AI魔法アイロニスト
嘉月青史
プロローグ
本物だった。
与えられた力や技術などではない。備え持った素質や才能を鍛え上げたものだと分かった。
まだ若い少女は、それでも幾多の戦場や死線を経験したからこそ確信する。
眼前に広がる、数え切れぬ人ならざる巨体が浮かぶ血の池地獄の真っただ中で、抜き身の刀を血に染める少年は、まさにそういった『本物』だ。
刀身から血の雫が滴る中、彼は少女の方へ振り向く。
「何か用か?」
はっきりとこちらに向いた顔は、長い前髪に眼鏡までかけているせいで双眸が確認しにくい。にもかかわらず、その二重の妨害があってもはっきりとした印象を覚えるのは、威嚇としては充分な鋭い目つきと生気を感じないまでに光が冷めきった無明の眼光を兼ねた双眸であるからだろう。
死んだ魚の目のような、というのは彼のためにあるようなことわざではないかと思う者も、この世の全てを敵と見做している人物と感じる者も、どちらの感想を抱いても納得出来る。
そんな眼で凝視され、少女は自分を完全に認識できていることを理解した。
施していた視覚ならびに気配の遮断の魔術を解き、はっきりとその場に姿を映す。
現れたその美貌は、正常な人物ならば思わず息を呑むほどのものだったが、少年は微動だにしなかった。
「お気づきでしたか」
「あぁ。で、何が目的でここにいる?」
言葉短く、少年は問いかける。
人里離れた森林の深奥、しかも陽はすっかり落ちた夜分だ。
そんな場所や時の中で、しかも異形の死骸が今まさに築き上げられたばかりの現場へ、偶然居合わせたと主張するとすれば、あまりにごまかし方が下手くそと嘲笑も禁じえまい。
愚昧な言い訳を、少女は選択肢としてすら考えなかった。
「おそらく、貴方と同じかと。【暴徒】の気配を感知したので来たのです」
「へぇ。わざわざ、外国からか?」
「いいえ。正式な手続きを行なった上で、在住しております」
探りを入れるようでもある問いに、少女は事務的にも微笑を携えて応じた。
艶やかな銀髪と蒼空を連想する瞳を伴う美少女と断じうる顔立ちは、白磁の肌も合わさって日系はおろか東洋人のものとは乖離しきっている。
その上に身に纏っている黒味も強い青色の衣類は、多くは修道女と呼ばれる立場の人間が着るだろう装いだった。スカートが前垂れの如く深々とスリットが入っているあたりから伝統的な宗派のものではないが、国内で身に着けている者そのものが馴染みの薄いものだ。
黒髪黒瞳の少年も、そういった認識は共有していたからこそ、疑うこともなく少女の人種は確信している。
とはいえ、彼が疑念に抱いているのはそこではない。
「ふーん。なら、余計に疑問が浮かぶな。何故そんな人間が、都心でもない郊外で、しかもこんな早く『駆けつける』のか」
「偶然ですよ。偶然、近くに越してきたばかりでして」
含みのある詮索に、少女は柔らかい笑みを浮かべて答えた。
人の好い温和な雰囲気での回答であるが、そのような説明で納得する人間などいないだろう。いたとしたら、それは頭が悪いことを通り越して自分で考えることも出来ない愚図だ。
この場所を含め、周囲はお世辞にも発展しているわけではない地域である。農村しかない田園地帯とまではいかないものの、都市と呼ぶほど豊富な施設や高層の建造物が存在しているわけでもない田舎の一つだ。
そんな場所へと海外からの移住者が、しかも『この手の人種』が最近住み着いたなど、下手な嘘をつくにしても他に考えようがあるだろう。
少女自身、口にはしたものの自覚はあった。
間違いなく信用されることはないだろうし、猜疑の視線が向けられることを想定する。
「そうか。まぁ、嘘ではないようだな」
が、少年はあっさりとその説明を受け入れた。
完全に納得した様子、彼は視線すら外して周囲に転がる死骸の群れの確認をし始める。
この反応には、かえって少女の方が面食らう。
否、顔にはそのような驚きはほとんど出さなかったため、無表情のまま固まったというべきか。
