異世界流刑譚〜世界のゴミ捨て場で俺は生きていく〜

トッチトーチ

プロローグ

俺の名前は卜部拓海。

二十歳の、どこにでもいる大学生――の、はずだった。


早めに単位を取って、春休みに入ってからはバイトと図書館を往復する毎日。将来に夢があったわけじゃないが、別に不幸な人生でもなかった。

それがある日、突然地獄に落ちるなんて、誰が思う?


始まりは、駅前の商店街だった。

季節外れの抽選会をやってて、たまたま通りかかったら「ぜひ一回だけ!」って引きずられた。千円以上買い物してないと回せないって言ってたけど、そこは有耶無耶にされて。


で、引いた結果が「特賞」。


係員の姉ちゃんが手を叩いて喜ぶ。「おめでとうございます!特賞、異世界旅行体験ツアー!」

あの時、俺は笑うしかなかった。だって、なんだよそれ。ふざけてんのか?


──いや、本当に“異世界”に行ける時代になっていたのだと、あの瞬間はまだ知らなかった。


「詳細は係の者がご説明しますので、こちらへ!」

裏の仮設テントに案内されて、パンフレットみたいなのを渡された。

「世界転移技術の一部解禁により、民間への体験ツアーが──」とかなんとか書かれていた。馬鹿馬鹿しくて読み飛ばしたけど、唯一気になったのは、転移陣の“協賛元”に地方自治体の名前があったことだ。


「では、参加承諾書にサインをお願いします」

係員の態度は、異常なほどに慣れていた。俺の顔を見ようともしない。

周囲には白衣を着た人たちもいたけど、みんな目が笑っていなかった。


嫌な予感はしてた。してたのに。

俺は、流されるままにサインしてしまったんだ。


転移陣の設置会場はシャッター通りの一角、かつては映画館だった建物の中。

床には奇妙な文様が描かれ、周囲には制御パネルらしきものが雑に並んでいた。

鉄骨が剥き出しの天井からは雨漏りの跡。

“異世界”に送るには、あまりに雑すぎる環境だった。


「はい、それでは送りますね~」

カウントダウンが始まり、体がふわっと浮いた。


次の瞬間だった。


「……ッ、ん? えっ、これ……数値が……」

「やばい、崩れてる!」

「魔力が逆流してる!? 止めろ、止め──」


叫び声、警報、空気が裂ける音。


視界が黒く染まって、その中心から“何か”が現れた。


人間じゃなかった。

毛が逆立ち、牙が、爪が、脚が四本。うねる尾。

“向こう側”から漏れ出してきたそれは、吠えながら人を襲い始めた。


「う、うわああああああっっ!」

「逃げろっ、こっちに来る──!」


俺は転移されるどころか、現実に魔物が現れる瞬間をただ見ていた。

足がすくんで動けず、叫ぶこともできなかった。


それでも、どうにか逃げた。

他の誰かが、巻き込まれた。

破壊された街並み、潰された商店、血のにじんだ路地。


その時点で、俺は“被害者”だったはずだ。


だけど――違ったんだ。

すべては、俺の“せい”にされたんだ。


「異世界転移陣、暴走。被害者は二十四名、うち三名が重体」


事件の翌日から、ニュースは一斉にその話題一色になった。

トップニュース。ワイドショー。ネット記事。SNS。

どこを見ても、俺の顔写真が貼られていた。


【異世界観光、暴走事故】

【大学生が“原因”か 無断行動の可能性も】

【安全確認を拒否?係員の証言】

【被害者の家族「納得できない」】


何もかもが、嘘だった。

俺は指示された通りに行動した。

無断なんてしていない。

“確認”と呼ばれたものも、ただの形式だった。


だけど、そんなの関係なかった。

メディアが欲しかったのは「責任者」だ。

そのための「顔」が、俺だった。


「大学生が引き起こしたテロもどき」

「ゆとり世代の象徴」

「いい歳して福引きに浮かれて異世界に突っ込むバカ」


匿名掲示板には罵詈雑言が並んでいた。

SNSでは俺の大学の講義履歴や住所まで晒され、

「死ね」「責任取れ」「生きてる価値ない」なんて言葉が飛び交っていた。


誰一人、俺をかばわなかった。

大学は「本件については調査中」の一点張り。

バイト先には苦情が殺到して首になった。

友達からの連絡は、事件当日を最後にぷっつりと途絶えた。


そして、親。

携帯に残された留守電には、母の泣き声が録音されていた。


「拓海……なにやったの……お願いだから、もうこれ以上……」


もうこれ以上、ってなんだよ。

俺は何もしてない。

なのに、全部、俺のせいになっていく。

勝手に、好き勝手に。


画面の中で、記者が言った。


「なお、当該学生には“異世界適応性”があるとされ、政府の判断により“カレナ=ヴェイル”への送還が検討されている模様です」


“送還”?

