第27話 それでも時々浮つく

SIDE 虹輝


「ねえ」


 ひどくご立腹な様子の声。ハッとして振り返ると、腕を組んだままこちらを睨みつける司の姿。


「悪い、ちょっと気になって」


 あの服、司に似合いそうだな、なんて思いながら見ていたら、つい夢中になってしまっていた。

 司はめちゃくちゃ不機嫌で、言い分を聞いてくれそうな雰囲気ではない。


「……あのさ」

「はい」

「見たいとは言ったけど、絶対私の服装と合わないよね」


 今日の司の服装は、大きな柄のシャツにダメージ加工の施されたパンツ、それからロングブーツ。

 対する俺はデニム生地をいくつか繋ぎ合わせたような落ち着いた色合いの着物に革製の帯を合わせている。


「デニムならいいかと……」

「総額いくらなの」

「気になるか、そこ。そこまで値が張るものではないよ」


 帯はそこそこの価格だったが着物自体はそこまで高価なものではない。ない、と思う。


「……まあいいけど」


 ぷい、と顔を背けた司がさっさと歩いて行ってしまう。ヒールのロングブーツでよくそんなに歩けるな、と感心してしまった。


「すみません」

「はい?」


 背後から声をかけられて立ち止まる。振り返った先には灰青色の紬の着物を纏った馴染みの女性が立っていた。


「ああ、許斐このみさん。いつもお世話になっております」


 行きつけの呉服店の店主だった。少し行ったところで立ち止まった司が、こちらを怪訝な顔をして見つめている。

 手招くとゆっくり近付いてきて、許斐さんを警戒しているのか俺の背中に隠れた。


「彼女さんですか?」

「はい。刹赫司さんといいます」

「……どうも」


 俺の背中にぴったりとくっついて、小さく頭を下げる。


「愛らしい方ですね」

「ええ、とても。お店の方はお休みですか?」

「いいえ。五條ごじょう様のいつものです」

「ああ……あの人は許斐さんを小間使いか何かと勘違いでもしてるんでしょうかね」

「私は構いませんよ。しっかり頂くものは頂いておりますので」


 ふふふ、と穏やかに笑う背後に虎の姿。この人にだけは逆らっちゃいけない、そう思わされる。


「……ねえ、誰」

「俺の行きつけの呉服店の店主さん。ああ、そうだ。これからお店にお邪魔させて頂いても?」

「は!? ちょっと、私は」


 司が俺の腰の肉を掴みながら何か言いかけてやめた。それから、少し迷った後に服の裾を掴んで小さく震えながら許斐さんと向き合う。


「……見るだけ、でも、大丈夫、ですか」

「ええ、もちろんですよ。是非」


 そういえば夏祭りの時も、なんだかんだで浴衣だったしな。興味はあるのかもしれない。


「このまま行っても構いませんか?」

「ええ、ええ。もちろんですよ」

「だって、司。いいか?」


 司はこくりと小さく頷いた。はぐれてしまわないように手を繋いで歩く。


「ここ……?」


 立派な店構えに気後れしてしまったのか、司が遠のいていく。


「大丈夫だから」


 しっかりと手を繋ぎ直して店の中に入ると、司は目を輝かせた。


「では、改めまして。いらっしゃいませ」

「どれでも好きな物選べよ」

「え、それって」

「ん、買ってやるから」


 司はしばらく「だって、」とか「でも、」を繰り返していたが、最終的には大人しく頷いた。


「ラッセルレースのコートあります? 以前彼女にとても合いそうだと思ったのですが」

「ええ、ございますよ。随分熱心に見ていらしたので、しっかりと取り置きしておきました」

「さすが許斐さん。俺のことをわかってますね」


 まだ実家にいた時からの知り合い。あの時は上手く笑えなかったけど、今なら自然と笑える。

 俺のふやけた笑顔に許斐さんが少し目を開いて、それから柔らかく微笑んだ。


「ちょっと」


 司に腕を引かれたかと思うと、彼女の視線は真っ直ぐに許斐さんに向いている。


「私の、か……かれし……なんですけど」

「司、許斐さんにもヤキモチ?」

「はぁ? 違うし」


 いや、絶対違わないし超可愛い。このまま連れ帰って撫で回したい。


「本当に愛らしい方ですね」

「でしょう? 俺の自慢の恋人なんです」

「あらあら」


 それから少し話して、司は許斐さんに連れられて奥の一室に入っていった。



