街語り
月宮 余筆 (ツキミヤ ヨフデ)
第1話 1500円の青春モドキ
電車の中は、意外にも情報があふれている。
スマホから顔を上げてみるといい。
疲れ切って、髪の薄くなり始めた40代の冴えないリーマンが居たら、多分俺と同類だ。
ほかに目を移せば、年齢性別、身分も何もかも様々な乗客、そして吊り広告が目に入ることだろう。
俺の目に留まるのは学生とゴシップ誌の広告だ。
大々的に政府の物価高への批評を語っている。
年々物価は上がり、給料は雀の涙。そして残ったものと言えば、青春の亡骸だ。
昔は100円あれば、駄菓子屋という場所で値千金の幸福を買うことができた。
冷たくて甘いだけの安いコーラと、稀に銀歯を盗んでいく砂糖の塊のようなキャラメル、そして同じく出来の悪い悪友と大人に文句を言うだけの夕暮れ時が今はもう、セピア色になってしまった。
「はぁ…」
誰に聞かせるでもなくため息をついて、横目で楽しそうに笑う学生を伺う。綺麗な制服を着こなして、髪も服装も色に富み、何よりも笑顔にあふれている。
何の悩みもなさそうで、スマホで“推し”というものを見せ合って笑う姿は、駄菓子屋で馬鹿話をしていた俺たちと何も変わらない。
直視できないほどに眩しく、俺とは対照的なまでに輝いている。
こんな大人にはなりたくなかったんだけどな。
列車を下りて、帰路に就く。世間は春だというのに、出会いも別れも、廃れた俺のようなおっさんは、万年梅雨のような憂鬱しかない。
そこまで考えて、ふと思い出す。
そういえば、俺はどんな大人になりたかったんだろう?
学生の頃、大人になるなんて考えたことがあっただろうか?
そうだなぁ。今と変われず笑えていればいい。そんな風に考えていた。
実際はどうだ?何もかもが手の届かない高級品だ。
コーラもキャラメルも値段は上がり、学生特権とも言える鮮烈な出会いも、ドラマチックな別れもない。
もう学割が適用されず、代わりに責任と仕事はプライスレスだ。
誰かと話そうとか、関わろうとするにも金が要る。
青春というものが、100円で買えた時代は過ぎ去った。
今や幾らになるのか、値札すら見せては貰えない。
コンビニの前で立ち止まる。
特に用事もなしに何となく入ってみれば
ショーケースの中の真っ赤なラベルのコーラと目が合う。
「そうだなぁ」
かすかに迷った末に、隣のケースに収まっている銀色の缶を手に取った。
ビール数本と裂きイカ、青春の先輩としてキャラメルを籠に放り込み、無機質なセルフレジを通す。
たしかに、青春は高くなった。
今の買い物だって1000円を超えた。
家に着き、パソコンを立ち上げて、1回500円の映画をレンタルする
これで1500円、随分とインフレしたものだ。
しかも、粗悪品。ビールは苦く、裂きイカは固い。あの頃と変わらないはずのキャラメルは妙に小さくなった。
強引にネクタイを緩め、ビールを流し込み、つまみを口に放り込む。
目の前では安い映画がぼんやり流れている。
たしかに、これが青春なんて微塵も思わない。
学生の頃の15倍の価格で、大きな希望とか興奮や、友情も欠落している。
抱えきれないほどの夕日は薄暗い液晶に取って代わり、コーラは苦い酒に置き換わり、菓子がつまみとなり果てて、悪友ではなく映画の音声がしゃべり倒し、他愛ない会話は独り言へと移り変わった。
「まあでも、悪くないかもな」
青い春を買うことができなくても、手元の少し寂しい秋くらいなら買えるのだから。
いつの間にか楽しめるようになった、金色の苦い液体を流し込みながら、小さく肩を震わせた。
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