第5話 二人で映画を観て

 7月初めの休日は、これでもかというくらいの快晴だった。真っ青な空に綿菓子のような雲が浮かんでいる。最寄り駅の改札前で康博が額の汗をぬぐっていると、香織が手を振りながら駆け寄ってきた。いつも元気だよな、と彼は苦笑した。挨拶を終えた後、彼女は言う。

「康博さん、どうして私を見て笑ったんです?」

「いや、いつも元気だな、と感心したんですよ」

「元気だけが取り柄ですから。さ、早く行きましょう、映画に間に合わなくなります」

 白の半袖のパーカーに膝ぐらいのデニムスカートの姿で、出来るものなら走り出しそうな彼女に引きずられるように康博は電車に乗り込んだ。香織は今日見る映画が友達の間でとても評判の良い恋愛映画で、泣けるらしいというようなことをとめどもなく話し続けた。やがて電車は目的の駅に着く。休日の繁華街はやはり人でごった返しており、香織も物静かになり、やがて大きな映画館に着いた。館内も人が多い。香織ははぐれないように体をぴったりと康博に寄せていた。

「たくさん上映しているね。これだね、『ノルエンドの森』だね」

 受付の電光掲示板には8つほどの映画のタイトルが並んでいる。香織は余り映画館に来たことがない、といい、小さくなって康博についてくるだけ、という感じだ。彼は上映券代も売店で買った飲み物の代金も全て払った。

「私出しますよ」

「いいですよ。いっぱい家庭教師代もらってますからね」

 それは事実とは少し違った。彼は通常の家庭教師よりも遥かに安い時給で教えていた。そんなに安くていいんですか、康博さんにも生活があるでしょう、一人暮らしなのですから、と心配する清子に、大丈夫です、親の遺産がありますから、と康博はしっかりした声で答えた。それは事実だった。彼の両親は彼が中学二年生の時に交通事故で亡くなった。一人っ子だった彼は肉親を失い、父方の祖父母に引き取られて暮らしていたが、その祖父母も高校一年生の時に病気で亡くなり、その少なくない遺産を分け合った父の弟の家に住まわせてもらい、大学入学と同時に入寮したのだった。だから正確には祖父母と父親の遺産ということになるが、学費を支払ったうえで学生生活を送るには十分すぎるほどあったので、香織の家庭教師代は本当は無料でもよいぐらいだった。


──これから僕はどこへいけばいいんだ。 なにをすればいいんだ──


 大きなスクリーンの中で青白い顔の青年が悲壮そのものの顔で天を仰いでいる。その彼に情け容赦なく雨が降り注ぐ。そしてエンドロールが始まる。親友とその彼女と主人公は仲の良い友人だったが、ある時親友が自殺する。その理由も分からず取り残された二人――そして主人公のほのかな想いも実らず、彼女も自殺してしまう。ひとりぼっちになってしまった主人公に雨が降り注ぐ場面を、康博は何ともいえない気持ちで見つめていた。ふと気づいて横に目をやると、香織はハンカチを出して涙をぬぐっている。そしてこちらを見て、何かを言おうとしたが、それは止めて、ただうなずいてみせた。康博もただうなずき返してみせた。

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