眼帯先輩の秘密と保健室
はんりんご
第1話 眼帯先輩と保健室
五時限目が終わったあと、私、白崎すみれは昇降口の階段を降りていた。
放課後のチャイムはまだだけど、教室にはもう誰もいない。
みんな部活に行ったのか、それとも帰ったのか。校舎の中は、やけに静かだった。
私が向かったのは、校舎の一番奥にある保健室。
今日は重い日で、頭もぼんやりしていたから、少し休んで帰ろう。
そんな軽い気持ちで、保健室を目指していた。
保健室の前に立つと、薄いカーテンの隙間から、やわらかい光が漏れていた。
静まり返った廊下の中、その一角だけが別の時間を生きているみたいだった。
静かにドアを開けると、そこには、誰かがいた。
窓際のベッドの端に座っていたのは、白い眼帯をつけた女の子。
制服のスカートに抱きしめるように置いていたのは、天使姿のぬいぐるみだった。
くせっ毛の髪が、どこか……私に似ていた。
「会いたかった。」
彼女は、くすりと笑った。
声は柔らかくて、澄んでいて……でも、どこかで聞いたことがある気がした。
懐かしいのに、思い出せない。そんな声。
その笑顔に、少し背筋がぞくっとした。
笑っているのに、表情のどこかに影があった。
「え……? 私、あなたと……」
「うん。今日が初めて。でも、ずっと待ってたの。」
彼女は椅子の背に寄りかかりながら、ぬいぐるみの耳をなでている。
私は無言のまま立ち尽くしていた。
「保健の先生、いないんですか……?」
ようやく絞り出した声に、彼女は首を傾げて笑った。
「うん。今は職員会議中。だから、今は私とすみれちゃんの二人だけだよ」
どうして私の名前を知ってるの?
訊こうとした瞬間、彼女が抱きしめていたぬいぐるみを私の方にそっと差し出した。
「これね、すみれちゃんに似せて作ったの。目も、髪の色も、リボンが緩んでいるのも……そっくりでしょ?」
くすくすと笑うその顔が、あまりにも自然で……けれど、私はぞっとした。
会ったこともないはずなのに、どうして私のことを、こんなにもよく知っているの……
「すみれちゃんがここに来てくれるのは知ってた。でも、本当に来てくれて、嬉しい。」
私の足がすっと重くなった。
どうして来たんだろう? 今日は、体調が優れなくて……でも、それさえも、彼女の手のひらの中だったのかもしれない。
私は、導かれるようにこの部屋に来てしまったの?
「どうして、私が来るって……」
「ねえ、すみれちゃん。今日は、生理、つらいでしょ?」
その言葉に、心臓が跳ねた。
どうして。
そんなこと、誰にも言っていないのに。
「そんな顔してたら、すぐ分かるよ」
彼女は笑った。声も表情もやわらかいまま。
けれど、私の奥の奥まで見透かすような視線だけが、ひどく刺さった。
あたたかい部屋なのに、背中がひやりとした。
「私ね、少しだけ未来が見えるの」
あまりにさらりと告げられたその言葉は、冗談のようにも聞こえた。
でも、私は笑えなかった。
「それって……本当に?」
「信じるかどうかは、すみれちゃん次第。でも——」
彼女がゆっくり立ち上がって、私のそばに歩み寄る。
目をそらせない。なのに、心は警戒音を鳴らしていた。
「ちょっと、リボン緩んでる。」
そう言って、彼女は私の胸元に手を伸ばす。
思わず身を引こうとして……できなかった。
彼女の指先が、私のリボンを器用に整えていく。
「かわいい子のリボンがぐしゃぐしゃなままじゃ、もったいないから」
整えられていく間、ずっと目が合っていた。
逃げられなかった。深い水底から引き込まれるような感覚。
私はこの人を知らない。だけど、初めて会ったとは思えない。
そんな記憶の捏造みたいな感情が、私の中にこびりついていた。
——怖い。でも、見ていたい。知りたい。
不安と興味が、同時に膨らんでいく。
「そういえば、私の名前、まだ言ってなかったね? ……ふふ、私は天宮ユリ、二年生。よろしくね、すみれちゃん」
それから、彼女はぬいぐるみを抱き直しながらこう言った。
「ねえ、すみれちゃん。私、この子とずっと話してたんだよ。あなたが来てくれるまで、寂しくって」
その腕に抱かれたぬいぐるみは、まるで私の代わりにそこにいたようだった。
見てはいけないものを見てしまった気がした。
この保健室に入ったときから感じていた、妙な感覚。
まるで、私じゃない“私”が、ここに先回りして存在していたみたいな——
そんな奇妙な違和感が、じわじわと体の奥を侵食していった。
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