SIDE 司


 所作の整った美しい大人の女性。薄化粧でも年齢を感じさせない綺麗な人。年は離れているだろうけど、私なんかよりもずっとずっとお似合い。


「あの、これって」


 表には出ていなかったレースの黒いコート。さっき虹輝くんが言っていたものかな。


「本当に、ずーっとこれを見ていたんですよ。もう、穴が開いちゃうかと。まあ、ある意味では穴だらけなんですけどね」


 クスクスと笑いながら、許斐さんが広げて見せてくれる。随分と洒落たそれは、私なんかには勿体ないような気がして。


「これ……全部でいくら、するんですか」


 何気ない顔で「買ってやる」なんて言ってたけど、値段がついてないものって高級なイメージがある。


「刹赫さん」


 着付けてもらうところを鏡で見ていると、少しずつ、本当に少しずつ、私が変わっていくような気分になった。


「男性からの贈り物の値段を気にするものではありませんよ」

「だって、こんないいものもらったら」


 私なんかじゃ、きっと返しきれない。


「では下世話に一つ」

「下世話って」

「男性が女性に着物を贈るのは、それを脱がすためだという話もありますよ」


 にっこりといい笑顔で言い放った彼女の言葉に、ちょっと。

 ゆっくりと帯に沿って滑る指。するりと隙間から肌に触れた熱い指先。細められた目の奥には炎が揺らめき、柔らかな弧を描く唇から紡がれる愛の言葉。


「……そんな、人じゃ、ないです」

「思い当たる節はありそうですね」

「違うって!!」


 あんなの。


『司。目を逸らすな。ちゃんと俺に見せて』

「〜〜〜っ」


 声にならない声を上げて顔を覆う。濡れた肌を撫でる手の温もりは、今でも消えない。


「お熱いことで」


 もう、否定する気力もなくて、顔を覆うための手はぴしっと水平に戻されて、黙ったまま立っていることしかできなかった。


「いかがですか?」


 鏡に映る姿を見て、これならば彼の隣を歩ける、と素直に嬉しかった。


「司、どう?」

「こっち、ちょっとこっち来て」


 歩幅がかなり制限されて歩きにくい。手招きすると虹輝くんが寄ってくる。


「股割りしてないのか?」

「え、なに?」

「足開いてしゃがんでみて」


 腰に手を回されて、思いの外近い顔にドキッとさせられる。


「そのまましゃがめばいいから」

「こ、こう……? って、な、なに!?」


 腰を抱かれたまま膝の間に手を押し込まれて驚く。


「これが股割り」


 ちゅ。


「……い、まの……必要だった……?」

「ん?」


 耳元で響いたリップ音。どうしても無視出来なくて問いかけたのに、虹輝くんは涼しい顔で首を傾げてみせた。

 この、気まぐれ猫。


「これで、隣歩いてくれるよな?」

「別に、気にしてたわけじゃ」

「もう司しか見ないから」


 嘘つき。でも、許しちゃう。

 時々、虹輝くんはぼーっと女の人を見てることがある。あの直也バカ程じゃないけど、浮つく気持ちはあるんだろう。


「……余所見、しないでよ」

「もちろん」


 差し出された手をとって腕を絡める。周囲の視線が集まってきて、少し恥ずかしい。


「堂々として。似合ってるから」

「でも、これ目立ちすぎ……」

「見せつければいいんだよ」


 そう言って悠然と歩く虹輝くんに、女性の目がハートになってる。モテないとかなんとか言ってたけど、この視線に気付いてないなら鈍いなんて言葉じゃ物足りない。


「ねえ、司」


 虹輝くんの声に熱がこもった。なんだか、世界に二人っきりにでもなったみたいで、少し。


「今日の晩飯何にする?」


 期待しちゃって、バカみたい。


「虹輝くんは何食べたいの」

「んー……牡蠣鍋とか?」

「贅沢」

「だって、」


 少し屈んで耳元に唇を寄せてきて。


「俺の贈った着物着てくれてる」

「っ、ばか!!」


『男性が女性に着物を贈るのは、それを脱がすためだという話もありますよ』


 脳内に響き渡る許斐さんの言葉。

 思いっきり、腰の肉を抓ってやったら、虹輝くんは、許斐さんの前でも見せていたあどけない笑みを浮かべていた。

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