課長からのお誘い②
「なんか最近悩んでることがあるんじゃないか?」
チェーン店じゃない居酒屋である。暖簾で軽く仕切られたボックス席で向かい合い、腹に溜まるつまみを何品か注文し、ビールで形ばかりの乾杯をする。他愛もない話でジョッキを一杯空けた後でそう切り出された。二杯目をどうしようかと思っているところへ、さっと「生二つ」と通りすがりの店員に声をかけ、空のグラスを渡す。
しかし、さすが課をまとめる人間は部下をよく見ているものだと思わず感心する。それとも俺がわかりやすすぎるだけか!?
「えっと、あの」
「仕事のことか?」
「それもまぁ、あるにはあるんですけど」
そう、ぼそり、と言うと、やや大袈裟すぎる動きでがばりと頭を下げられた。
「いつも安田の尻拭いばかりさせてすまん!」
「かっ、課長!?」
「いや、俺もな、佐藤にばっかり負担をかけてるとは思ってるんだ。ごめん、言い訳になるが、お前なら何とかおさめてくれるっていう安心感がな?」
「そこまで買ってくださってるなんて。いえ、あの、ありがとうございます」
ただまぁ迷惑は迷惑ではあるけれども。
「しかし、仕事だけじゃないってのは……。もしかして、あれか、プライベートの方で、その、なんかある感じか」
プライベートの方でなんか、とは随分と持って回った言い方である。でも確かにそうだ。プライベートの方でなんかある感じなのだ。
「いやぁ、その、なんていうか。申し訳ありません、業務に私情を」
「いやいやいや、プライベートの充実ってのも重要だからな。特にほら、佐藤は金曜の午後は恐ろしく業務のスピードが上がるだろ、だからよほど週末が楽しみなんだろうな、って思ってたんだけど、ここ最近は何だか表情が曇ってる気がしてな。それで心配していたというか」
ほんと良く見てらっしゃる……。
「実はその、週末、一緒に飯を食ってるやつがいまして。そいつの飯がめちゃくちゃ美味いものですから、それにありつけるのが楽しみで頑張ってた、と言いますか」
酔いに任せてついそんな言葉が漏れる。
「おぉ……一緒に飯を……! なんだ佐藤、お前も隅に置けないな!」
「いや、その、別にまだそういう関係というわけではなくて、ほんとに飯を食ってるだけなんですけど」
もじり、とおしぼりをいじる。そのタイミングで二杯目が運ばれてきて、課長が口を付けたのを見届けてから、それに続けと言わんばかりにぐいっと呷った。喉が渇いていたらしく、ごくごくと喉を鳴らす。ビールはキンキンに冷えているのに、それは俺の熱を冷ましてはくれず、むしろ内側からかぁっと熱くなるようである。その様子を見て、課長が「ほう」と片眉を上げ、身を乗り出した。
「つまりは、『気になる相手』と。そういう捉え方で良いのか?」
「――っぐ! そ、その、まぁ、はい。そ、っすね。はい」
思わずそう答えると、課長はそうかそうかと少し赤くなった顔をほころばせて「そうかぁ、佐藤、そうかぁ」と嬉しそうだ。何で課長がそんな嬉しそうなんだ。
「これ、俺『結婚とかは?』とか聞いて良いやつか? それともそういうのは控えた方が?」
「そこまでは、ちょっと。俺としては長く一緒にいたいと思ってはいるんですが、相手がどう思ってるかわかりませんし」
何せ男同士なので。という言葉はぐっと飲み込んだ。
けれど多希は、『妻』としては完璧すぎるほど完璧なのである。たぶん大半の男が『妻』に求めるものを全部持ってると思う。料理完璧、家事完璧、性格も良くて見た目だって可愛らしい。
「そうか、そんなに可愛いのか」
課長のその言葉でついつい心の声が漏れていたことに気付いたが、もうここまで来れば全部言ってしまえ、という気持ちになる。いわゆる酒の勢い、というやつだ。
「そうなんです。パッと見はちょっととっつきにくそうな感じっていうか、ちょっとヤンキー入ってるんですけど、でも、笑うと可愛いんです。こう……、鼻のここんところにキュッてしわを寄せて笑うんす」
「そうかそうか。ギャップってやつだなぁ、それは。頑張ったら良いじゃないか。手応えはあるんだろ?」
「手応え……あるかどうかわからないです」
「そんなお前、毎週毎週飯を食う間柄なんだろ? それは期待して良いやつなんじゃないのか。押せよ」
「いやぁ……」
頑張りたい気持ちがないわけではない。
もし多希とそういう関係になれたらと思わないわけでもないのだ。
だけどどう考えたってきっとこれは俺の一方通行だし、下手なことをしていまの関係すら壊れてしまうのが怖い。
それに。
「俺はちょっと平凡すぎるというか」
そう吐き出して、残り半分のビールを飲む。ペースが早い自覚はあるが、アルコールの力を借りないと話せないこともある。
「……は?」
たぶんずっと引け目があるのだ。
俺は本当に平凡なサラリーマンで、そりゃあまぁ、良いトコに勤めてるから、将来性はある……と思いたいけど、それだってどうかわからない。だけど、多希の周囲の人間はどうだ。
