魔法のめざめ
オスカー・ワイルドの童話に『幸福の王子』というものがある。どこまでも救われない物語だ。
幸福の王子は幸せを知っていた。否、幸せしか知らなかった。その幸せが偽りの箱庭限定品だと知っていたけれど、その王子は幸せだった。ゆえに、その目に不幸せが映る度、それを救わずにはいられなかった。それを世間は知ってか知らずか、彼は世界中の不幸せが見える高台に安置されたのだ。
ワイルドの描いた『幸福の王子』は、世間一般に言われるような利他的行動の賛美だとか功利主義への皮肉などが本質ではない。善意から手を差し伸べた結果として、人の幸せを願う王子は盲目となり、友を失い、その心臓さえ打ち捨てられた。これを賛美だというのなら、それこそあまりに救いがない。
アレは不幸せを許せなかった暴君の成れの果てが、チープな全能感に後押しされて、燕と手を組み幸せの押し売りをしただけの物語。
だから神様も貴い行為をしたと認めておきながら、天に召し上げたときに、同じ場所には置かなかったのだ。燕は神々の庭に捕らえられ、王子は黄金の町で神を賛美するだけの道化師になり果てた。それは、彼らの行いが罪だからだ。
幸福の王子は幸せだっただろう。そしてきっと、懲りていないのだ。宝石を剥ぎ取られ、心臓を捨てられたとしても、道化を続けられる。どこまでも救われない。王子も、燕も、神も、誰も。
――――それを鼻で笑えない、僕も。
家庭環境にも、学習環境にも、友人にも、人並み以上に恵まれていた。親のスネをかじり尽くして国内トップクラスの大学に通い、背広組として防衛省に入省……すなわち官僚となった。最終的に人を救うのは国家というシステムだと信じ、無邪気に善意を過信し、僕が働くことで誰かを救えると見誤った。結果が過労死というのだから笑えない。
それでも僕は幸せだったと言い聞かせて進むのだ。それが官僚として、公僕としてのありかただ。幸福の王子を笑えたものではない。アレは僕だ。違うのは、神が心臓を見つけて召し上げてはくれないことぐらいのもの。同期とつるんで『国民の皆さまの安全のために!』と、さまざまな施策を押し売りして歩いたのだ。この報いは、受けてしかるべき。そう納得している。それが驕りだと知っても、なお。
問題は、これを考えているのが
(それにしても、なぜ今になって?)
そもそも、この記憶が鮮明に浮かび上がること自体妙だ。生まれてからこのかた、ここまで鮮明に意識したことはない。
アオとしての僕の記憶は公爵家の馬車の護衛中に襲撃を受けたところだ。おそらくは左眼球になにかが突き刺さった。脳に近い位置だし、眼球以外にも爆風による裂傷や火傷もあるだろう。生き残ったとしても、今後一生ベッドの上かもしれず、あの世界にホームレスの子どもが受けられる高等医療は存在しないので、死んでいた方がマシだ。生きたままウジ虫に食われたり、感染症にのたうち回ったり、野良犬にじわじわと内蔵を引き出されるよりは、絶対マシだ。路地裏ではどれも見てきた。あんな死に方するものかと思って死なないことだけを考えて生きてきた。
そんな立場にいつかなるとわかっていたけれど、おおよそ六歳でこうなるか。少し早すぎる気がするが、そう思える位には、どこか冷静だ。思考ができるということは、脳の活動は止まっていない可能性が高い。
つまりこれは、走馬灯というやつか。出てくるのは前世の記憶ばかりというのがアレだが、まあ、致し方ない。
「なにものかになりたいなんて言わないけどさあ……」
声が出る。どこから、なんで?
