side:八尋

きっちり吠え面かかせたらおれも行くわ

『今年のハーフマラソンももちろん出るっしょ?』


 元下宿仲間の陽介君――宮嶋陽介にメッセージを送ったのは、四月の半ばのことだった。その返事は『もちろんダァァァァッ!』と叫びながら中段蹴りをキメているパンダのスタンプである。陽介君のスタンプ、無駄に熱いんだよな。


 まぁ、別に確認せずともわかってたけど。


 そんなことを考えつつ、応援用の横断幕の作成の続きに取り掛かろうと筆をとる。もう絶対今年も出るだろと思い、先に作り始めていたのである。でもまぁ一応確認しとくか、ということで、作業を中断してメッセージを送ったというわけだ。


 と。


「うぉ、何だ何だ」


 電話である。陽介君からだ。


「よっすー。どしたん、陽介君。おれの声、聞きたくなっちゃったぁ?」


 へらり、と笑ってそんな軽口を叩いてみる。恐らくは、乙女心であるとか、恋の駆け引きといった、人の『機微』にとんと疎いであろう脳筋君は「そうだ!」と馬鹿みたいにデカい声で返してきた。良いお返事ですね。マジでうるさい。


「まぁ、おれも陽介君の声聞きたかったよ」


 やんなるくらい目が覚めるから、という言葉はぐっと飲み込んだ。こう見えて大人なんだ、おれ。


 そこからはまぁ他愛もない近況報告だ。おれと陽介君は同じ『山家やんべ家の元下宿生』なのだが、被っているのは実はたったの一年。陽介君が二十九、おれが二十六と年齢差があるからな。


 だけど、偶然にも同じ山形出身ということがわかり、そこからぐっと距離が縮まったのだ。まぁ陽介君の場合はそんなことがなくてもガンガンに距離を詰めて来ただろうけど。それを煙たいと思う他の下宿生もいる中、おれとは波長が合ったのである。それでこうして、下宿を出た後もちょいちょいやりとりをしたり、遊んだりしているというわけだ。


 それで、どうやら陽介君の務めているジムの経営がヤバいらしい、という話になった。


『一応山形と天童のは残ってるんだけどな? 遊佐ゆざ酒田さかたの方のは閉めちまってさ。米沢よねざわにあるやつもこのままだと来年あたり、って話だ』

「わぁ、マジか。世知辛いなぁ。えぇ、どうすんだよ陽介君。まぁ陽介君ならどこでもやってけそうだけど」


 陽介君はなんかよくわからん横文字の資格を持ってたはずだ。たぶんそのインストラクター的な。それにバイタリティも社交性もある。声のデカい脳筋だけど、元気のある若者ってのはそれだけでも重宝されるものだ。


『そうなんだ』


 何が『そう』なのかわからないが、陽介君は言った。どこでもやっていける、というおれの言葉に対するやつだろうか。


『だから、俺あそこ辞めようと思ってな』

「は?」

『俺は八尋の言うとおり、どこでもやっていけるし、泥舟から脱出する』

「あぁ成る程」


 繰り返しになるけど、陽介君なら大丈夫だろ、あそこ辞めたって。たぶんどこでもやっていけるよ。何ならさ、フリーのマッチョを目指したら? なんて適当なことを言って笑っていると。


『だから仙台に行く』

「仙台? 何? ヘッドハンティングでもされたの、仙台のジムから?」


 それともマジでフリーのマッチョとして活動を? と我ながらなんか気に入ってしまった『フリーのマッチョ』で話を進めようとすると、彼は「いんや」と至極冷静に返してきた。いやマジで返されんのキツいな。


『なぁ八尋』

「んあ?」

『俺の準備は出来た』

「準備って。てことは」

「……は」


 マジか、と喉の奥から声が出た。

 持ったままだった筆ペンがポロリと落ち、横断幕の上に不自然な点を描いた。しゃあない、もったいないからそこは適当に★でも描いて誤魔化そう。『GOGO★YOH-SUKE!』おお、良いじゃん良いじゃん。


『ちょうど良いタイミングだと思う。そもそも俺の仕事はどこでだって出来るしな。むしろ仙台の方がジムは多い』

「そりゃそうだ。駅前にゴロゴロある」

『それで、お前はどうする』

「おれは――」




 多希の母さん――良子さんが亡くなったのは、俺が下宿を出た二年後のことだった。下宿最後の一年、良子さんは「何だか最近年を感じるわぁ」なんてよく言っていて、特に階段の上り下りがキツくなって来たのよ、と膝軟骨に効くとかいう自然食品のCMソングを口ずさみながら、それでも明るく笑っていた。多希はその時家に戻って来ていたけど、就職先でちょっと色々あったみたいで部屋に籠りがちだった。とはいえ、母親の体調については気になっていたらしく、ちょいちょいと部屋から出ては飯の仕度を手伝ったり、掃除や洗濯をしていたけど。たぶんそれも良いリハビリになったのだろう。気付けば普通に外を出歩けるようになっていたものだ。


