人類の希望

千代田区永田町1丁目—内閣府地下三階B15エリア。


 内閣府直属の迷宮探査庁本部が置かれたこの一室にて、部屋中央の指令席に座るのは、内閣迷宮探査庁長官を務める松風静馬まつかぜ しずまだ。42歳と若手の彼だが、この重役に任命されたのは、彼が現総理大臣の根岸京介ねぎし きょうすけが元経産官僚時代だった時の同期であるから。というのが政界やメディア界隈での通説である。


 しかし松風の能力は周りの評価と比較して決して低くはない。政治的キャリアはほぼゼロに等しいが、官僚時代は経産省の局長として、国産農産物や食料品の海外市場の開拓に尽力してきた。


 また10年前に起きた”令和7年の米騒動”では、米を出し渋る卸売業者を一掃するため、海外米の大幅輸入を断行した政府を陰で動かしていたともいわれている。のちに国内の五大商社とヘッジファンドまで関与していた”疑惑”まで浮上した大事件の解決を導いた陰の立役者として、根岸から厚い信頼を任せられている男だ。


そんな男でも、今目の前のスクリーンに映る光景には固唾をのむことしかできなかった。


(どういうことだ…シアトル文書は嘘だったってことか⁉そんな…まさか…)


 今から50年前、世界で初めて迷宮が出現した場所といわれる米国シアトル。そのシアトル・ダンジョンの地下10階層目の”遺跡エリア”にて発見されたのがのちに”シアトル文書”として名付けられた一枚の粘土板であった。


 粘土板には地球上に存在したどの文字にも属さない言語が記されていた。のちに世界中の言語学者や最新のコンピューターを駆使して解析が行われ、その全貌が解明されたが――その粘土板にはこう記されていた。



十の門をくぐれ。さすれば試練者は新たな知と力を得るだろう。

二十の門をくぐれ。さすれば試練者は病から解放されるだろう。

三十の門をくぐれ。さすれば試練者は闇から解放されるだろう。

四十の門をくぐれ。さすれば試練者は時から解放されるだろう。

最後の門をくぐれ。私たちの絶望は、貴方達の希望になれるから。



 ダンジョンが地球に現れてから25年の月日が経っていた人類にとって、その粘土板に書かれていた内容はまさに現実のものとなっていた。


 実際、十階層の中央にある”祭壇の間”とハンターたちから呼ばれてる場所には、女神と思われる石像が鎮座しており、その女神像の手に触れた者は【ステータス】という概念を手に入れることができる。そしてこのステータスという概念を手に入れた者がダンジョンのモンスターを倒すと、ごくたまにレベルUPという現象が起き、すると身体能力(戦闘力)が向上するのだ。


これが十の門をくぐると手に入る”力”のことだろう。

”知”の方はシアトル文書のことだろうというのが各国の見解だ。


 そして二十階層目。ここに人類が到達したとき、確かにシアトル文書の内容通り、人類は病から解放された――というのは少し大げさだが、二十階層以降の宝箱には”回復ポーション”が出現するようになった。これは傷を治すだけでなく、ほぼすべての病原菌を死滅することができる特性を持っていた。


 もっとも二十階層に行くまでがとても困難である点(これはのちに解決する)や、階層が深くなるほどモンスターの脅威度は増すといったことから、ポーションの供給は非常に限られている。そのため、上級ハンターや要人救護のための戦略物資として日本も含め、各国がポーションの流通の規制を行っているので、民間の市場に出回ることはめったにない。あったとしてもオークションに出品され、富裕層が高額でも買い漁るため、庶民の手には到底届かないのが現状だ。


 次に三十の門。ここにあったのは”無限のエネルギー資源”だった。実態はこれも大げさな表現だが、地球上にあったどのエネルギー資源よりも効率のいいエネルギー資源であったことには違いない。三十階層以降の宝箱に入っていたのは、たった100gでウラン235Uの1000㎏に換算できるエネルギーをもつ鉱石であった。


 のちに各階層の移動が簡単になったことも相まって、この”高密度ウラン1000U”と名付けられた物質は人類に新エネルギー革命を起こすことになる。特に中東戦争による石油価格の高騰に悩まされていた日本にとっては、青天霹靂の救いであった。


