第2話

「ジルー! こっち早く!」


 ピョンピョンと飛び回りながら走って行くエステリーゼに「早く早く!」と急かされる。


 猿じゃないんだから、追い付けるわけがないだろ、ふざけんな。


 人混みに紛れて行った様に見えて、きっちりと彼女の通る所だけは皆々が避けていく。


「待って……」


 言葉の続きを俺が口にする前に、彼女はさっさと行ってしまった。

 まったく、なんで俺がご機嫌取りしなきゃいけないんだか。


 侍女か、せめて護衛の一人くらい連れて来れば良い物を。

 要らないのはわかるけど、騙されて攫われでもしたらどうする──


「いや、やる奴は居ない……か。はぁ……」


 考えなくたってわかる話だ。攫われるなんて、そんな事態は絶対に起こり得ないんだよ。

 そんなのは自殺行為に他ならないのだから、誰かがやるかって話だ。


 例えば、エステリーゼ連れ去ろうとして誰かが彼女の腕を掴む。

 すると、エステリーゼは急に掴まれたのにびっくりして振り払う。

 掴んだ誰かが吹き飛ぶ。

 とまあ、こうなるだろう。簡単3ステップで一網打尽となる訳だ。「龍血者」って素晴らしい。


 そんな奴の機嫌取りを同い年のガキにやらせんなクソがよ。


「あらリーゼちゃん、おはよう!」


「おはよ!!」


「これはこれはエステリーゼ様、ごきげんよう」


「ごきげんよー!」


 エステリーゼがご機嫌に歩いていると、皆が大きな声で挨拶をしてくれるのだ。

 少し距離を取った所からエステリーゼに手を振ると、エステリーゼは立ち止まって手を振り返す。


 そんな様子を見ながら駆け足でエステリーゼに追い付き、横目で挨拶の聞こえた方を睨むが、誰も俺とは目を合わせない。


 彼らは俺が今とてつもなく危険な目にあっている事を分かった上で、見なかったことにしているのだ。


 アインゼル家は俺に報酬を払いやがれってんだ。

 そのくらいできる金はあんだろ。

 ……え?

 家具の修理代で報酬なんか払えないって?


 そんな事情、俺には関係無いんじゃないかな。名家の貴族なんだから金持ってんだろ?