 それで、やっぱりちょっと身体がしんどいから、ということで、おれらの卒業を見届けたら一旦下宿は閉める、という話になった。偶然にもその時全員が卒業生だったのだ。皆単位も十分足りていたし、卒論も提出済み。就職だって決まってた。「これで心置きなく閉められるわぁ。アンタ達、変な問題を起こして卒業取り消しとか勘弁してよぉ~?」なんて話をして。でもまた元気になったら再開するなんて話もしていたし、本当にちょっと疲れが出ただけみたいな感じだった。たまに様子を見に行った時も「また来たの? アンタも暇ねぇ」なんてコロコロ笑いながらお茶を出してくれたりして。


 突然の訃報に慌てて山家家を訪ねると、多希は何とか愛想笑いを浮かべていたけど、限界なのはすぐにわかった。無理もない。たった一人の家族だ。先に到着していた陽介君と協力して何とか式を終え、諸々の手続きを済ませた後も、おれはしばらく山家家に残ることにした。仕事はリモートでも何とかなるし、それよりも可愛い弟分をほっとけなかったのだ。


 ただまぁ、何とかなると思っていたのはおれだけだった。おれが不在の間に、結構デカい取引先を仕事仲間に一つ持って行かれたのである。その時たまたますぐ動ける人間が欲しかった、というのがきっかけではあったのだが、そこで気に入られたらしい。へぇ、ふうん。このおれ様を手放すたぁ良い度胸だ。


 と。


「馬鹿かお前は! 俺の心配よりてめぇの食い扶持の心配をしろ!」


 しこたま怒られた。

 多希に。

 

 とにかくもう、自分は大丈夫だからとっとと帰れ、次の盆まで顔を見せるんじゃねぇ、なんて言われて追い出された。おうおう怒鳴るほどの元気があるなら兄ちゃん安心だ。ただまぁこっちも聞き分けの良い兄ちゃんではないので、そんなの無視して顔を出したけど。なんやかんや多希は優しいからな。追い返したりはしないんだ。


 優しいから追い返さないのか、それともやっぱり寂しいのか。そんなの顔を見りゃあ一目瞭然だ。多希は演技とか出来ないタイプだからな。顔に全部出るんだ。おうおう、そんな嬉しそうにしちゃってまぁ。食え、土産だ。先に良子さんとこお供えするけど。


 それを陽介君に報告すると、彼もやっぱり思うところはあるみたいで、いつかは仙台に戻ろうかと考えている、という話をされた。その当時、陽介君のジムは有名な配信者が紹介したとか何とかでかなり忙しいらしかったから、いまは機を窺っているところだという話だったけど。


「八尋もどうだ?」


 そう誘われた時、それ良いな! と即答しかけて、やめた。何せド叱られたばかりだ。てめぇの食い扶持を心配しろ、と言われているのである。年下の、弟分に。


 だから、


「もうちょい待ってくれ。どうしても吠え面かかせたいやつがいるからさ。そいつに『申し訳ありませんでした八尋様。やっぱりあなたと仕事したいです』って頭下げさせたらおれも仙台行くわ」


 そう返した。

 あのな、おれはこう見えてかーなーり根に持つタイプだ。いつもへらへら笑ってる阿呆だと思うなよ。きっちり後悔させてやる。


 それで。


「いやぁ、あの時は本当に申し訳なかった。急場しのぎっていうかさ。浜田君には悪いことをしたと思っていたんだよ。それで、その、どうだろ。もう一度ウチにデザインを下ろしてもらうことって出来たりする?」


 へこへこと頭を下げる元取引先に「ま、条件次第っすかねぇ」と返し、無事、再契約の運びとなったのが先週のことだ。ちょうど良いからハーフマラソンの時にでも陽介君に話すつもりだったのである。「きっちり吠え面かかせてきたから、ぼちぼち例の件どう?」と。まさか先手を打たれるとはな。




「おれは――たぶん七月くらいになるかな」

『おぉ、てことは、例の吠え面がどうとかってのは』

「おうよ。きっちりな」

『さすがは八尋だ』

「ハッハー、有言実行の男だからおれ! てなわけで、あれこれ根回しとか急ぎの仕事とかやっつけたら、たぶん七月くらいになると思う』

『わかった』


 そんじゃとりあえずマラソン頑張れ。祝いムードでその話もするから、前よりタイム伸ばせよ、と無茶振りすると、「任せろ、絶好調だ」との言葉が返って来た。ヒューッ、頼もしい! そう茶化して通話を終えた。


 さぁ、多希よ。

 お前の大好きなお兄ちゃん達が帰ってくるからな。今年の夏は騒がしくなるぞ。

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