第2話 魔王村(02)
空歴三〇一五年、冬近く。
「リンリィ!」
白のワンピースと光れば金糸にも見える白銀の髪をなびかせて、ぼくの幼馴染みは走って行く。
六歳になって数日。
もうすぐ選別の儀がある為、大人たちはぎこちない中、ぼくの幼馴染みは知らんぷりをして森の中を駆け抜けていく。
リンリィは、いつもそうだ。
臆病なぼくを追い越して走って行ってしまう。
女の子らしくしなさいとおばさんが言うくらいにリンリィは『お転婆』だった。
複雑な森の中で、どう世界が見えているのだろうか、すいすいと木々の間を縫って走って行く。彼女の名前を呼んでも、こちらを振り向かない。
あの空色の瞳が、ぼくを見ない。
「リンリィってば!」
いつもなら、こっちを向いて「ラエル!」と呼んでくれるのに。
夢みたいだ。
そう夢だ。
カーテンは光りを浴びて朝を告げている。
どこかで鳥の声がして「朝だよ」と言っているし、鼻腔をくすぐる朝ご飯の匂いもしていた。
「リンリィ?」
ここは屋根裏部屋はラエルとリンリィの部屋。今は同じベッドの中にいる。
一階から階段を上って正面から見ると、ベッドは部屋の中心にある大きい窓の下に二人以上寝られる大きさで右をリンリィが、左をラエルが。
ラエルから階段を見れば左にリンリィがいる。
枕にしてもらっている腕の中を見れば、長いまつげが揺らいで光りのない瞳が、ラエルを見た。
「朝だよ」
彼女は身じろぎ、腕から離れて起き上がる。起き上がるだけだ。そこからの動作はなく、ぼんやりとベッドの上に座るだけで壁を見ている。
ラエルは、一回、なにを見てるの? と聞いたことがあった。するとリンリィはこちらを向き、なにも映さない瞳でラエルを見つめてきたことがある。声をかけたのに、振り向かせたのに、ラエルがいない。そんな瞳。透明な蒼を輝かせていた空色の目が夜になっていた。
村に帰ってきてから「ラエル」と呼ばれることは、ただ一度もない。
ラエルは起き上がって、リンリィをそのまま、ベッドから出て袖なしの服と薄手のズボンを脱いで、いつも着ているクリーム色のズボンと茶のブーツ、胸にさらしをへそまで巻いてから前開きの上着を着てボタンを留める。
さらにベストを着込んで、髪を高く結ぶ。
簡単な救急セットが入っているベルトを着け、剣を取った。
そして、くるりとベッドの方を見、リンリィがいることを確認すると彼女の服がある箪笥へ歩いて行き、今日の天気はと窓を見て、ラエルは「晴れのままかな」と思いつつも、冬近くだし、と少し厚手で長袖のワンピースを取り出した。
胸元には濃いめの緑色の蔦の刺繍が。袖にも軽く刺繍の入った白の服はリンリィによく似合う。
「リンリィ、着替えよう?」
彼女の手を引いてベッドから立たせ、寝間着の茶色が入ったワンピースを脱がし、
「ほら、腕とおして」
選んだワンピースを着せる。腰辺りにある紐を絞り、結べば今日一日の服の完成だ。
リンリィは全てができない訳じゃない。ただ生きる心がないだけで、生理的な現象があれば、ふらりと行くし、言えば服に手を通すし「おいで」と言えば歩いてくる。
子供たちのめんどうを、いや、子供たちがリンリィを見ていることが多いけれど、なにかあれば、ラエルのそばまで来て、袖を引っ張ってくれた。
寝間着を箪笥にしまってからリンリィの手を取り、ラエルは階段まで連れて行き、降り、
「おはよう」と魔王をやっている父ヒイロとその妻をやっている母ロインに声をかける。
「ん、おはよう」
「リンリィもおはよう。顔を洗ってきなさい」
「わかった」とリンリィを連れて洗面所に行って顔を洗う。ラエルが洗ってから「リンリィ」と言えば、彼女は顔を洗ってラエルから布をもらい顔を拭く。
その所作は緩慢だけれど、そこはラエルが拭いてやり、また居間に戻った。
前までは「顔を洗う」さえもできなかったので大進歩している。
布を濡らして顔を拭いてやるのも昨日のことに感じていた。
「二人とも、今日はアリスが立つ日だから見送るんだよ」
ラエルは「ああ、そうなんだ」と父に言うと、ヒイロは嬉しそうに頷いて、
「ここの暮らしも慣れてきただろうに、故郷が心配だから帰るって聞かなくてね。今まで働いた分の賃金を工面して……父さんたちもなんとなく分かっていたから、色々と持たせて、一回、帰らせることにしたんだ」
「一回?」
リンリィの椅子をひいて座らせ、ラエルも座ると父の言葉を繰り返す。
アリスことアリスベールは春先に来た魔族の女の子だ。この魔王村を壊す為に師団長やらに命令されてやってきた。
話を聞くと魔族側も食糧難で酷いという。ならば故郷は、もっと酷いだろうとアリスベールは悩んで「いつか故郷に」と口にして魔王であるヒイロに何度も相談している。
とうとうヒイロが折れてアリスベールを故郷に帰す。その日がやってきたのだ。
「アリスの故郷がどうなっているか分からないから、有志を募って馬車で向かうことにしたんだよ。もし、まだ帰るべき人たちが帰らずにいて苦労しているようなら、こちらに移住の話もしたんだ。だから、一回、だ」
なるほど、とラエルはスープを飲みながら答えて、横を見る。
やはり、リンリィは食事に手をつけずに、ぼうとしているだけ。
「リンリィ、スープ飲んで、パンも食べよう?」
その言葉を合図に彼女の手が動き、細い指先で器を掴んで、ごくごくと飲み始める。
彼女のスープには固形物を入れない。それは帰ってきて少し経ったあたりで、ラエルの母が決めたことだった。