つまり、声帯がまだ生きている。体がまだ生きている。
――――汝、力を
何者かの声。それが何者かはわからない。力とはなんだ。
――――汝が
選べというこの声はなんだ。神か。
――――否。
……なんというか、前世のギリシア神話と聖書をちゃんぽんしたらこんな問いになるだろうか。非常に胡散臭い。天使気取りの声の主は、僕に力か慰めかを選べという。
生きるか死ぬか選べ、と読み替えてよいだろうか。生きるべきか死ぬべきかとか、ハムレットか僕は。
まあ、このまま死ぬよりは、いいか。なんであれ、死ぬのは、いやだ。
「力を。僕が生きるに足る、力を」
――――見よ、主は聖なる御所におられる。全地よ、御前に沈黙せよ。
暗闇に光が戻る。
――――見よ、高慢な者を。彼の心は正しくあり得ず、ただ人は信仰により生きる。
戻った視界は右目だけ。鈍痛。全身痛い。
――――汝は深淵に至れり。汝が主の平穏のうちにあらんことを。
声が途切れる。左目がうずくように痛い。目の裏にナニカがある。それを気にしつつも体を起こす。右目のピントが合ってきた。音も戻ってくる。血だらけの両手。目の前には折れた槍の穂先。
「けっ……天下のバリナード公爵家もこんなもんか。さすが封魔結晶。ちょっと魔力を収束させるだけでこの威力」
男の声。痛みに耐えつつ頭を上げる。横転した馬車が見える。銀細工の盾の紋章、貴賓車が転がっている。
「いや、とと様! とと様!!」
ソプラノの声。壮年の男を揺すっている桃色のドレスにピンクにも見えるブロンドの長髪の女の子が見える。男と女の子を囲うように人垣がある。襲撃してきたやつらか。狙いは公爵家の人間ということだろうか。わからない。
わからないが、気分が悪い。あぁ畜生。僕は前世から成長できていないらしい。望まれているか否かにかかわらず、それでも善意の押しつけを止められないらしい。
体を起こす。左手に全く力が入らず、右手だけで起き上がる。こりゃあ、すぐに失血で死ぬな。そんなことを考える。まあいいか。とりあえず胸くそ悪い行為が起きているのがわかるので、止めたい。英雄なんて柄ではないが、誰かを守れるようにはなりたいと思っていた僕のことだ。きっとこれは運命なんだろう。
「泣いてちゃ可愛いお顔が台無しですよ、公女様。あなたの協力があればお父上はお助けいたしましょう」
「聞くなリコ――――ぐぁ」
「魔導攻撃をあれだけ食らってまだ喋るとはさすが公爵閣下」
あぁ、虫酸が走る。折れてちょうど良いサイズになった槍を支えに立ち上がる。自分の血で槍が滑るが、持てないほどじゃない。
「さあ、公女様。あなたのご決断でお父上と公爵領は助かるのです。何を迷うことがありましょう。大丈夫です、殺しはしません。これから何度も殺してくれと仰るでしょうが、それでも殺されることはないでしょう」
「それでも、わたくしは……!」
力を、とはこういうことか。なんとなく察した。呪われてしまえ、神とやら。そもそも僕に選択肢はないじゃないか。目の前のこれを排除しなければならない。それだけがわかる。
「……
口が何かを紡いでいく。浮かんでくる文字列は、日本語のようにも思う。だが、口から飛び出している文言は、僕の知らない言語のようにも聞こえる。いろんなものがずれていく。それでもやるべきことだけがわかる。穂先を持ち上げ、担ぐような姿勢に。体勢がぐらりと揺らいで、脚を置き直し、バランスを取る。
「あ?」
襲撃犯と目が合う。まあ、気づかれるのは当たり前か。冷静なようで冷静ではない。頭の中が不純物で一杯になる。激情、特に怒りは思考を鈍らせる。わかっている。わかっているが、もう止められない。
「
カチリと頭の奥でナニカが噛み合うような感覚。潰れたはずの左目が熱い。振り上げた穂先に向けて、自分の中から何かが抜けていく。
英雄なんて柄ではない。それでも、誰かを守れるようになりたかった。それは、きっと傲慢で甘えた望みだ。それでも許されるのであれば。
「魔導師!? なぜこんなところに!?」
誰かの驚いたような声。なぜ、と問われるも答えは持ち得ない。とりあえず、女の子が泣いていて、殺してくれと懇願するような出来事が待っていることだけはわかっているのだ。『なぜ』も『どうして』も、生き残れたらその時考えることにした。
「その子から、離れろ」
それを投げつける。投げつけたところで、強烈な虚脱感が襲ってきた。僕の記憶はここで途絶える。
「あなたは……!」
誰かの声を聞いた気がしたが、それもよくわからない。ただ、ただれたような瞼の痛みだけがいやに現実的だった。
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