第15話不幸な彼女と傲慢な彼
「はあ……死ぬ程疲れた」
高級住宅街から抜けた瞬間俺は思い切り息を吐いた。
すっかり軽くなったカートがカラカラと小さな音を立てる。
台詞通り急激な疲れを感じ、俺は邪魔にならないよう道端に移動し街路樹の一本にもたれかかった。
少し歩いたところに公園があってベンチがあるのも知っていたが、我慢できなかったのだ。
肉体的な疲労もだが、それ以上に神経が擦り減っていたらしい。
少し前まで俺はゴールディング公爵邸に居た。
そこでイオンにダイエットしろと唆していた所、執事がやって来て家庭教師の来訪を告げたのだ。
どうやら貴族は家庭教師を呼んで勉強するらしい。
もしかしたら学校にも行っているのかもしれないが、彼の制服姿は想像出来なかった。特注なのは確かだろうが。
イオンの授業を延期させてまで居座る気は無いので、そのタイミングで退室を申し出た。
伝えたいことは伝えたというのもある。ディエに好かれたいなら痩せろとは言った。
それで痩せるかどうかは冷たいがイオンの勝手だ。
そのまま太り続けてディエを別の男に奪われるか、痩せてディエに見直されるかは彼次第だろう。
痩せたからといって絶対ディエがイオンに惚れるかはわからないが、少なくとも今よりは評価を高くする可能性はそこそこあると俺は踏んでいた。
もしゲームと同じように結婚式当日にディエが男と駆け落ちしても、痩せた体なら足を滑らして転落死しないかもしれない。
「ディエ、か……」
好印象を抱くことは不可能になったヒロインの名を小声で呟く。
正直文句を言ってやりたかった。父の作ったケーキを台無しにしたのはイオンだがそう仕向けたのは彼女みたいなものだ。
俺がディエをナンパしたなんて悪質過ぎる嘘を嫉妬深いイオンに言いつけるなんて何考えているのだろう。
下手したら貴族の婚約者に手を出そうとした罪で鞭打ちぐらいされたかもしれない。そんな法律があるかもわからないが。
顔は確かに美少女だし、不幸な境遇でもある。でもそれとこれとは別だ。
自分が助かる為に他人に罪をなすりつけるような人間はろくなものではない。
イオンが目を覚ましディエと婚約解消するのが一番良い気さえしてくる。そうイオンに注進する程お節介では無いが。
でも彼はディエの性悪さごと愛しているわけではなさそうだから、無事結婚までこぎつけても幸福な夫婦生活は難しそうだ。
恋愛ゲームなら告白して両想いになって恋人になって二人の未来はこれからだでエンディングになる。
でもこの世界は現実だからその先が続いていく。
ディエが主人公と駆け落ちして追いかけたイオンが転落死したなら、きっと大騒ぎになるだろう。
新聞は取り上げるだろうし、ディエたちには追手がかけられる。他国に逃亡したから国際問題になるかもしれない。
きっとイオンは大して同情されないだろう。
権力で無理やり美少女と結婚しようとして、他の男と駆け落ちされた間抜けな貴族だと馬鹿にされ笑われるかもしれない。
俺は何となく、それは嫌だなと思った。
イオンだって別に善人じゃないのはわかっているけれど。ケーキ台無しにして謝りもしないし。
ただ二度と会わないだろうし、だったら物騒な話題で思い出すよりはそのまま忘れさせて欲しいと思った。
ディエについては、やっぱり文句は言いたいけれど会ったら会ったで面倒なことになりそうだ。
嘘の件は不問にする代わりに二度と俺の前に現れないと良いなと願った。
でも、もし痩せたイオンが美青年になってデイエの好みにストライクだったらそれはそれで何となく腹立たしい気もする。
それが一番良いのは確かだけれど。なんか釈然としないのだ。
まあ俺の感情や評価なんてあの二人には何の影響も与えないだろう。
俺は主人公じゃない。
自分の人生の主人公ではあるが、アリオ・ブルームという人物自体はゲーム内では脇役だ。
攻略ヒロインの影の薄い弟でしかない。
