資料②:農奴ノイ・ロアーンの日記

(解読不能な殴り書きされた文字の羅列)

(ページが赤黒く汚れ、しわになっている)

1月25日

 少し自分が落ち着いた気がするから、将来何が起きたか忘れないためにこれを書こうと思う。正直まだ混乱している。なぜ俺の家族は殺されたのか。

 昨日俺は、町に税を納めに行ったあとだらだらと市場を見て回り、日が暮れかけたころ家に戻ってきた。農奴の俺達には電気も高級品なので、普段夜中は明かりがついていない。それなのにその日、家に電気がついていた。家の中をのぞくと、隣家のおじさんがいた。

「どうしたんだ?おじさん」

「…ノアーンか?お前さんの家族は大逆罪で処刑された。早く逃げろ。巻き込まれたくないだろ?」

「待ってくれ、一体どういう…」

「今日、皇帝陛下が一本道を通られて、その時にお前さんの親父の作業車が飛ばした泥が陛下の車を汚したんだ。俺はさっき死体の後片付けを命じられて、聞いたばかりだが…そんな雲の上の方に目を付けられたんだ、いつ殺されてもおかしくない。逃げろ!」

俺は混乱していた。家族が殺された?どうして?そうしておじさんが止めるのも聞かず家に入った。俺の視界に飛び込んできたのは、額に大きな穴をあけられ血まみれになった家族だった。父さん、母さん、兄さん、妹、爺ちゃん。その表情は、彼らの死の瞬間の恐怖と困惑を留めていた。俺は奇声を上げておじさんに飛び掛かり、辺りのものをぶちまけた。そんなことをしても意味はない、おじさんは特に善意だったのだから俺は感謝すべきだった、でも俺にはそんなことを思う余裕もなかった。おじさんは「まあ、そうもなるよな」といったことを言って帰り、俺は一人取り残された。いや、おじさんは帰っていなかったかもしれない。そう、そうだ。おじさんは俺を落ち着かせようとしてくれて、俺は一通り暴れた後日記帳やら財布やらを持って家を発った。町の宿に部屋をとると、俺は疲労で倒れ伏し、起きて今こうしている。もう夕方だがとりあえず状況を見に行こうと思う。

 町に行ってきた。何でも俺みたいな田舎者は知らないことが多いらしい。大逆罪というのは随分と濫用されているみたいだ。勇気を出して「家族が大逆罪で処刑された」と酒場で話したら、「それは大変だったな」とか「自分もそうだ」とか言われた。別に憲兵は逃がした大逆犯の家族を殺し尽くせる程暇ではないそうだ。とはいえ村には戻らない方がいいだろう。この町で仕事を見つけよう。


1月28日

あれから少し日が経ち、気持ちの整理が少しついてきたように感じる。未だに無職なので少し財布が厳しくなってきた。とりあえず安い相部屋に移ろう。


1月30日

隣のベッドとその隣のベッドのむさくるしい男たちが殴り合いの末に双方倒れ、相部屋の生存者でくじを引いた末に俺がそいつらを憲兵詰め所に連れていくことになった。恐る恐る警察に行ったが、特に何も咎められることなく生きて帰ることが出来た。そもそも彼らは俺のことを忘れているのかもしれない、そう思うと元気が出てきた。


2月1日

やっとこの町でまともな求人を見つけられた。憲兵って公募するんだな…農奴であり続ける将来しか思い浮かばなかった今までなら決してそのことに気づかなかったろう。


3月6日

久しぶりに日記帳を書ける。長い試験合宿から解放され、憲兵としての就職が決まった。これで食うには困らない。

3月7日

困ったことが起きた。憲兵隊は自由民しか採用できない法だというのだ。農奴の俺は無職、それどころか牢屋行きになるかもしれない


3月10日

アレク教官が俺の後見人になってくださるそうだ。これで定職に就ける。


4月2日

皇帝の閲兵式があった。同僚たちが歓声を上げていたが、どうにもそんな気分にはなれなかった。あの男が、あの黄色いトガの男が俺の家族を惨殺した男だと思うと。俺のすぐそばを歩いていく皇帝を殺してやりたいという気持ちを抑えるのでやっとだった。そんなことをしていたら警護の兵に一瞬で殺されていただろう。だが、皇帝のことを思い出して、復讐をしたいという心持が甦り始めている。


4月3日

図書館で一日皇帝の殺害方法を思案していた。読んだ本から叛意を悟られないよう「近衛兵を目指す新人憲兵」という体で本を調べた。ただの憲兵が皇帝と近くに対面する方法は二つある。軍隊のエリートである近衛兵からさらに最精鋭のみを集めた部隊である皇帝付護衛武官になるという道と、月に一度だけ行われる謁見式で帝国全土から皇帝に直訴するために帝都を訪れる数万の民から選ばれるという道だ。皇帝付護衛武官になるにはどれほど有能な兵士でも15年はかかるそうだ。皇帝は今25歳だから間に合うかもしれないが、一方で皇帝というものは全方位から常に命を狙われているから15年後も生きている保証はないし、皇帝付護衛武官になる前に叛意がないか厳しく確認されるだろう。それを乗り越えられる自信はない。運よく警備の手薄な皇帝の行幸に出会えるという幸運を期待するのは無駄だろう。とすれば、謁見者選定官に賄賂を渡して皇帝に謁見しそこで暗殺するのが唯一の道という事になるだろう。


4月13日

憲兵の同期に親が謁見者選定官をしているという奴がいた。それとなく探りを入れよう。


4月16日

例の選定官の子、ルシアスにやっと話を聞けた。謁見するためには実質的に選定官への賄賂が不可欠となっているらしい。相場は300アウレウス、俺の年収の約6倍だ。どんなに切り詰めても15年、その間に出世できても10年はかかる。


4月18日

俺が金を工面しようと奔走しているとどこで聞きつけたのか、先輩が『良い副業』を持ち掛けてきた。違法営業をしている店を見逃す代わりにかなり多額の金が懐に入るそうだ。上司に見逃させるための賄賂や元締めへの上納金を差し引いても年間で70アウレウス、年収の1,4倍が手に入るそうだ。喧伝に誇張はあるだろうが、巧くいけば5年程度で目標額に到達できるかもしれない。この国はどうしようもなく腐っているけれども、それが俺の復讐の助けとなっている。皮肉なものだ。少し悪事に手を染めることに躊躇いは覚えたが、皇帝への復讐を達するための必要悪だ、そう思えばなんともなかったしむしろ叛逆への第一歩になると思うとやる気になった。


4月17日

随分簡単に大金が手に入るものだな、と思った。今自分は奪う側にいるからいいが、奪われる側に回ることがあれば大変そうだと感じた。今日思ったが、この日記が発見されたら俺は確実に処刑される。とりあえずこれは隠しておこう。


この日記帳を開くのは、実に9年ぶりだ。明日、347年1月24日、俺の家族が殺されてから丁度10年目のその日に俺は皇帝に謁見する。結局謁見だけでなく持ち物検査の免除や謁見時間の指定といった追加要素で賄賂は膨れ上がり、この3年はほとんど休む間もなく働いてきた。皇帝暗殺の成否に関わらず俺は確実に処刑される。そんなことは分かっている。けれども、平民や農奴を虫けらの如く見下し殺す皇帝に、俺たちの気持ちを解ってほしい。今日は早く寝よう。裏市場で買った最新型の銃は完璧に手入れした。


 この日記はノイ・ロアーンの家から発見されたものであり、その中身には手を加えていない。

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