第7話 予感
おやっ、と康博は思わず声を出した。蝉がけたたましく鳴いている7月の終わりに、彼はおいしくもない学食のラーメンを食べながらスマホを見ていたのだが、ダンサーチーム futuroがこんな発表をしているではないか。
Kaoriは脱退します、受験勉強に忙しくなったので。みんな今日まで応援ありがとう。みんな大好き! 一生忘れないから!
まっすぐな表情の香織の画像にこういうメッセージが載せられている。しばらくまじまじと見ていたが、やがて、よく考えたら受験勉強に専念すべし、と昨日勧めたのは自分だったことに気づき、苦笑いを浮かべた。実に素直に自分のいう事を実行してくれている。でも……康博の胸が少し痛む。もうKaoriのダンスが見られないんだな、と。だけど、それは受験が終わるまでのことじゃないか、と自分を納得させようとしても、何かが引っかかる。よし、今日赤城踊に行こう、と彼は勢いよくラーメンの汁をすすった。
夜になりいつものように、こんばんは、と声をかけながら暖簾をくぐると、テーブルを拭いていた清子が、あ、と声を上げた後、一人の男性と目配せをした。康博が目をやると、そこには清子と同じくらいの年の、恰幅の良い、落ち着いた雰囲気の男がカウンターの椅子に座っていた。
「この人だね、康博さんは。はじめまして、橋本達也と申します」
彼は立ち上がって丁寧に頭を下げた。少し戸惑いながら、こちらこそはじめまして、真川康博です、とお辞儀をした。どうも見覚えがある気がする、ここでだったかな、と康博が小首を傾げていると、向こうから話しかけてくる。
「香織の家庭教師をしてくださっているそうで。おかげで最近はすっかり勉強熱心になっているそうで。いやぁ、こんな若くてカッコいい男の人に教えてもらえるならな」
と、清子のほうを見ながらにっこりと微笑む。その顔を見て、この人はいい人だな、と康博は思った。
「本当に。今まで勉強なんか全然真面目にしてこなかったんだけど。康博さんには本当に感謝していますのよ」
「あのぅ……」
康博は逡巡しながらも、聞いてみた。
「あなたは一体どなたなのですか? 香織ちゃんのお父さんですか」
お父さん、と言われて、達也は何とも言えない照れたような表情を浮かべて、それから大急ぎで首を振った。
「いえいえ、そうじゃないんです。そうじゃないんですけど……」
達也は居住まいを改めて、真面目な顔をして康博に正対した。
「康博さんに、私たちから重大な報告があるんです。報告というか……」
気づけばその横に清子も大真面目な顔をして立っている。
「私たち、結婚することにしたんです」
結婚? 突然の言葉に、康博は理解が追い付かず、何度も瞬きをした。この二人が結婚する、それで……ええと……。言葉が出ない康博に対し、清子が口を開く。
「それで、私達は、この店を閉めて、北海道に引っ越すんです、9月に」
私達は引っ越す。北海道に。9月に。その意味がはっきりと分かった時、彼は世界の終わりが来たと思った。
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