「そいつの周囲にいるやつらが何かすごいんす」
「すごいって、何が」
「何かすごいマッチョマンと、何かすごいパリピなデザイナーがいるんす」
「佐藤、語彙力どこかに置いてきちゃったか? 何かすごいだけ言われてもな?」
「マッチョさんはすごく頼りになるし、力持ちだし、こないだまで求職中だったんすけど、あのほら、駅前のでっかいジムあるじゃないすか」
「あぁ――……なんつったっけ、アルファフィットネス? なんかそんな名前のトコだよな?」
「っす。そこで働き始めたんす。しかも求職期間中に資格も取ったりしてて」
「すごいなその人」
陽介さんが退職後も向こうにしばらく残っていた理由、やり残したこと、というのがそれだった。名前は忘れたけど、何とか指導者みたいなやつの資格を取っていたらしい。あの人は報連相を怠りがちで、大抵の場合、事後報告である。
「デザイナーの方は、俺が知らないだけで、実は結構色んなブランドにデザインを下ろしてるみたいで、その道では割と有名らしいんす」
「ほぉぉ」
八尋はまた「うぇいうぇい、おれ様天才すぎん?」と言いながら、また新規で契約して来たぁ、と上機嫌で報告をしてくるのだ。多希と陽介さんは彼がどんなに活躍の場を広げても「俺らには関係がないしな」と興味なさげな態度をとってはいるものの、それでも仲間の成功が嬉しくないわけではないらしく、毎回派手にお祝いしている。
「そんな二人がめっちゃ近くにいるんですよ」
「近くに、かぁ。何だ、幼馴染みとかそういうことか?」
「いや、一つ屋根の下で暮らしてて」
「えっ!? ちょ、その子大丈夫なのか?! その、倫理的にっていうか。佐藤お前それ大丈夫か?!」
「大丈夫です。そこ、下宿なので」
「成る程それなら安心……なのか? 俺、そういうのから何かが始まるアニメを昔見たことがあるんだが」
「奇遇すね。俺もあります」
そのアニメに限らずとも、たぶんドラマや映画など、よくあるシチュエーションではあると思う。下宿というか、ルームシェアで、というのは。
「ま、まぁ一つ屋根の下だからといって必ずしもそういう関係になるって決まったわけでもないしな……、うん」
課長は俯き加減でぶつぶつとそんなことを言いながら、まだ半分以上あるビールをちびちびと飲んでいる。
「佐藤が好きになった相手なんだし、そんな奔放な子ではないと……、うん、俺もそう思いたい」
「あ、あの、課長?」
「佐藤!」
「うぇっ!? は、はい?!」
課長がジョッキを、だん、と置く。とはいえ、そこまで叩きつけるほどの勢いではない。それよりも俺が驚いたのは彼の声量の方だ。広報部販促課の井上課長と言えば『菩薩の井上』とも呼ばれるほど穏やかな人格者で知られている。その課長が、目をぎらつかせてめいっぱい声を張っているのである。何だ? どうした? 俺、知らず知らずのうちに課長の地雷でも踏み抜いたか?!
「朗報だ」
「は?」
「お前だって勝てるところがある」
「え、あの」
「お前にだって武器があるんだ」
「え」
「お前は勤務態度も真面目だし、後輩からも慕われている。上司からの――つまり、俺からの評価も高い」
「あ、ありがとうございます」
え、急に何。これ褒められてるってことで良いんだよな?! もちろん文面上はお褒めの言葉であるけれども、裏の裏をかくのがサラリーマンだったりするからな。
「マッチョだかパリピのデザイナーだか知らんが、そいつらと同じ土俵で戦おうと思っても駄目だ」
「それは、まぁ、はい」
「良いか佐藤、女の子が皆が皆、マッチョが好きとは限らない!」
「え、と……」
すみません課長! さすがにそこは言えなかったんですけど、多希は男です! ただまぁ、どうだろ、特別マッチョが好きとは聞いてません、確かに! むしろ筋肉に良いメニューを考えないといけないのがちょっとめんどいとか言ってたし。
「それに、パリピだって、そのノリについていけるのは同じパリピだけだ! その子はパリピなのか? パーリーピーポーなのか?!」
「ち……がいますね、たぶん」
髪の毛の色は明るいし、服の色も派手めではあるが、多希はそんなにウェイウェイ言ってない。確かに八尋のノリに付き合うのがしんどそうに見える時もある。
「だったら! 勝ち目はある! 良いか佐藤! 結局最後は安定なんだ! 長く連れ添うなら安定した男なんだ! そういう意味ではお前なんだよ!」
「は、はぁ……」
どうしちゃったんだ、課長。これまでもサシ飲みの機会はあったけど、こんなに熱く語られたことなんてなかったのに。
「というわけで、お前に朗報がある」
「え、はい」
朗報って、俺の武器は真面目だとかそういうアレって話じゃなくて?
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