念入りに縛っておく。

 

「……ゆうかの為だ、頑張るぞ、俺」

 

 俺の妹、妹迫ゆうか。

真面目で成績優秀、誰にでも分け隔てなく接する姿勢にスポーツ万能。

それに実の兄である俺から見ても可愛い見た目、非の打ち所がないとは妹の為にある言葉だと言っても過言ではない自慢の妹……だった。

 

「俺がしっかりしてなかったから、俺が側に居なかったから……クソッ!」

 

 配達をしながら、あの時の事を思い出す。

事件は先月、妹が友達と秋祭りに行った時に起こった。

 

妹の友達と妹と俺の三人で祭りに行くって話をされていたのに、俺はそれよりも放課後のバイトを優先した。

自分でも分かるが、祭りに少し遅れて途中参加すればいいだろうと、人の約束を無視するようなクズみたいな事をしていたんだ。

 

『兄さん! 約束は守ってくださいよ!』

 

 そんな事を言われても、少し遅れるだけだろとしか思わず。

予定通り遅れて祭りの会場に向っていると、妹の友達から電話が掛かってきて、珍しいなと思いつつ出てみると、慌てているような声で。

 

『ゆうかちゃんが連れて行かれた!』

 

 そう、聞かされた。

頭の中が真っ白になりかけつつ、俺は直ぐに警察に連絡しながら祭り会場に向い、叫ぶような声を上げつつゆうかを探し回った。


 五分ぐらいして、俺は妹を見つけた。

そこには……殴られた痣と、着ていた制服を脱がされて下着だけになって泣いている妹と、大学生らしき男が三人いて……そこからは覚えてない。

 

 後から警察に言われた事だが、俺は殴り蹴られ、ボロボロの状態になりつつも妹を抱きしめ、奪われないよう必死に守っていたそうだ。

俺を追って警察を導いてくれた妹の友達には感謝してもしきれないし、あの時の俺を俺自身は褒めている。

よく守った、そう思い込んでいた。

 

『大丈夫か、ゆうか』

 

『兄さん……兄さん!』

 

 妹のケガもそこまで酷くなく、またいつもの日常に戻れると思っていた。

だけど、それは甘かった。

あの出来事がどれだけ妹にとって怖かったか、トラウマになっているのかを理解していなかったんだ。

 

「次で最後だな、さっさと終わらせて朝食作らねぇと」

 

 二時間弱の配達を終え、店に戻ると今日の分の給料が入った封筒だけが置かれていて、冬月さんの姿は無かった。

その代わりに、封筒にはメッセージが書かれている。

 

『お疲れ様、また明日も会いに来てね』

 

「……いやここに置いてたら他の人に取られるかもしれないからやめてくれって前に言ったじゃん」

 

 呆れつつ中身を確認すると、取られているどころか千円程多く入っていた。

ありがとうございます、冬月さん。

 

 給料を財布に入れて、俺は自転車を飛ばして家に帰る。

これも急がないといけない、じゃないと……。

 

「怖い……もう止めて下さい……殴らないで下さい……脱ぎますから……止めて……許して下さい……助けて、兄さん」

 

 家に着いた時、既に妹が起きていた。

電気を付けず、ガクガクと震えながら、暗闇の中で頭を抱えている。

その瞳にかつての輝きはなく、笑顔もない。

彼女が起きた時、俺が隣に居ないとこうなってしまう。

 

「ゆうか、俺はここにいるぞ」

 

 隣に座り、頭を撫でた後に抱きしめる。

これをしないと、妹は悪夢から現実には戻ってこない。

医者が言うには、トラウマが薄れるまではこれと薬で抑え込むしかないんだとか。


「……殴るの、やめてくれますか?」

 

「大丈夫だ、俺がずっとお前の側にいる、もうあんな怖い想いはさせない」

 

「……兄さん、なの?」

 

「ああ、お前の兄さんだ」

 

 震えが小さくなっていく。

そして、完全に震えが止まってから彼女から抱きしめ返してくれる。

これが悪夢から覚めたサインになっている。

 

「また……迷惑かけました、毎日毎日……ごめんなさい」

 

「家族だろ、迷惑とか言うなって」

 

 妹には頼れる親が居ない、それは俺もだが、心を落ち着けられる存在は俺しかいない。

俺だけが、妹を守れるんだ。

 

「えへへ……ん、くんくん……兄さん汗臭いですよ」

 

「うっせぇ、バイト終わりなんだよ」

 

「女の子に抱きつく前にはエチケットって物があるんですよ、まったく、これだから兄さんはモテないんです」

 

「ほっとけ」

 

「でもこの匂い、私は兄さんの匂いが好きです、安心できますから、大好きです」

 

この笑顔を二度と失わせない。


「俺も大好きだぞ、ゆうか」

 

「フフッ、今日もシスコン兄さんに告白されちゃいましたし、そろそろ起きましょうか」

 

お前が元に戻るまで、俺がずっと側にいるからな。

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