どうぞごゆっくりと言われても③
「うおっ、大丈夫か幸路さん!」
そこまで口いっぱいに含んでいたわけではないから派手に吹き出したわけではないけれども、シンプルに汚い。
「ご、ごめ。台拭き台拭き」
「こっちこっち」
「俺拭くから」
「いいよ、俺が拭くって」
「いや俺が」
「いやいや」
「じゃあもうこうだ!」
大人二人があわあわしながら一つしかない台拭きを奪い合い、最終的には二人で一つを使って卓を拭くという最高におかしな構図になってしまった。何だこれ。お互いに台拭きの端っこの方を押さえながら、阿吽の呼吸で前後左右に動かす様はまるで夫婦コントだ。いや、夫婦ってのは言葉の綾であってだな! ええい、落ち着け、俺!
「何で俺達一枚の台拭きで拭いてんだろうな。ははは、おっかし」
ははは、じゃないが。
確かに笑えるけどさ。
「仲良しすぎじゃね? なんかさ、こういうコントありそうじゃね? 夫婦とかの」
夫婦とか言うな。そんな邪気0の笑みで言うな。
俺もついいましがた考えたやつだから。以心伝心か。
いや、多希よ。
それよりも俺はさっきのやつが気になってるんだが?!
どっちかってぇと俺に食われたい、っていうのは、ホラー映画とかでよく見るような、そういう意味のやつか? それともそっちの意味のやつ!? なぁ、どっちなんだ?! これ、蒸し返さない方が良いやつ?! それとも掘り下げて良いやつ!?
確認するだけ。
ちょっと確認するだけだから。
そう思い、未だ台拭きを挟んで向かい合っている多希をキッと見つめる。
「な、なぁ多希――」
と。
「一枚の台拭き二人で使ってめっちゃ仲良しっすね。何してんすか」
ぬぅ、といつの間に近付いていたのか、すとんと腰を落としたタヌキ君が割り込んで来た。
「ったたた、タヌキ君!」
「ポン、どうした。また水か?」
「っす。今日やけに喉乾いちゃって」
「飲みな飲みな! もう二杯でも三杯でも! って俺んちじゃねぇけど! な、なぁ多希!」
「おうよ。何杯でも飲んでけ。ってかさ、ちょうど良かった。ポンポコ、勉強終わったんか? ちょっとお前、リアルなリーマンのお仕事事情聞いてみたくね?」
「っす。聞いてみたいす」
「嘘だろ、いまァ?!」
多希。
なぁ多希よ。
俺だけか?
俺だけなのか?
こんなに動揺してんのって俺だけなのか?
俺だけがお前の言葉に一喜一憂して心臓バクバクさせてんの?
「都合悪かったか?」
「悪かったすか?」
「全然大丈夫ですけど!? もう何でも聞いてくれやぁ!」
半ばやけくそになってそう叫ぶと、多希は「さっすが俺の幸路さん」とまたいらん言葉を添えてツマミを作りに行くし、変に気を利かせたのかタヌキ君すら「さすが多希さんの特別な人なだけあるっす」とか言って来るし。なぁ、俺はそこについても掘り下げてぇんだけど何? 俺二人に揶揄われてんの? 心身ともに疲弊してるサラリーマンをこの手の話題で揶揄うのって何らかの罪にならないんか?
とにかくもうこうなったらとことん付き合ってやるよ、お前の進路相談! 未来ある若者は知りたくなかったかもしれない現実ってやつをきっちり突き付けてやるからな! お前だって数年後通るかもしれない道なんだからな!