それはつまり、“流刑”ってことだろうが。


ふざけるな。

ふざけるなよ。俺は何も──


その瞬間、家の玄関がノックされた。


「卜部拓海さんですね?国家転移調整局から来ました。今から手続きを行います。荷物を持って、すぐに同行してください」


機械のような口調で告げられた言葉に、俺はただ呆然と立ち尽くしていた。


「それでは、これより“第六十二回 特例追放式”を開始いたします」


司会の女の声が、妙に明るかった。

背景はニュース番組とは別に設けられた“特設配信スタジオ”。

その中央に、俺がいた。


頭上には、白いライト。

四方八方を囲むカメラ。

観客席なんてない。だが──その代わり、配信画面のコメント欄には文字が流れていた。


《こいつかー》

《顔出し助かる》

《また若いやつかよ》

《さっさと送れやw》


俺は立たされていた。

手錠のような金属を嵌められ、ガラス張りの“舞台”の中央に。

目の前にはモニター。その上で、キャスターたちがしたり顔で解説をしている。


「こちらが今回の対象者、卜部拓海被告、20歳。大学2年生とのことです」

「異世界転移陣の暴走事件に関連し、原因とされる行動を取ったことで責任が問われています」

「ただし法的な裁きではなく、“世界転移協定”に基づく処置という扱いですね」


ふざけんな。


「本人には“適応性”が確認され、異世界生存の見込みがあるとのことです。つまり、裁きではなく選抜。未来のための――処置」


笑ってやがる。

解説者も、司会も、視聴者も。

みんな、「流す」って言葉に酔ってる。

これは追放じゃない。処刑だ。しかも、娯楽としての。


「それでは、最終確認に移ります」

職員がタブレットを持って現れる。

形式的な問答。名前、生年月日、所属。

最後に、こう言った。


「異議はありますか?」


「……全部あるよ」

声が掠れていた。怒鳴ったつもりだったのに、ただ喉が震えていただけだった。


「異議、なしとして処理します」

静かな笑顔で、彼はタブレットを閉じた。


──ガラス床が、鈍く震えた。

台座が下がる。俺の足元が開く。

上昇する柱のような装置、ぐるぐると回転を始める転移機構。

電子音。光。風圧。


「それでは皆さま、今週もご視聴ありがとうございました! 来週は“三人同時送還スペシャル”を予定しております!」

司会の女が満面の笑みで手を振る。


「異世界転移、カウントダウン開始! 10、9、8……」


モニターに映る自分の顔は、もう表情を失っていた。

そして。


「1、ゼロ──転送、開始!」


視界が、白に塗りつぶされていった。


音が、消えた。


無音の世界。

目を開けているはずなのに、何も見えない。

まるで空気のすべてが凍りついて、世界が停止したみたいだった。


だけど、その“静けさ”は長くは続かなかった。


全身を引き裂くような振動が、腹の底から込み上げた。

内臓が裏返る感覚。体の軸がねじれ、重力が歪む。


脳がついてこない。


