『誰か』に向けた飯の誘い③
俺んちメシ氏の飯誘い投稿がなくなって二ヶ月ほどが経過しても、依然として復帰を望む声は止まなかった。すごいな。これくらいのコンテンツ、ソッコーで忘れられるだろうと思っていたけど、よほどコアなファンがついていたようだ。まぁ、俺もその一人なんだけど。
ただ、周囲がどんなに願っても、彼は沈黙を貫いた。料理は――というか食器のセレクトは大雑把なのに、心は繊細だったのかもしれない。
俺はというと、彼の投稿がピタリと止んでから、最初の数週間は毎週金曜の楽しみがなくなって、暴食に走った。暴食に走った、というか、元に戻ったが正しい。何せ明日に休日を控えた金曜日だ。そりゃあいつもより酒の量も増えるし、基本的に惣菜ばかりになる。俺んちメシ氏の献立に合わせていた時は、彼が副菜を出すのに合わせて、酢の物やら切り干しやらを添えていたのに、それもなくなった。とにかく揚げ物中心だ。俺はこれといって金のかかる趣味もなく、それでいて、給料についてはそれなりの大手メーカー勤務であるため、そこそこもらってる。独身貴族――なんて仰々しいものではないけど、毎日総菜でも特に問題はない。
ただ、それは金銭面の話だ。
別の問題は、もちろんある。
健康面である。
有り体に言えば、太ったのだ。
健診に引っかかるとかそこまでのレベルではないにせよ、少したるんだような気がする腹の肉をつまみ、このままではいけないと奮起して、しまいっぱなしになっている調理器具を取り出したのが一ヶ月前のこと。今後、素敵な出会いがないとも限らないし、ないとしても、たるんだ中年になるのは嫌だ。
一人暮らし歴は長いし、料理は一応出来る。ただ、後片付けが面倒なのと、そこまで上手くないってだけ。
具材を炒めて混ぜるだけ、みたいな総菜の素を使えばそれなりにはなるけど、塩コショウで味付けした野菜炒めはいつもべちゃっとしてしまうし、揚げ物も何でかサクッと揚がらない。俺が持ってる料理スキルは、切る、煮る、焼く、だ。正直『揚げ』までは搭載されていないし、調味料の配合だって期待出来ない。
だけど、俺んちメシ氏と飯を――一緒に食ってたわけじゃないけど――食ってた時も、ほんの少し考えてはいたのだ。同じメニューを作ってみようかな、とは。SNSにはレシピ動画もたくさん上がっている。ああいうのを見れば、なんだか俺でもやれそうに思えるのだ。それに、彼の料理はなんていうか、素人でも出来そうに見えるものが多かったのである。魚料理も出て来たけどスーパーで売ってる切り身で何とかなりそうだったし、小洒落た調味料――バルサミコ酢とか赤ワインとかそういうやつ――も使っていなさそうだった。
人生はこれからまだまだ長いんだし、料理が出来るに越したことはない。そのうちきっと、金云々じゃなしに惣菜がキツくなって来るだろう。これからも独りでいるつもりならなおさら。そう思ったりもして。
結果として。
料理は意外と性に合ってた。
美味く作れりゃ楽しいし、次へのモチベにも繋がる。失敗しても次こそはと燃える質だったらしい。俺って自分で思ってる以上に向上心とかあるんだな。出せよ、それを仕事でも。
それで、彼の過去投稿を漁り、毎週金曜の夜にそれをおさらいするような形で作るようになったのである。
メシ氏よ、今日は肉じゃがだ。お前は豚肉派らしいが俺は牛肉だぞ。ははは。
メシ氏よ、俺は人生で始めてスナップエンドウとやらを買った。サッと茹でてツナマヨで和えるだけでも酒のつまみになるんだな。簡単で良いじゃん。
メシ氏よ、会社の後輩がな、にんじんは別に皮を剝かなくても良い、だなんて言ってたんだ。これってマジなんかな? マジだとしても俺はやっぱり皮を剥いてる方が好きなんだけど、お前はどう? 剥く派? 剥かない派?