もちろん喋れる範囲で、ではあるけれども、福利厚生や給与面、実際の仕事内容ややりがいなんかを語らせてもらった。タヌキ君はたぶんかなり真面目な子なのだろう、きちんと正座をして、ふんふんと頷きながら、多希に紙とペンを借りて熱心に聞いてくれていた。ちなみにその紙はチラシの裏を再利用して作られたメモ帳だ。多希はそういうところまでしっかりオカンなのである。
相手が聞き上手だとついつい気持ちよくなってしまうもので、俺は酒を飲みながら、最終的には就活時の苦労話や
らしい、というのは、どうやら疲れのせいか酒の回りが早かったようで、途中で寝落ちしたからだ。気付けば朝になっていて、俺は居間に敷かれた布団で目を覚ました。「おはようございます。大丈夫すか。水飲むすか」と水を運んで来てくれたタヌキ君と顔を合わせた時のあの気まずさたるや。
そして、「いやぁ、マジでお疲れだったんだな幸路さん」とけらけらと笑う多希から昨夜の様子を聞かされ、現在に至る、と。
「引き止めてしまってすんませんした」
「いやいやこちらこそ遅くまで話に付き合わせちゃったみたいで、ごめん」
「貴重なお話、ありがとうございました」
「いやぁ、なんか最後の方はみっともないところを見せてしまったみたいで。ある意味貴重ではあるだろうけど」
「それもリアルってことで。ああいうの、説明会じゃ聞けないやつっすから」
「あんなの説明会でかましたら学校側から出禁になるだろ……」
ただ、タヌキ君としては、良くも悪くも色々聞けて良かったとのことだった。別に働くことに対して夢ばかり見ていたわけではないものの、周囲の大人の言葉はどこか嘘くさいと思っていたそうだ。まるきりの嘘ではないのだろうけども、高校生の自分達のために用意した、きれいごとでコーティングされた苦労話――それは必ず、「だけどいい経験になった」で締められるような――ばかりのように感じられたのだと。
大人達はいつだって子どもの自分達よりも優れていて、失敗したり、間違えたりもするけれども、それはすべて成長やら成功やらに繋がっているから、だから、自分達の言うとおりにしろと言われているような気がしたと。特に彼が通うような進学校に関わりのある大人達はそういう人達ばかりであると。
「だからたぶん、色々反発したくなったのかもしれないっていうか。そこのレールから外れて、自分の目で確かめたくなったのかもしれないっす」
別に失敗したいわけではない。道を踏み外したいわけでもない。だけど、予め大人達があれこれお膳立てした、用意された道を歩くのが嫌だったのだろう。自分の足で踏み出して、間違うなり、後悔するなりしてみたかったのかもしれない。そりゃあ親達は可愛い我が子には傷ついてほしくない。だから自分達が切り拓いてきた、安全な道を歩いてほしいと思うのだ。何も考えずにそこを進む子もいれば、それで良いのだろうかと疑問に思う子もいる。彼がそうだった。
「それにウチ、親が再婚で、年の離れた弟がいるんすけど、そっちに金を使ってほしい気持ちもあって」
「お、おぉ……。それは別に俺に言わなくても良かったんだぞ?」
「っすか」
「まぁ……でも、その辺の事情に首はつっこめないけどさ、親が金を出してくれるって言ってて、タヌキ君も進学したい気持ちがあるなら、甘えても良いとは思う。親に甘えるのも親孝行の一つだしさ。金が気になるなら、学費だけ出してもらって生活費だけは自分でバイトしてどうにかするとか、それこそ就職したら少しずつ返したりとかさ」
「っすね」
「とりあえず、ここにいたいんなら、それも含めて親御さんと話してみたら?」
「っす」
これで良いんだろうか。
なぁ、こんな感じで良いんか?
昨日の失点とかチャラになりますかね?!
そんな気持ちで多希にアイコンタクトを送ると、無言でサムズアップして来た。とりあえず正解ってことで良いらしい。
「ほら、飯食うぞ、飯。席着けお前ら」
「っす。幸路さん、座布団どうぞ」
「あ、ありがと」
トレイの上には昨日と同じ丼が三つ。せめて飲み物くらいは運ぼうと腰を浮かせかけると、「幸路さんは座っててください」と最年少がすっと立ち上がる。さすが若い。俺なら「よっこいしょ」の言葉が出る。
「昨日は結構飲んでたし、まだ身体も弱ってるかもだから、雑炊な」
「助かる」
「身体は大事にな、幸路さん」
「お、おう」
茶の到着を待つほんの数秒。
そのたった数秒、視線が合わさっただけだ。
いつも悪ガキみたいな顔で笑う癖に、その時の多希の目がなんとも優しすぎてむず痒い。
でもきっと、こんな気持ちを抱えているのは俺だけだ。
多希はきっと、我が子に飯を食わせている母親の気持ちみたいな、そんなやつのはずだ。それが証拠に、タヌキ君にだって「お代わりあるからな、いっぱい食えよ」なんて声をかけている。俺だけじゃない。そして、俺だけなんだ、こんなことを考えてしまうのは。
認めたくなかったけど、これはきっと恋愛感情ってやつなのだろう。
ごめん多希。俺は、大事なメシ友と思ってくれてるお前のことを、どうやらそんな風に見ちまってるらしい。
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