信じられないほどあっさりと納得した様子の少年に、「雰囲気に似つかず馬鹿なのでは?」という考えすら抱きそうになる。
が、少女はその認識を抱く前に思い留まった。
そうではないだろうという、何か直感めいたものを覚えたからだ。
いわゆる勘と呼ばれるものは、しかし戦いを生きる世界のものではかなり重要であり、時には論理的思考よりも正鵠を射ることさえある。
「意外とあっさり、ご信用なさるのですね?」
「不満か?」
「いいえ。単なる疑問です」
「そうだな……。はぐらかしているとして追及してもいいが、実際に事実を述べている相手へ疑念や詰問をしたところで、単なる徒労にしかならないだろ」
鼻を鳴らすというよりも嗤うかのように言い、少年は足下の骸に視線を定める。
転がっているのは人型だが、背丈が少なくとも三メートルはあろう筋骨隆々とした怪物だ。灰色に近い硬質な肌や申し訳程度に一枚の布を身体に身に着けている姿は、ファンタジーに出てくる巨人や亜人を彷彿とさせる。
そのすべてが斬り捨てられた形で死んでいる様から、この場における下手人が誰かは明白だ。
息絶えた異形を見下ろす少年に、少女は表情の柔らかさはそのままに、目を細める。
「変わった方、ですね。色々と」
「あまりそう言ってくる人間はいないが、そうかもしれないな」
「人殺しへの忌避もない、といった感じですね」
さらりとだが、物騒な評価が少女の口から洩れる。
少年は顔色を微塵も変えないが、少女も相手の反応を気にする様子はない。
「というよりも、必要ならば人殺しも躊躇わないといったお方とお見受けします」
「さては、少し離れたところも見てきたな?」
あまり緊張した様子もなく少年が確認を取ると、少女は「えぇ」と首肯する。
今この場にあるのは、十を優に超えた異形たる巨人の死骸だ。
だが、ここから数百メートル離れたとある山肌の周囲を捜索すれば、四・五名ほどの人間の死体も発見できるだろう。誰かが回収していない限りと、少年も知っていた。
ただ、少女の指摘が何を意図してのものかまでは、少年も推察できない。
「お説法でもする気か?」
「いいえ。亡くなっていた彼らの正体も見当はつきます。それを咎める気はございません」
小さく頭を振ってから、「ですが」と少女は続ける。
「無益な殺生なら避けるべきでしょう。それにこの国も、そういった輩も一度拘留し、司法で裁くように定められているはずでは?」
「やっぱり説教じゃねぇか」
冷静な指摘を受ける中、少年は鼻を鳴らしながら肩を竦める。
煽っているようにも取れる態度に、しかし少女が不快感を覚える様子はない。
「ただの事務的な確認です。同時に、貴方がどんな人なのかを確認しておきたいので」
「なるほど。で、性質の悪い人間だとは理解できたか?」
「えぇ。残念に思いますが」
「それは何より。ところで、一つ頼みごとがある」
軽快に皮肉交じりの言葉を口にしつつ、少年はふと少女に目を戻す。
その目が、先ほどまでよりもやや鋭さを増していたため、少女も眉根を寄せる。
「何でしょうか?」
「悪いことは言わない――伏せろ」
張ったわけでもない、しかしはっきりと耳に届く警句だった。
直後、何の前触れもなしに少年が地面を蹴り少女に肉迫する。
唐突かつあまりの速さで間合いが消滅したために少女は目を見開くが、瞬時に足幅を広げて膝を折るやその場に屈む。少年の真意を理性で読み取れた訳ではなく、本能的な反射だった。
その頭上を、閃光が切り裂く。
少女が屈んでいなければ彼女を真っ二つにしていただろう高速の斬撃は、彼女ではないものから血飛沫をまき散らす。
そこにいたのは、周囲に転がっているのと同じ巨躯の異形である。
先ほどまでは姿かたちがまったくなかった化け物が、忽然と彼女の背後に出現していたのだ。
が、出現と同時に距離を詰めた少年の横薙ぎによって、回避も防御の暇も与えられずに仕留められる。
血飛沫を上げて切り裂かれ、剣圧に弾かれて吹き飛んだそいつが地面に叩きつけられると、少年は視線を落とす。