気づけば、俺は叫んでいた。


「う、あっ──がッ、うわあああああああああああッ!!」


誰にも届かない悲鳴。

ただひとり、白い空間の中を落ちていく。


目の前を何かが通り過ぎた。

家だった。コンビニだった。知らない人間の顔だった。

次々と、“他の世界の断片”が流れ込んできて、俺の視界をめちゃくちゃにした。


そして――


ズン、と重い感触が足元を突き抜けた。


その瞬間、世界が色を取り戻した。


地面に、叩きつけられた。


肺の中の空気が、一瞬で抜ける。

体が、硬い岩と砕けた金属にぶつかって跳ねる。

唇が切れ、血の味が口に広がった。


「……っ、が……っ……」


呼吸ができない。手も、足も、うまく動かない。

全身の感覚が狂っていた。

骨は……折れていない。たぶん。だけど、頭が回らない。


周囲を見回すと、そこは――地獄だった。


空は暗い紫色で渦巻いていた。

大気は重く、腐った油のような匂いが鼻を刺す。

瓦礫と、崩れた鉄骨。ひび割れた道路。

古い都市の亡骸のようなものが、どこまでも続いている。


風に乗って、何かの叫び声が聞こえた。

獣のものか、人間のものか、判別がつかない。


「……これが……カレナ=ヴェイル……?」


俺が呟くと同時に、足元で何かが“ずるり”と音を立てた。


反射的に振り返る。


いた。


影のような、巨大な四つ脚。

だらりと伸びた舌。濁った目。

向こうの世界から“来た”ものと、似ていた。


「ま、た……かよ……」


もう、笑うしかなかった。


さあ、始まりだ。

俺の冤罪人生の、地獄編が。



ー ー ー



「く、そ……っ」


足を引きずりながら、俺は瓦礫の路地を走っていた。

足元は崩れた煉瓦。ビルの残骸。空き缶。折れた看板。

まともな道なんてない。

あの化け物の咆哮は、もう後ろから聞こえていない……けど、それが逆に怖い。


どこにいる?

見失ったのか?それとも、こちらの動きを読んで回り込んでる?


「冗談じゃねぇ……っ、俺が……俺がなんで……!」


ゼェ、ゼェと喉が軋む。

息が切れた。肺が焼ける。

でも止まったら終わる。


あの獣の目は、確かに“意思”を持っていた。

ただの動物じゃない。見られていた。狙われていた。


この世界、マジで生き地獄じゃないか。


地面の金属片で足を切った。血が滲んで、片足を庇うように走る。

ふと脇に目をやると、錆びた自動販売機が転がっていた。

中身はもう空だ。

でも、その奥──瓦礫の隙間に、空間がある。


「っし、いけ……!」


身を滑り込ませる。

背中にコンクリの冷たさ。前は暗闇。

音を殺して息を潜める。


風が、吹き抜けた。

そのあと、鈍い足音。ズル……ズル……と何かが地面を擦る音。


来た。

奴だ。


俺は口を押えた。

鼓動がうるさい。バレる、バレる、バレ──


「……ッ!」


音が、止まった。


しばらくの沈黙。

そして、遠ざかる足音。


逃げた……のか?