 そして四十階層。ここにはダンジョンの各階層へと転移できる”転移ポータル”が存在した。また40階層に到達すると同時に、1階層の入り口にも40階層へと続く転移ポータルが出現したことで、ダンジョンの産業利用は劇的に加速することになる。

人類が初めて四十階層に到達したのが今から20年前。中国の上海ダンジョンでの出来事だった。それから日本やアメリカ、欧米各国でも40階層への到達が進んでいく。


 しかし到達済みの階層の産業利用が進んでいく一方で、40階層以降への進出には困難を極めた。2015年にアメリカにて、当時世界ハンターランク1位であったジェームズ・G・パトロンがテキサス・ダンジョンの45階層を踏破して以降、ダンジョンへの進出は完全に停滞することになる。

 これは単純に、四十階以降に出現するモンスターたちの脅威に対処できるハンターの人数が非常に少なかったからだ。


 いくら人類最強の男でも、たった一人でこの階層を踏破することは叶わなかった。しかし時代が進み、それから20年の今日。これまで各国がしのぎを削り、ハンターの育成を推し進めた結果。技術的な進歩などのおかげもあり、ついに人類は50階層に到達するに至る。


 50階層がダンジョン最深部と言われているのは、シアトル文書に出てきたダンジョンの階層が10刻みであったから。という非常に単純な理由だ。


――最後の門をくぐれ。私たちの絶望は、貴方達の希望になれるから――


 この言葉の意味についてはダンジョン学者も含め、多くの人々の間で見解は分かれるが、少なくとも最深部である50階層に”人類の希望”が眠っている。という認識だけは一致していた。


 だがそれは50階層が最深部である、というのが前提である。

これまでが10階層刻みで書かれていたからといって、最後の門が50階層だとは限らない。50階層以降にも”続き”がある可能性も十分にあった。


 現に、本部の人間たちが見ている雨宮のカメラ映像には、”巨大な門”と”その先に見える光景”がスクリーンに映し出されていたのだから。



★★★


「ぁ…雨宮隊長‼」


翼の声が背後から聞こえた。ほかの隊員たちの足音と、息をのむような微かなうめき声も。後ろにいる隊員たちも、自分と同じように目の前に映る光景に立ち竦むしかなかった。


50階層にボスモンスターはいなかった。

代わりにあったのは縦横高さ約10メートル四方の白い空間。

そして正面の壁がくりぬかれたように、”外”へと開いていた”巨大な門”。


問題はその開かれていた門の先に見える、外の光景だった。


「…ジャングル?……でしょうか…」


植物学者でもある大友瑠奈が小さくつぶやいた。その声に返すように、雨宮は後ろにいる隊員たちの方を振り向いた。


「隊長…これって」

「もしかして50階層が最深部っていうシアトル文書の内容は間違ってたってことですか⁉」


翼と壮太が彼に詰め寄る。しかし二人もすぐに雨宮と同様、”その異変”気がついたようだ。目を開きながら口を閉ざした二人に対し、雨宮は二人を見つめながらうなずいた。


「ああ、風だ…」


「本当だ…風がある」

「うそ…」


巨大な門の外から流れる冷たい風。そして土と植物の匂い。二人はその現実にただ小さく声を漏らすことしかできなかった。しかし雨宮の言葉を聞いた瑠奈が一人、翼たちを抜いて門の方にまで歩み始めた。


「瑠奈、それ以上は近づくな」


手を伸ばし、あと一歩で門の外にまで出そうになった彼女の肩を、雨宮は急いで掴み、彼女の足を止めた。


「雨宮隊長…これって…」

「ああ」


瑠奈の消えてしまいそうな声に雨宮はうなずいた。彼女もどうやら気づいたようだ。


「20階層にある森林エリアにも風はなかった…というよりダンジョンのどの階層にも風は自然発生しない…匂いも…熱も存在しない……なのに…」


雨宮の顔を見つめながら小さくつぶやいたはずの瑠奈の言葉は、この異様に静まり返った白い空間では、全員に聞こえていた。


瑠奈の呼吸が浅くなっている。緊張と興奮のせいだろう。

雨宮は彼女の背中をさすりながら、隊員たちの方を向いた。


「シアトル文書は間違っていなかった。ここがダンジョンの最深部…そしてこの先にあるのが…”人類の希望”って…こと…か?」

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PLANET HUNTER:Rainveil-2035AGE- 雪風 @katouzyunsan

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