第3話 教え

 山賊の基本生活は、暴力と怠惰の連続だった。


 朝は早くない。誰も時間を決めず、腹が減った奴から火を起こす。

 昼は長い。仕事らしい仕事もない日は、獲物の話か、昨日の分け前の愚痴が、酒と一緒に垂れ流される。

 夜はうるさく、焚き火の周りに肉と賭け事と唾が飛び交い、殴り合いが起きたと思えば、泣き声や喚き声が響く。


 理屈もルールも曖昧。拳と刃と、声の大きさだけがものを言う場所。

 それが、自分が目覚めて以来、過ごしている世界だった。


 目を覚まして三日。まだ立つことはできない。でも、そのぶんよく観察して、現状を把握する。

 ぼろ布にくるまり、獣皮の天幕の中から、彼らの喧噪や習性を。


 汚い。うるさい。臭い。痛い。怖い。

 どれも、もう慣れたとは言わないけれど、毎日、繰り返されるうちに、少しずつ“理解”はしてきた。

 ここは、秩序ではなく本能と打算で動く人間たちの群れと言える。


 ただ……


 その中に、一人だけ異質な人間がいた。


 ノマド・ハイペリオン。

 この山賊衆【鉤爪】のリーダーであり、皆から“かしら”と呼ばれている男。


「ふぅー……」


 いつも葉巻を吸っている。その手はごつごつとしていて、右手の甲には幾何学的に描かれた“梟”の刻印がある。


 その刻印は、ここにいる山賊の全員が共通して持っているもの。

 見た目というか、衣服も他の人たちと大差はない。肩幅が広く、傷跡も多く、腰には刃物が鈍く光っている。


 違いがあるとしたら、背負っている大剣と、他の誰よりも“静か”なことくらい。


 怒鳴らない。笑いもしない。感情を大きく揺らすことがない。

 それなのに、喧嘩をしていた山賊たちが、彼に目をやるだけでピタリと黙る。


 最初は、恐れられているだけだと思っていたけど、彼は恐怖で山賊たちを従えてるんじゃない。


 毎朝、誰よりも早く目を覚まして、夜が明ける前に――誰にも気取られない足取りで、天幕を抜け出す。


「……なにしてるんだろ」


 焚き火のそばに立ち、しばし煙の流れを見つめている彼は、背に負った大剣を抜いた。その動きに、一切の音はない。


 ――そこから一閃。


 目を疑った。

 

 鉄が空気を裂くような、乾いた風切り音だけが、しんとした空気に微かに響く。重たく、鈍い鉄の軌道が、静寂を断つように野営地ごと両断するみたいに。


 誰に見せるでもなく。誰のためでもなく。

 ただ一人、正確に。無駄なく。磨き上げた動きだけを、淡々と、流れるように繰り返している。


「すごい……」


 硬くて大きな剣のはずなのに、その軌道はどこまでも滑らかで、澄んでいて、まるで――

 水のように、空気のように、剣が“そこに在る”ことすら忘れさせるほどに優雅だった。


 ……この人は、本当に山賊なのだろうか。

 そう思わずにはいられない。


 荒くれ者たちの暴れ方とは、根本的に違う。

 単なる腕力や殺し合いで身についたものじゃない。

 もっと研ぎ澄まされた、剣の道がある。


 一足一刀の間合いの取り方。身体全体を連動させた体捌き。

 下半身で重心を支え、腰から生まれる駆動。

 力に頼らず、刃を“通す”ための技術。


 ――全部が、きちんと出来ている。

 しかも、型に依存していない。崩してもなお、美しい。

 そんな感想を抱いた。


「なんだ、そんなジロジロ見てきて」


 自分の視線に気づいたのか、彼がぽつりと声をかけてきた。

 低いけれど、響きは妙に静かで、特に怒ってるわけでもなさそう……


 怖い、とは思わなかった。でも、別に安心したわけでもない。

 距離がある。それだけは、はっきりとある。


(この人は、何を考えてるんだろう)