十年という年月は全てを変えて、最初、リンリィは急ぐようにスープを飲むから固形物は食べないのでいれない。パンは食べない。いつも何かに急かされているようで、
「ゆっくりでいいんだよ」
そういう間もなく、リンリィはスープを一気飲みして、この頃、手をつけ始めたパンを掴む。
パンの食べ方も両手でわしづかみ急いで食べた。
前ならリンリィの母親はマナーに厳しい人だったから、こんな姿を見たら卒倒してしまうだろう。生きていたならば。
がたん、とリンリィが立ち上がろうとしたところで「リンリィ、ごちそうさまって心の中で呟いて」とロインが声をかけた。
その通りなのか、立ち上がったまま、少し間をおいてリンリィは動く。ふらふらと行ったのは洗面所だからトイレだろう。
ラエルもできるだけ早く食事を終わらせ、
「今日もいつも通り、裏で授業してるから」
そう告げると、ヒイロとロインは頷いて「朝の見送りはお願いね」と言う。
ラエルは魔王村の奥にある『城』の裏で人間の子供たちと魔族の子供たちに、読み書きの授業をしているからだ。
この魔王村に身を寄せるのは、故郷をなくしたものや軍から逃げてきたもの様々な理由で、ここに住んでいる。
住民は朝は農作業、昼は出店や掃除など細かいことを任して給料を貰い、おもいおもいの日用品や食べものを買って、日々を過ごしていた。
ラエルは働きに出てしまった両親に代わり、子供たちの世話をしている。
世話、と言っても本格的な文字や数学などの、今後役に立つ授業だ。
識字率は人間も魔物も低い。これでは生きられないし騙されて
なのでラエルの剣の練習は夕方から夜まで。
十年前から欠かさず練習をしている。
すべては『騎士』の称号を得る為だ。
じゃー、と音がしてリンリィが手を洗っているのを耳で捉える。
きゅ、と蛇口の栓を止める音がしたあとにリンリィは、ふらふらと居間に戻って来た。
「よし、みんなで見送りにいくか」
食事を終えていたラエルの父も母も立ち上がり、四人で外に出た。
日射しは柔らかく、しかし強くなく、少し厚手でよかったと安心してラエルはリンリィの手を引く。
とことこ歩いて行けば、数分で村の入り口につき、そこにはアリスベールと大きな荷が積まれた馬車と有志を募ったところの、ライオンの魔族の体格がよく、元軍人のラインハルト、同じく剣に腕がある元軍人のツタンに魔法が得意のハーベンが村人に囲まれ、
「危なかったら帰ってくるんだよ」「わたしたちは受け入れるからね」と口々に周りの女性たちからアリスベールに向かって声をかけていた。
それにアリスベールは嬉しそうに笑い「一回、帰るだけです」と安心させるよう、何度も口にする。
「あ、ヒイロさん、ロインさん」
こちらに気づいたアリスベールが、ぱっと顔を明るくして、こちらに来た。
「やあ、アリス。もう出発できるのかい?」
「はい。護衛までつけてもらって、ありがとうございます」
ヒイロの言葉にアリスベールは頭を下げる。
「女の子の一人旅なんて危ないもの。今後のことも考えて何人いたってかまわないわ」とロインは彼女の肩に手を置いた。
それに感涙したアリスベールは、何度もコクコクと首を縦に振る。
「オレたちが護衛しますし、大丈夫だろ」
前の方から聞こえたラインハルトの声に、みんなが「腕っ節はいいわよ」「こいつがいれば安心だ」と口々に言う。
「みんな、見送りに長話は禁物だ。アリス、行っておいで」
門の外に用意されていた荷馬車に乗り込んだアリスベールは、
「必ず帰ってきますからぁ!」
ぱんっとツタンが馬を叩き、ゆっくりと馬車は動いた。
「気をつけてねえ」「またね!」
そこから地平線、見えなくなるまで、みんなで見送り、各々が「大丈夫かしら」と口にしながら仕事に戻っていく。
戦争が終わりを迎えてから、どこにもいけない帰れない野盗が増えた。
それは人間も魔族も同じで、どこどこで見かけたやらあそこはダメやら噂は絶えない。特に外へ商売に行く人たち、または魔族は、売りに出た先の地元の住民から話を聞いて、情報が常に更新されるようにしていた。
「せんせっ!」
くんっとラエルの袖を引っ張ったのは教え子のジュールだ。
「なんだ、どうした?」
「アリスねえちゃ、いつ帰ってくる?」
ジュールに視線を合わせる為、屈んで小さな生徒に答えを言う。
「んー、ちょっと遠いって言ってたから一ヶ月ぐらいはいないかなあ」
「えー」
ジュールが気にしているのは、アリスベールがジュールの家に下宿していたからである。
最初は遠慮がちで人見知りがあった彼女に、一番懐いたのは幼いジュールだ。
子供ゆえの天真爛漫な姿にアリスベールの心は、すぐに解けたという。ついで、やはり、故郷の弟のことを思い出す、と。
彼女が働いた分の賃金の全てと住民たちが支援したものを持ち、アリスベールは、故郷に一時的に帰っていった。
「それよりジュール、勉強の時間だぞ。荷物もっておいで」
「はーい」
小さい身体が走って離れていき、ふう、と一息ついてラエルはリンリィを見る。
どこも見ていない。
「リンリィ、行こうか」
風にまかせて、ふわふわと揺れていた手を取り、ラエルは家に戻った。
おいでませ!魔王村〜聖女になってしまった幼馴染の全てを取り戻す!~ 大外内あタり @O_soto_uti_ATR
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