喉の奥がヒュウ、と鳴った。

安堵と同時に、全身から力が抜けた。


だが、その瞬間。


「──ガンッ!」


隠れていた自販機が崩れ、天井から鉄骨の一部が落ちてきた。

すんでのところで避けた俺は、地面に叩きつけられて咳き込む。


「ぐ、はっ……!」


鉄臭い空気。

これ以上、ここにはいられない。


俺は這うようにして脱出し、再び瓦礫の路地へと走り出した。



その後、数時間が経った。

太陽は見えないが、空の色が微妙に変わっている。


俺は崩れたビルの隙間、影になった部分に身を潜めていた。

近くには、動かなくなった機械の残骸と、割れたドローンのようなもの。

道具になりそうなものを物色する。

鉄パイプ一本。火花が出る小さな発火装置。

あと、変な翻訳機付きブレスレット。──いや、これだけが“支給品”だったっけな。


腕につけると、自動で装着された。冷たい金属が皮膚に食い込む。


「言語適応:完了」

機械音声が脳に直接響いた。


それがどうしたってんだ。

言葉が通じても、話す相手がいなきゃ意味ねえだろ。


「…………はぁ」


ここはカレナ=ヴェイル。

世界の不要物を詰め込んだ、ゴミ捨て場。

俺は、ここに“捨てられた”。


誰の味方もいない。誰も助けてくれない。


それでも、俺は生きている。

生きて、まだ死んでいない。


──なら、やることはひとつだろう。


「……クソみてぇな世界だけどな。やってやるよ」


鉄パイプを手にして、立ち上がる。

瓦礫の風が、俺の頬をかすめていった。


腐った肉と油を混ぜたような、鼻の奥を刺激する臭気。

背筋が粟立つ。生理的に「ヤバい」と本能が告げる。


「……何だ……?」


音がする。ザッ……ザッ……と地面を這う音。

壁を登る音。何かが、蠢いている。


振り向いた。


そこにいたのは、“虫”だった。

──だが、現実のそれとはまるで違う。


全長は俺の腰ほどまである。

甲殻はひび割れ、脚は異様に長く、本来なら眼があるはずの部位は黒い膜で覆われていた。

背中からは、羽のようなヒダが脈動している。

口元は、鋏のような器官がカチカチと鳴っている。


一体だけじゃなかった。

いつの間にか、周囲に二体、三体と現れている。


「クソッ……!」


俺は足元の鉄パイプを握りしめた。

こんなもんで勝てるかどうかなんて、知らねえ。

でも、やるしかない。


──第一体、突進。


思考より早く体が動いた。

本能が、俺を突き動かす。


虫の鋏が空を切った瞬間、俺は身体を回転させて鉄パイプを横に振り抜いた。


「うおおおああああっ!!」


パイプが命中。鈍い音。

甲殻が砕け、体液が飛び散る。


ぬるっとした紫色の液体が顔にかかった。


「うげっ……!」


だが虫は止まらない。

今度は別の個体が、地面を這って迫ってくる。


蹴り飛ばす。鉄パイプを振り下ろす。

脚を、頭部を、何度も何度も──


「死ね……! 死んでくれッ!!」


俺は泣いていた。

怖くて、気持ち悪くて、吐きそうで、でも止まれなかった。


ようやく最後の一体が、動かなくなった。

俺は、ぜぇぜぇと息をしながら、パイプを握る手を見つめた。


血と体液と、自分の汗と涙で、ぐしゃぐしゃだった。


「……マジで、地獄だ……」


それでも、生き残った。


それでも、俺は死んでない。


それだけが、唯一の事実だった。



ー ー ー



陽は落ちた。


──正確には、“空が暗くなった”。


カレナ=ヴェイルに太陽はない。

空は常に濁った紫と灰の中で渦巻き、昼夜の区別は分かりづらい。

それでも、今は明らかに“夜”だった。


風が止み、空気が重くなる。

ビルの影は濃く、瓦礫の間に光はない。


俺は、崩れた建物の一角に身を潜めていた。

昼間の戦いで倒した虫の残骸は、できる限り離れた場所に放った。

臭いだけで、別の何かを呼び寄せそうだったからだ。


寒い。

じっとしていると、地面の冷たさが骨に染みる。


それでも、俺は動かない。

ここから出たら、殺される。

直感で、そう確信していた。


──そして。


「グゴォォォォォ……ッ……」

「アァァァ……ギチ……ギチ……」

「………………シャアアアアア」


夜が、“音”で満ちていた。

叫び。吠え。うめき。

生物のものか、機械のものか、それすら判別できない音が、あらゆる方向から響いてくる。


近い。

遠い。

頭上。

真下。


一体、何が、どれだけいるんだ。

どれも、俺を見つけたら殺すような音だった。


手の中の鉄パイプが、今にも滑り落ちそうだった。

握力が尽きかけていた。


──怖い。


こんな感情、久しぶりだった。

冤罪で晒されたときの方がまだマシだった。

あれは理不尽だったが、死にはしなかった。

でも今は違う。


誰も助けてくれない。

誰も見ていない。

ここで死んだら、それで終わりだ。


俺の人生は、クソみたいな福引きで終わるんだ。

冤罪で始まり、虫と腐臭と、謎の化け物たちに囲まれて。