 喧嘩の仲裁も、食料の配分も、焚き火の順番も、休む者と見張る者の交代すら、さりげなく整える。

 この【鉤爪】という無秩序な山賊集団の中で、彼だけが唯一、“仕事”をしている。


 無法者たちのなかに、秩序を――いや、正確には、“崩れない形”を保とうとしているのだと。

 でも、それが何のためなのかは、さっぱりわからない。


 仕切ってるようで、誰かに命令してるわけでもない。

 親分面してるようで、他の連中と酒を飲んだりもしない。

 よく見れば、言葉も少ないし、葉巻の煙を眺めてる時間の方が長いくらいだ。


 ……変な人だな、とは思う。


 優しいわけでも、怖いわけでもなくて。

 ただ、何かが“違う”ってことだけが、ぼんやりと伝わってくる。


 それでも、この人がリーダーなんだって、みんなが自然と扱ってるのは事実だ。

 殴り合いも、飯の取り合いも、この人が一声出すと止まる。みんな従うというより、逆らうのが面倒くさいって感じで。


「お前はとっとと寝ろ。警戒するに越したことは無いが、害を与えるつもりならとっくにしてる。安心しろとは言わんが、疑心を受け続けるこっちの気持ちにもなってみろ」


「……すみません」


「はあ、別に謝らんでいい。俺らは別にお前を敵だとは思ってない。強いていうならカルゴとかいう馬鹿が手を出すかもしれんがな」


「えぇ……」


 正直、聞きたくなかった情報だった。だが、彼はお構いなしに話を続けた。


「あいつは新入りだから融通が効かん。馬鹿だし学がねえし、金の稼ぎ方すら知らない。ここはそういう底辺の寄せ集めだ」


 自嘲とも説教ともつかない、ただ事実を並べるような、淡々とした口ぶり。


「まあそんな感じだ。邪魔はしない限り此処はある程度自由にできる。勝手に恩を感じたんなら、勝手に返してくれ」


 彼は、そう言ったきり、また元の場所に戻って剣を振り始めた。

 やっぱり、よく分からない人だ。



 ◆◇



 それから、少しずつ、この生活、この世界にもなれてきて、自分ができることは、積極的にやるようになった。

 山菜摘み、水汲み、鍋洗い、炊事や洗濯も引き受けた。体力は戻りきっていなかったけれど、動かせる指と目があるかぎり、自分にも役割があるはずだ、と。


 最初は何も言われなかった。誰も自分に頼みごとをするわけでもなく、口をきいてくるわけでもなく、ただ、黙って様子を見ている。

 ――だから、黙って動いてみる。


「……おい、そこのおチビちゃん。おまえ、洗ったんか? その鍋」


「はい。川の水で、底の焦げも落としました」


 声をかけられたとき、手が止まりそうになった。けれど、こわばった手指を意識的に動かしながら、できるだけ落ち着いた声で返す。


「ほう、ほんまか。……おい、これおまえが昨日使ったやつだろ。見てみぃ」


「は? ああ? ……って、マジだ。ぬるぬるしてねぇ……。つーか、焦げ落ちてんじゃん。なんだよ、ちゃんと洗える奴いるんじゃねぇか」


「オレ昨日怒られたんだぞ。黒こげのまま放っといたら、かしらに睨まれてよぉ……」


 取り囲むようにして文句を言っていた男たちが、次第にトーンを変えていく。最初は皮肉混じりだった言葉が、どこかで微かに変わっている気がする。


「ったく、子供のくせにやたら几帳面だな。――ま、助かるわ」


 言葉とは裏腹に、鍋はちゃんと受け取られ、手際よく次の食事準備に使われていった。


 昼過ぎ。薪運びの帰り道。

 重そうな皮袋を担いでいた若い山賊――年の頃は二十代の前半だろうか――が、額に汗を浮かべながら歩いていた。思わず声をかける。


「それ、持ちます」


「ああ? うっせ、手ェ出すな。こぼれたら怒られんのは俺だ」


「他にできることがないので」


「……チッ、うぜぇ……」


 ぶつぶつ言いながらも、結局その男は岩に袋を下ろし、半分手渡す。

 肩に担いだ瞬間、ずしりとした重さが骨に響いた。でも、言い出したのは自分。


 重いけど、慣れないと。


「……おまえ、腰はやられねぇようにしろよ」


 その言葉は、乱暴だけど、少しだけ優しくて、気の利いた返しはできなかったけど、小さく「ありがとう」とだけ。


 夜。焚き火の残り香が湿気を帯びて鼻をくすぐるころ、焦げた肉の端をまとめていたら、不意に声が飛んできた。


「おい、それ、もらってええか?」


「あ、はい。ちょっと焼き過ぎちゃってて……」


「焦げてるほうが好きなんだよ。ほら、ちゃんと火を通してると安心すんだろ?」


 そう言って片手でひょいと奪っていく男の背中。どこか照れ隠しのようにも見える。なんか、全体的にここの人たちは、なんだかんだいって優しい気がする。


 そんなふうに、少しずつ――ほんの少しずつ、山賊たちの言葉の端々が変わっていった。


 雑談に混ざることも無いし、お酒を飲めるわけでもないけど、けれど、「そこにいても文句を言われない」という空気が、なんとなく出来上がってきたように感じる。


 一週間も経つと、焚き火のそばで、口の悪い山賊がぽつりと、誰にともなく言った。


「……まあ、女のわりには使えるな。あいつ」


「おい、聞こえてんぞ」


「うるせ。悪口じゃねぇだろ、褒めてんだよこれでも」


「だったらもっとマシな言い方しろっつの」


「は? オレが“使える”って言ったら褒め言葉だっつってんだよ、なあ?」


「うん。ありがとう」


「う……わ、返事すんのかよ……」


「ははっ、ほら見ろ、赤くなってるぞ」


「うるせえ!!」


 その夜、寝床の毛皮が、ほんの少しだけ厚いものになっていた。

 誰がやったのかは分からない。けれど、もうそれを探ろうとも思わなかった。


 ――――――

 ――――

 ――


 山賊という割には、悪行らしい悪行はあまりしない。そんな印象を持ち始めたのは、野営地で暮らし始めて二週目のある日のこと。


 彼らの“仕事”は、街道の見張りと、通行人からの「徴収」、馬車で通る旅商人や、巡礼者、旅芝居一座や薬売りといった、“護衛の手薄な金持ち”が対象になる。それをノマドさんが見極め、選んでいる。


 彼が、いかなければ誰も行かないし、彼が腕を上げると、それがサインになり出撃の合図になる。

 アテが外れることは無い。搾れる果実が必ずあった。


 現代人感覚だと忌避すべきなんだろうけど、死にかけた身だから、綺麗事はもう言えない。

 此処で、戦うしかない。そうして生きていくしかないと思う。


 なんて現実的で、過酷で、夢みたいな世界なんだろう。


 でも……

 痛みも引いて、考える余裕が出来たからなのか、この状況にワクワクしている自分がいた。


「ねえ、ノマドさん。自分に、剣を教えてください」


 錆びれた剣を、手に取って――……。

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