メインヒロインであるディエと、その婚約者で悪役令息であるイオンの間に割って入るなど有り得ない。
イオンが雇ったチンピラが父の菓子店の常連客という妙な縁で、関りは出来たがそれも今回限りだ。
ディエがイオンに吹き込んだ嘘は一応否定出来た筈だ。
少なくとも俺が彼女に一切恋愛感情を抱いていないことはあのイオンにも理解出来ただろう。
ディエにも俺は最初から素っ気ない態度を取り続けている。
そのせいでイオンに嘘を吹き込むという報服をされたのかもしれないが。
二人とも身勝手で腹は立つけれど、起こり続けるよりもう関わり合いにはなりたくない気持ちが強い。
ゴールディング公爵邸を出てからモヤモヤと考え続けて出した結論はこれだった。
イオンは思い込みの強い権力持ちのアホでディエは可憐な顔で嘘を吐く悪女気質だ。
穏やかに生きていきたいなら避けるべき人物たちである。
この二人から悪感情を向けられて五体満足で公爵邸から出てこられたのは不幸中の幸いだ。
無邪気に安堵できないのは食べるどころか箱から出されもせず潰されたケーキがあるからだ。
「……持って帰れば良かったな」
きっとメイドにでも片付けられゴミ箱行きにされるだろう。
予約時に代金は貰っていたが、自分の小遣いから返金してでも取り返せば良かった。
ぐちゃぐちゃになっただけだから食べる分には問題無いだろう。
駄目になったスポンジとクリームや果物を器に交互に盛って簡単トライフルにしてもいい。
味は間違いなく美味しいのだから。
父親に配達したケーキについて尋ねられたらと思うと気が重い。
きっと俺は言葉を誤魔化してケーキが潰されたことを気づかれないようにする。
嘘を吐いてしまうかもしれない。ディエのことを責められない。
でもきっと父親は気づいてしまう。何となくそう思うのだ。
だからって俺に対して怒ったりはしないだろうけど。イオンについても何も言わないだろう。
姉のパルは確実に激怒するから寧ろ隠したいのは彼女にだ。
相手はただの迷惑客ではなく高位貴族なのだから。
そう考えると結局ケーキはゴールディング邸に置き去りにするしか無かったのかもしれない。
あの家の使用人たちが勿体ないとこっそり腹に収めてくれるのを祈ろう。
俺がそんな風に考えていると突然声が投げかけられた。
「おい、あんた。さっきからそこにいるが具合でも悪いのか?」
「えっ、あ、いや大丈夫です!」
通行人に心配され慌てて否定する。
木陰で軽く休息していたつもりだったが気付かず長居してしまったようだ。
近くに公園もあるのに、だらだらと木にもたれかかっていたら怪しまれるのも仕方ない。
俺はそそくさと街路樹の一本から体を離した。
大人しく公園のベンチで休めばよかったのに要らない恥をかき知らない相手に心配をかけてしまった。
いつまでも休んでいるわけにはいかないし帰りが遅くなれば家族が心配するだろう。
重い足取りで道を歩いているとどんどん見慣れた景色に変わる。
露店や店が並ぶ商店街の光景に何だか長旅から帰って来たようにほっとする。
ただゴールディング公爵邸へ配達に行っただけなのに。
考えながらも足を進めていくと徐々に花の香りが強くなる。
続いて快活な青年の声。
「おっ、アリオじゃねー……か」
聞き慣れた低音で気づく。
そうか、もうポプラの花屋の近くまで来てたのか。
俺も彼に挨拶を返そうとしたが、緑髪の青年は先程まで浮かべていた笑顔を消していた。
そして速足で店から出て俺の傍まで来る。
どうしたんだと不思議がる暇も無くがっしりと肩を抱かれた。
「おい、ちょっと家までこい」
「は、何でだよ」
「……馬鹿、そんな顔で家に帰る気か!」
よくわからないままポプラに抱きかかえられるように俺は彼の家まで引きずり込まれた。
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