第2話 邂逅は思いがけなく
ただいま、と言わなくなってどれぐらい経ったかな。康博は狭い部屋に不釣り合いの大きなベッドに腰掛けてため息と共に自問してみた。ベランダに通じる掃き出し窓からは薄暗い夕方に包まれた一階の寮の中庭が見えるだけ。彼はカーテンを閉めて、どうしようもない寂寞感から逃れたくてスマホを見た。今年入学したばかりの大学にはまだ一人も友人が出来ていない。アルバイトもまだ始めていないので、康博は下手をしたら一日中誰とも話さない日もある。インスタグラムを立ち上げて、また、同じアカウントを見る。「ダンサーチーム futuro」同年代ぐらいと思われる女の子5人が共同で運営しているらしいこのアカウントが、自分たちの踊っているダンスの切り抜き動画をたくさんアップしていて、彼はそれらをほぼ全部見た。曲はJ-POPとK-POPが中心で、ほとんど知らない曲ばかりだったが、ふとした時にたまたまタイムラインに流れてきたのを目にして、一人の女の子にくぎ付けになったのだ。それが、さっき初めて会ったKaoriであった。花のような笑顔……。思い浮かべるだけで幸せな気分になる。今日、彼がfuturoの練習風景を見に行けたのは偶然ではなく、インスタのコメントで明日はあの公園でお昼ごろメンバー全員で自主トレするよ、とやり取りしているのを見たからだ。だからと言って見に行っていいか、かなり迷ったのだが、会ってみたいという欲望が勝って、遂に足を運んだのだった。ぐぅぅ。彼のお腹が鳴った。何か食べなきゃ。しかし、冷蔵庫には醤油などしか入っておらず、カップ麺は食べたくないので、康博は外食に行くことにした。大学の寮を出た街並みはすでに夕闇に包まれており、遠くの空が橙色に染まっている。少し肩を落とした彼は、引っ越してきてから二回ほど利用した牛丼屋へ向かったが、余り牛丼を食べたいという気分でもないな、と小首を傾げて、当てもなく町を彷徨う。遠くから電車の過ぎ去る音が響いてくる。やがて、道沿いに地味だが落ち着いた感じの小料理屋のようなものがあるのを発見した。立ててあるメニュー表の定食の値段表を見ると、安い。これなら少々まずくてもいいや、と扉を開けた。そう広くない店内は夕食の時間頃という事もあるのか、かなりの盛況だった。その賑やかさに康博は少したじろいだが、その後目に飛び込んできたものには驚きすぎて腰を抜かしそうになった。茶色の割烹着をつけた若い女性が
「いらっしゃいませ。おひとりさまですか? こちらへどうぞ」
と、案内をしてくれたのだが、それはなんとKaoriちゃんだった。康博の魂はどこかに消え失せ、ただ油の切れたロボットのような動きでカウンター席に座る。黒髪を後ろに括った彼女が、注文が決まったらまた声をかけてくださいね、と笑顔で去っていく。やった、一日に二回も彼女の笑顔を見たぞ。ということだけをずっと考えていて、注文した焼肉定食の味など全く分からないまま完食し、放心したまま店を後にした。しかし、しっかりと店名を覚える事だけは忘れなかった。「創作料理 天城踊」か。また来よう。しかし……こんな偶然があるとは。思わず彼が見上げた夜空には、幾つもの星々が小さく美しく輝いていた。
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