第25話

「アヤメのことでありんしたな」

 花匂の言葉に、清久郎はハッとしてうなずいた。用件はすでに伝えられていたらしい。

 花匂は慣れたしぐさで床の間に膝行し、香を焚いた。香炉から、白い煙が細く立ちのぼる。

「アヤメは岩亀楼から鞍替えして、わっちの妹分になりんした。けれど、すぐにラシャメンになって、病で亡ぅなってしまいんした」

 岩亀楼で聞いたとおりだ。

「アヤメ殿がラシャメンになったのは、平吉が原因だったのですか?」

「平吉のこともご存じでありんしたか。それもあろうが、アヤメは忘八ぼうはちからラシャメンになれば借金の返済も早ぅ済むと勧められたと言ぅておりんした」

 忘八とは楼主のことだ、八つの義を忘れた人非人を意味する悪口だという。

 ラシャメンになりたがる遊女が少ないため、五十鈴楼の楼主はアヤメに有利な条件を提示してラシャメンになるよう仕向けたのだろう。遊女たちは年季が明ければ遊郭から出られることになっているが、借金を返済できなければそれも先送りされてしまう。ラシャメンになれば平吉のために嵩んだ借金も早く返せる、アヤメはそう言われたらしい。

「妹分がラシャメンならば、わっちとしても好都合と、止めもせなんだが」

 後悔の混じった口調で、花匂がつぶやいた。

「好都合とは?」

「大したことではござんせん。ラシャメンならば鑑札を持って廓の外に出られるゆえ、外の珍しき話や異人のことも聞けようと考えてのこと」

 言いながら、花匂は視線を落とした。アヤメが若くして命を落としたのは、ラシャメンになって無理をしたせいだと思っているのかもしれない。

「アヤメの郷は絹織物の産地だそうじゃ。生糸が異国に輸出されるようになり、織物を作ろうにも生糸不足で郷は困窮してしまい、アヤメは兄の平吉に言いくるめられて女衒に売られたのでありんす」

「兄? 平吉とアヤメは兄妹だったのですか」

 平吉の遊郭通いは、遊女を買うためではなく妹に会うのが目的だったのか。それゆえ、平吉が酒を飲んで暴れても、アヤメは身銭を切ったのだ。

「郷から若い娘が売られてくるにゃんて、めずらしくもない。国内の品を異人さんに売りつけて、この国はどこもかしこも品不足。物価は高く、貧乏人は娘を売らにゃ生きられぬ」

 酔っているのか、お玉は節をつけて歌うように言うと、花匂の膝にこてんと頭を乗せてゴロゴロと喉を鳴らし始めた。

 花匂がたしなめる。

「これ、お玉」

 花匂の膝枕で気持ち良さそうに横になるお玉の着物から、先が二股に割れた淡い三毛縞の尻尾が覗き、ぱたんぱたんと揺れている。頭には三角の耳まで生えている。

 清久郎は驚いた……というより、むしろ納得してしまう。先日、花匂の部屋で見た童女たちも、尻尾こそ子猫らしく短かったが、こんなふうだった。

(これは、猫又というヤツか……)

 幽霊や穢れは見えても妖怪の類とは無縁だった清久郎だが、尾の先が割けるほど長生きした猫が妖力を得て猫又になるという話は聞いたことがあった。

 思えば初めて五十鈴楼を訪ねた日、清久郎の袂から香袋を獲って花匂の部屋に逃げ込んだ美しい三毛猫、あれはこのお玉だったのではなかろうか。してみるとネコ耳尻尾の禿たちは、猫又お玉の弟子のようなものなのか。

 そう考えて、いやいや猫が人に化けるわけがないと首を振る。

 それでも幻とは思えないまま、お玉の揺れる尻尾を目で追っていると、

「……視えますのか?」

 花匂が尋ねた。

「え?」

 何が、と清久郎が問う前に、花匂が気まずげに顔を背けた。

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