そちらには、少年の真下から横手へ大きく移動し、いつの間に低姿勢による臨戦態勢を整えている少女の姿があった。その手には彼女の武器とおぼしき大型拳銃が収まっており、照準は吹き飛んだ人型の方へと向いていた。
反射的かつ身に馴染んでいるのだろう体勢と反応と少年が確信する中、襲撃者がすでに仕留められているのを見て、少女も構えを緩める。
完全には武装こそ解かないまま、まだ少し気を張っているのか彼女は視線だけ少年に向けた。
「今のは?」
「遅延性の召喚魔法陣だな。術者がいなくても、勝手に発動する奴だ」
迷う様子の無い断定で、少年は相手へ説明をする。
「もし自分やこの【暴徒】どもが仕留められた時の、嫌がらせみたいなものだ。すべてを仕留めた確信を持ち、帰途につくために油断した瞬間をついて襲い掛かるように設置したんだろう」
要点よく少年が解説すると、それを聞いた少女が思わず唸る。
それが本当なら、かなり悪質な謀りだろう。狙いはともかく、自分たちの行動を邪魔した者がいたら絶対にただではおかぬという、最後っ屁にしてはかなりの殺意の高さを含む罠だ。
現に少女も、危うくその奸計によって手痛い怪我を負わされていたかもしれない。
「……ありがとうございます。助かりました」
「礼はいらん。たぶん、必要はなかったと思うしな」
そう言うと、少年は刀身の血糊を振り落とし、鞘へ納める。
ここでようやく納刀したのを見て、少女はようやく彼が先ほどまで刀を抜き身のままでいたのかを理解した。
「さて。用も済んだ。俺はこの辺で」
「一つ、良いですか?」
やるべきことはすべて済ませたと言うようにあっさりと踵を返そうとした少年だが、呼び止めに抵抗することも無く振り返る。
少女の顔に浮かんでいたのは、純粋な疑問だった。
「私について、このまま探りを入れない理由はなんですか? 普通、正体を勘繰るものと思うのですが?」
「確かに、そうかもしれないな」
指摘され、少年は微苦笑を浮かべる。
うっかりしていたわけではない。その指摘がもっともだと理解したうえで、彼なりのちゃんとした考えもある。
「今この場で訊く必要はないと思ってな。どうせまた、近いうちに逢うことになりそうだからな」
「どうして、そう思われるのですか?」
含みが感じ取れる言葉に、少女が訊き返すのも当然だ。
もっとも、返ってきたのは彼女からすれば少しばかり意外なものだっただろう。
「こういう場がまた生じれば、自然と遭う機会も生まれる。敵か味方かは、さておきな」
「――なるほど。それもそうですね」
少年の回答に、少女も思わず笑みをこぼす。
言葉にユーモアさを感じたから、のみではない。
そのどこか不敵な物言いに、親しみと対抗心が同時に湧き上がったからだ。
どういう真意があるのも、どういう受け取り方も出来るかも、色々な想定があるという意味で、実に含蓄のある台詞といえ、またそれを意図して言ったのだろうというのも察しがついたため、表情も綻んだ。
どういう感情からの言葉かは分からないが、決して悪い印象も覚えなかった。
だからこそ、少女も応じる。
「ではまた、いずれかの戦場で」
「あぁ、またな」
そう言うと、少年は今度こそ踵を返し、消える。
おそらく長い距離を一気に移動できる空間転移の魔術を使ったのだろうが、蜃気楼のように揺らめいた光景から、それがかなり卓越した技量であることが少女には分かった。
少年が去った後、彼女は彼が生み出した異形たちの殺害跡に目を馳せる。
同時に、彼が実際は何者なのか、この場に残されたものから手がかりを得ようと試み始めた。
こうして初めての邂逅を果たした二人だったが、この時交わした言葉とは裏腹に、互いに想像もしていなかった再会をすることも、関係となっていくことも、この淡白な巡り合いからは考えもしなかった。
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