 ──なんて考えて、再度大きなため息を吐いた。

 こんなこと言ったって、考えたって、無駄なのは分かっている。


 なにもこの子だって、好きであんな力を持っている訳じゃない。


 たった4歳の幼子でしかないエステリーゼ自身が気付いているかは分からないが、この街で彼女は“腫れ物”だ。

 公爵家の息女であるにも関わらず。


 少なくとも彼女と近い年齢の子供達は、可能な限りエステリーゼに近寄らないように、と親から言いつけられてることだろう。


 遊び半分で声をかけて、もしくは彼女の優れた容姿に惹かれて、場合によっては公爵家との繋がりが欲しくて……。

 彼女の化け物じみた能力に振り回され、物理的な被害を被った者達は数知れない。


 それなら、何故俺はこうして隣を歩く事を看過されているのか。


「あっ、何してるの〜」


 不意にエステリーゼは立ち止まり、集落の中央にある噴水広場で遊ぶ子供たちに気付いた。


「やばっ、エステル!?」


「おい、にげるぞ!」


「?」


 エステリーゼに声をかけられた事に気付いた子供たちは、慌てて噴水広場から逃げ出した。

 彼らの反応から察するに、どうやらエステリーゼによる理不尽が身に沁みているようだ。


 突然逃げられたエステリーゼは少し呆然とした後、涙目になって子供たちを追い掛けようと足を踏み出した。


「エステル、ちょっと止まって」


 このままでは彼らがどうなるか想像もつかないので、俺は手綱代わりにエステリーゼの手を握って、咄嗟に彼女の正面に立ち位置を変えた。


 そして、エステリーゼが何か言おうとする前に、彼女の髪に手を伸ばした。

 柔らかい金糸の様な髪を手櫛で梳いて、さっき走っていたせいで乱れた所を整えてやる。


 しばらくそうしていると、不意に触れたエステリーゼの耳が熱く、赤くなっている事に気付いた。


「……はい、治ったよ」


「あ、ありがとう……。えへへ」


 そう、俺がエステリーゼの側に居られる理由は至極単純。こうして彼女のご機嫌取りが出来るからだ。


 近い年齢の子供達と比べると精神年齢が高いので、彼女の横暴さに振り回され過ぎる事がない。


 大人達がやれば良いとは思うが、どうしてかエステリーゼはあまり大人達のことが好きじゃない。

 それを公爵家の方々も知っている。


 だからこうして、仕方なくこの脳筋美幼女の付き添いをやっているのだ。

 俺は不本意ながら精神年齢だけは高いと言われてるから。


 ハッキリ言って本当なら俺の手には負えない。


 でも、彼女も人の子であり、小さな女の子だ。

 どんな力を持っていようとも。


 ほんの数ヶ月前に、街中で迷子になって泣いている同い年くらいの女の子を助けた。

 因みに言うと、その時は俺も迷子だったのだが……。


 少し離れた位置でお付きの侍女は腕を折られ、護衛の騎士は鎧ごと足を粉砕されていた。


 俺は幼女を近場で買った食べ物で泣き止ませ、騒ぎの中心で倒れていた二人の為に近場の教会からシスターを呼んだ。


 その翌日、我が家に金髪碧眼美幼女ことエステリーゼが「あそぼ!」と言いながら玄関をぶち破ってきた。


 俺はまずエステリーゼに「物を壊してはならない」と教える所から始めた。


 今では彼女の影響による怪我人は減り、物を壊されたという話も聞こえてこない。


 どれだけ「特別な存在」であったとしても、エステリーゼは年相応の女の子だ。ちゃんと教えれば出来るようになる。


 偶に好奇心に負けてしまうと、俺の話を聞いてくれないけど。


 そしてついでに、この子は迷子だった所を男の子に助けられたせいか、幼いながらに若干俺に惚れているのだ。


 普段の振る舞いからは想像もつかないが、こうして物理的な距離を縮めたりボディタッチをすると、びっくりして動かなくなったり、顔を赤くしたりする。


 女の子は何歳でもませてんだよな。


 俺が手綱ついでにエステリーゼの手を握っていると、彼女はその手をもぞもぞと動かし始めた。


 エステリーゼは常日頃から木剣を振り回す、公爵令嬢とは思えない野蛮な女の子だが、その手は年相応の女の子らしく柔らかくてすべすべとしている。

 もぞもぞ動かされると、くすぐったい。


 ちらっと隣エステリーゼの横顔を見ると、頬を赤らめたまま視線を泳がせている。

 多分握り返したいんだろうけど、如何せんエステリーゼは力加減が下手だ。


 もしエステリーゼが思い切り握り返してきたら、俺の手が二度と使い物にならなくなる可能性もある。


 仕方なく、空いていた手でエステリーゼの指を折り畳んでやり、握り返す様な形に手を動かしてあげた。


「これで良い?」


「う、うん……」


 あら、顔真っ赤だよ。


 周辺を歩くご婦人さんとかが微笑ましそうにこっちを見てくる。

 俺はどちらにも気付かないふりをしながら、エステリーゼの手を引いて歩いた。


 このままだと、その内「大人になったらジルと結婚する」とか言い出しそうな物だが、もしエステリーゼがそんな事を口走ろうとも、実現することは絶対にならない。


 何故ならエステリーゼは公爵令嬢だから。


 今この状況、それはまだ4歳のガキ同士かつ、エステリーゼにあまり聞き分けがないから成り立ってる関係性だ。


 多少の分別や貴族としての矜持を理解していけばエステリーゼ本人も、俺との関わりがあまり良い物では無いと分かることだろう。


 この大陸の人間は、基本的に貴族意外に姓名を持たない。

 例外は皇族、そしてウチみたいな騎士爵家だ。


 貴族に仕える騎士団、その長となる者の家は騎士爵家と呼ばれる。


 ウチはアインゼル公爵家に仕える騎士の家なので、当主であるジアイザ・ジーフリトは公爵家の二階級下の伯爵家と同程度の地位や権力を持っている。


 ただしそれは当主であるジアイザのみの話であり、強いて言うなら次期当主の我が兄アインにも一応関係があると言うだけで、成人前には家を出る予定の俺には全く関係が無い。


 言ってしまえば、平民と公爵令嬢の交際なんざまずあり得ないという、至極現実的で単純な話だ。


 ついでに言うと、エステリーゼは龍の血を引く者。


 皇族に嫁入りするか、最低でも皇帝直属の騎士団である“近衛騎士”になる筈だ。既定路線ならね。


 そんな輝かしい未来で、記憶の端っこに初恋の男の子として残っていたとしたら、それだけでジルと言う男の子にとっての人生最大の思い出になる事だろう。


 ジルロード・ジーフリトとエステリーゼ・フォン・アインゼルにはそれだけ、生まれと立場に大きな差がある。


 ……ま、今現在のエステリーゼにそれを言ったところで、何一つ理解出来ないだろうけど。

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