第39話

     *     *


 港崎遊郭があるのは数年前までは荒野だった開墾地だ。

 佐助を担いだ清久郎は、大門へと続く一本道を足早に歩いていた。さすがにもう息が上がり、走れない。

 面番所の前を通ると役人が吃驚顔でこちらを見たが、説明するのも面倒で素通りする。

 遊郭はもう夜見世の時分。いったいどこからこれだけの男たちが繰り出して来るのか、灯に照らされた大門の内は祭りのような賑わいだ。そんな中、手足を縛られた男を担いだ役人が歩けば振り返ってじろじろ眺める者もいるが、関わりになるまいと目を逸らす者も多い。

 清久郎は張見世には目もくれず、佐助を担いだまま五十鈴楼の暖簾をくぐった。

 店頭の若い者は、

「これは、これは、お役人さま……」

 なんとか愛想よく言ったものの、後が続かない。

 清久郎は息が上がっているうえに説明する言葉も思いつかず、懐から花匂の香袋を出して見せた。

「これは……」

 若い者は驚いた顔で香袋と清久郎の顔を見比べ、顔に引きつった作り笑いを貼り付けて言う。

「お、花魁もお待ちかねですよ。どうぞこちらへ」

 これは香袋を持参した客への常套句だ。実際は、花匂花魁は別の客の座敷に上がっている。

 ここは番頭に相談して、誰かを名代に立てるか。それにしても、肩に担いだ男はなんだろう、ここでどうするつもりなのだろうと、若い者は目を白黒させている。

 清久郎はしきたりどおり二本差しを若い者に預け、佐助を担ぎ直した。

 そこへ、とたとたと可愛らしい足音を立て、ネコ耳尻尾の禿がふたり、階段を駆け下りてきて清久郎にまとわりつく。

「おハチ、おトラ!」

 若い者が咎めるように呼んだが、童女たちは得意げに言う。

「花魁姐さんに、ご案内なさいって言われんした」

「旦那さま、こちらでございんす」

 禿たちは清久郎を二階の一室に案内した。もちろん、そこに花匂の姿はなく、禿たちは案内しただけで何の説明もなく出て行った。

 表座敷のからは、唄や三味線、陽気な笑い声が聞こえてくる。

(なりゆきとはいえ、どうしろというのだ)

 清久郎は途方に暮れ、畳に転がる佐助を見下ろした。佐助本人は、意識は戻っているようだがいまだぼんやりしている。ときおり低い呻き声を洩らすのは、リチャードソンの霊だろう。

 ややあって音もなく障子が開き、振袖の遊女が身を滑らせるように入ってきた。

「さつき殿」

 さつきは清久郎に会釈だけして、畳に座って佐助に語りかける。

「佐助さん、頑張って。じきに花魁が来てくれるから」

 その言葉通り、まもなく花匂とお玉が現れた。

 ふわりと香る。覚えがある、夢を見せられたときの香りだ。

(先客を眠らせて抜けてきたのか)

 花匂は清久郎には一瞥もくれずに佐助を見下ろし、嫌そうに言う。

「これはまた、欲深そうな霊魂でありんすな」

「海を渡って来るほどの異人は、霊も魂も野太いのですにゃろな」

 そう言って、お玉は部屋を閉め切った。

 花匂が床の間の香炉に火を入れ、それから清久郎を振り返る。

「この香は、悪鬼が嫌う香り。依代から出て動きが鈍くなったところで、おまえさまは悪鬼を斬り捨てなんし。くれぐれも、誤って佐助を斬らぬように」

「俺が、斬るのか? いや、しかし」

 刀は階下で預けてきてしまった。

 お玉がチッと舌を鳴らし、「役立たずにゃ」とつぶやいた。

 それから素早く部屋を出て行ったのは、清久郎の刀を持ってくるためなのだろう。

 その間に、香炉から白い煙が立ちのぼり、部屋を満たしてゆく。

 白檀に香草などを併せた香りだろうか。悪鬼が嫌う香りだというが、爽やかさもあって、清久郎にはむしろ心地よく感じられる。


 そのとき。

「お待ちください」

「ええい、どけ!」

 階下が、にわかに騒がしくなった。

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