"春"  作:凝り固まった餅

@cac_scenario

春。別れの季節。

大切な人との別れに、心曇らせる季節。

俯き、目に涙を浮かべる人々を、今日も桜は見つめている。



私の隣で、息子が泣いている。

孫も、息子の嫁も涙ぐんでいる。

血の繋がりも無いのに涙を流してくれるなんて、息子は良い嫁を貰ったものだ。

開け放たれた窓の外を見れば、私の嫌いな淡い桃色の花が咲き誇っている。

私は桜が嫌いだ。そもそも、春が嫌いだ。

私の夫が死んだのも、仲の良い友人と別れたのも、息子が私の家から居なくなったのも、春だった。

私は上手に母親になれていただろうか。

女手一つで育てるのはそれはそれは苦労した。

厳しくあたってしまったこともあった。

息子は、仁は私のことを恨んでいないだろうか。

使い古した服、踵を踏んで履いていた靴、満足に食べられない食事。

貧乏な生活を強いていた私のことを憎んではいないだろうか。

「君は良くやったよ」

不意に隣から声が聞こえて、驚きながら振り向いた。

「あなた.........」

「ごめんね。君に無理を押し付けて」

「ええ...本当に。あなたはいつもせっかちで、私を置いて行ってしまうんだから」

ふわりと、風が吹く。

白い箱に包まれた私の顔に、開け放たれた窓から桜の花びらが舞い落ちる。

忌々しい花びらに顔を顰める。

「どうしてそんなに桜が嫌いなんだい?」

「私から大切なものを奪うのは、いつだって桜の咲き誇る時期だった。嫌いになるのには十分でしょう」

「......君は忘れてしまったかもしれないけれど、僕と君が出会ったのは桜の木の下だった。仁が生まれたのも春だった。仁が嫁と結婚したのも、孫が生まれたのも、春だった」

...そうだ。どうして忘れていたんだろうか。

私が夫と出会った日、辺り一面が淡い桃色に包まれていた。

仁が生まれた日、部屋の中には陽気な空気が溢れていた。

孫を腕の中に抱いた日、すれ違った多くの学生が新しい服と鞄を身に纏っていた。

多忙な日々に包まれて、いつしか大切な思い出すら忘れてしまっていた。

「歩きながら話そうか。そろそろ行かないとね」

そう言って夫は私の手を取った。

街を遡って歩いていく2 人を桜の花びらが包み込んだ。





「ふぅ...」

つい、ため息をついてしまう。

仕事が終わり帰ってきて、スーツから着替えることもなく書類と睨めっこだ。

「相続はどうなりそうなの?」

台所から揚げ物の音と共に妻の声が飛んでくる。

「土地とかの不動産関連は何もないんだけど、通帳に2000 万くらい残ってたらしい」

「2000 万?そんなにあるの?」

うちの実家の貧乏具合を知ってる妻は少し驚いた顔をする。

実際、俺自身も驚いている。

「たぶんだけど、自分の生活費以外何も使ってなかったんじゃないかな。生活費だけなら年金で足りるだろうし、俺の仕送りがそのまま残っててもおかしくはない。にしても多い気がするんだけど......」

「パートで働いてた分もあるんじゃない?70 歳くらいまで続けてたらしいし」

「元々贅沢はしない人だったけど...もっと自分のために使っても良かったのに.........」

2 人とも黙り込み、台所から油が跳ねる音だけが響く。

「ただいま〜」

静寂を突き破る声が玄関から聞こえた。

「おかえり。遅かったじゃない」

帰ってきた息子の皓太に妻が台所から話しかける。

新品の黑いランドセルを背負った皓太、今日は小学校の始業式だったか。

たしか、始業式は午前で終わりだったはずだが...。

「どこか行ってたのか?」

「ごはん食べてから公園に遊びにいってたの!あのね、あのね、みんなすごいんだよ!かずき君はね、すっごい足が速いんだよ!ともかちゃんはね、よつばのクローバーをすぐ見つけるんだよ!それでね、けんたろう君がね!」

「もういっぱい友達できたんだね」

「うん!」

皓太の話を遮った妻が、唐揚げをお皿に盛って机に置いた。

「ランドセルを置いて手を洗っておいで、ご飯食べながらお話し聞かせて」


「はぁい!」

元気よく階段を登っていく皓太を見送って、妻と顔を見合わせて微笑んだ。



春。別れと、出会いの季節。

悲しみと寂しさを胸に携えて、新たな出会いに心躍らせる季節。

各々の心持ちで新たな1 歩を踏み出す人々を、今日も桜は見守っている。

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