「……ふざけんな……」


思わず呟いた。


誰に向けた言葉か、自分でもわからなかった。


夜は、まだ、終わらなかった。


時間が経たない。


息を潜めたまま、どれほど経ったのかもわからない。

地面に手をついたまま動けず、座ることすら怖かった。

立っていても危ない。だから、しゃがんだまま、ずっと、ずっと。


目を閉じようとすると、あの虫の脚音が耳に蘇る。

さっき潰した時の、甲殻の砕ける音。

鉄パイプの手応え。血の温度。体液の臭い。


そして──何より、自分の声。

「死ね」と叫んだ。

叫んで、殴って、殺した。

どんな顔をしていたか、覚えていない。


……震えていた。たぶん。


俺は、泣いていたのかもしれない。


遠くで何かが爆ぜる音がした。

火薬か、爆発か。

誰かが、まだ“生きて”いるのか。

それとも、またひとり死んだのか。


耳が慣れてきたせいか、音の輪郭が濃くなってくる。


泣いてる声がする。

人間か、それとも別の“何か”かはわからない。


笑ってる声もする。

地面を引き裂くような振動と共に、複数の足音が通り過ぎる。


ビルの影の中、背中を壁に預けていたはずが、いつのまにか横たわっていた。


空が見えた。

あの紫と灰の空。

渦巻いていて、星なんかひとつもなかった。


ふと、思い出した。


商店街の福引き。

あの、ガラガラを回したときの感触。

当たり玉が落ちた音。拍手。笑顔。

あれが……人生の、転機?


冗談じゃない。


「ふざけんなよ……マジで……」


声は出なかった。喉が枯れていた。

代わりに出たのは、乾いた吐息だけ。


眠くは、なかった。

疲れてはいるのに、まぶたが落ちない。

脳が、ずっと“警戒”していた。

寝たら死ぬ、と言われている気がしていた。


どこかで、金属を引きずる音が聞こえる。

誰かが、泣きながら笑っている。

耳の奥で、心臓がうるさく跳ねている。


寒い。

腹が減った。

喉も乾いていた。


でも、何もできない。


できることなんて──


「……朝まで、生きる」


それだけだった。


眠れないまま、どれほど経っただろう。


紫がかった空が、かすかに明るみを帯びていた。

完全な夜ではなく、まだ闇の気配は濃い。

それでも、ようやく“朝”という概念が近づいていることを、肌で感じた。


そのときだった。


「……てめぇら、さっさと運べ……」

「このクソ女が……まったく、いつまでやらせんだよ……」

「だまれ、うるせぇ。指揮官が持ってこいっつってんだろ……!」


低くくぐもった声が、ビルの隙間から聞こえてきた。


咄嗟に息を殺し、耳をすませる。


人の声だ。

だが、何かがおかしい。

内容が、いやに刺々しい。命令と罵倒が混ざっている。

どこか、狂気じみている。


ゆっくりと、体を起こし、壁際に身を寄せた。

廃ビルの端、崩れたフロアの亀裂から外が覗ける。


その向こうに、歩いている人影が見えた。


3人。男だ。

全員、薄汚れた鉄製の鎧を身につけている。

肩には獣の骨のような飾り。背中には巨大な武器──斧、鉈、金属バット。


ファンタジー世界の騎士……というより、戦場帰りの野盗に近かった。

その顔つき。肌に刻まれた傷。

何よりも、その表情。


笑っていた。


そして──彼らは何かを引きずっていた。


いや、“誰か”だ。


女性だった。

二十代前後。長い髪が泥にまみれて、顔は見えない。

服は裂け、血で濡れていた。片腕が、不自然な角度に折れている。


「まだ使えるだろ。目ェ動いてたぞ」

「つーか、あいつ気に入ってたんじゃねぇの?」

「知るかよ。どうせ死ぬ」


足を止めることもなく、男たちは笑いながら歩き去っていった。

女の遺体(あるいは瀕死の身体)は、石畳に引きずられ、ぬかるみに滑っていった。


俺は……見ていることしかできなかった。


助けようと思ったわけじゃない。

いや、ほんの一瞬、立ち上がろうとした。


でも、動かなかった。


鉄パイプを握っても、足が震えた。

相手は武器を持っていた。訓練されてる。

俺はただの大学生だ。力も経験もない。


何より、怖かった。

“人間”のやることじゃなかった。


──そのとき、俺ははっきり理解した。


ここは、そういう場所なんだ。


カレナ=ヴェイル。

罪人と呼ばれた者たちが、世界から捨てられ、

秩序も正義もないまま、むき出しのまま生きる世界。


“殺す側”にならなければ、“殺される側”になる。


「……ふざけるなよ……」


何度目かの、怒りだった。

この世界に向けて。

連れてこられた自分の運命に向けて。

あんな奴らにさえ、無力でしかいられない自分自身に。


腹の底に、重い火種が灯った。


「……クソッたれが……」


そう呟いた声は、誰にも聞かれなかった。


──朝が、始まった。


そして、生存の“第一日目”が、幕を開けた。

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