作る度にそんなことをぽつりと呟いて。
俺んちメシ氏と呼ぶにはなんか長くて、『メシ氏』と呼んでた。表記上は『メシ氏』だが、心の中の発音は完全に『メッシ』だったけど。
けれど、なんか虚しい。
別にメシ氏と交流があったわけじゃない。俺なんて見つけるのが遅かったから、彼のリアルタイム投稿に立ち会えたのはほんの数回だ。過去の投稿を遡る度に、何とも言えない悔しさが込み上げてくる。
それで、ほんの気まぐれで
『これ、俺が作った飯。』
そんなメッセージと共に、豚の生姜焼きと山盛りの千切りキャベツ、それから白飯と味噌汁の画像を添付した。ちゃんと白飯と味噌汁は椀に盛った。味噌汁の具はシンプルに豆腐とわかめだ。イチイチ明記しなくても豆腐の角とわかめがチラ見えしてるから良いだろう。千切りキャベツはあらかじめ切られてるパック野菜のやつだ。出来るか、千切りなんて。頑張ってもせいぜい百切りってところだろう。いや、ごめん、盛った。百も怪しい。
すると、ものの数秒で既読がついた。どうやらログインはしているらしい。でもそれだけだろうと思った。返事なんて来るわけがない。俺はその他大勢だろうから。むしろ来なくて良い。送っておいてなんだけど、なんていうか、例えば芸能人の投稿に反応したとして、それに対しての返答が来たらビビるじゃん。そういう感じ。まぁ、メシ氏は別に芸能人でも何でもないけどさ。
だけど、その予想に反して、思ったよりもあっさりと返事が来た。
『うまそ。』
たった一言。
たった一言ではあったけど、それでも、心臓がかなり跳ねた。たぶん心のどこかでまだ、メシ氏はなんていうか、いるかいないかわからないUMAとか、幻獣みたいなポジションだったのだ。あぁ、こいつってフツーに生きてるんだ、俺らと同じ、息吸って吐いてる人間なんだ、と思った。あれだけさんざん飯の話題を出してるんだし、そりゃあ生きてる人間だろと思うものの、現実味がなかったのだ。それこそ何らかのbotとかさ。
だけどその一言で人間だと改めて思ったし、それと、これからもメールを送ることを許された気がした。たった一言。されど一言である。何せまさかのUMAサイドからの好意的なリアクションだ。
だから、ウザがられないよう、やっぱり毎週金曜日、俺は帰宅して飯を作るとすぐに写真を撮って、メシ氏に送るようになった。相手は『TASTE GOOD!』の皿に和も洋も、肉も魚も何でも盛り付ける男である、こっちだって見栄えなんて一切気にしなくて良いはずだ。そっちが『TASTE GOOD!(英語)』なら、こっちはフランス語でどうだ、と『
すると、『ボナペティにサバ味噌乗せんなや(笑)』と笑われた。なので、『TASTE GOODに言われたくない(笑)』と返すと『それな』の一言。メシ氏からの返信は割とさっぱりしている。
メシ氏の投稿は基本的に無駄がない。その日の献立と、それから、定型文と化している『白飯付きで五百円。先着五人。出来れば野郎限定。』のみである。今日は暑かったとか、スーパーで良い食材が手に入ったとか、仕事で疲れたとか、そんなことは一切触れられない。返信も簡潔という点から推察するに、きっと、あまり長々と会話をするのは好きじゃないのだろう。それに、たぶん他のやつらともDMなどでやり取りをしてるだろうから、よほどのことがない限り、二往復で終わらせることを意識した。しつこい男は嫌われるからな。それよりも俺は、メシ氏に俺の飯を見せたいだけなんだ。
そんな週一の交流がしばらく続いた頃、メシ氏が動いた。
仕事が終わり、さて今日は何にしようかとスーパーの野菜売り場を歩いていた時のことだった。
『今日の飯何?』
初めて、メシ氏の方からDMが届いた。
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