1章-2

 火の国が、風の民の内情を探っているらしい。


 そんなことには、数年前から気がついていた。


 だが、精霊4氏族同士、火の国が風の民を吸収しようなどとは考えないだろうと、思っていた。

 いや、そもそも、そういう考えを持つにいたることがあることすら、当時のイフラームには想像ができなかった。


 内情を知りたくば、探れ。

 そう思い、放置していたのは、今となれば大きな過ちだったとわかる。

 だが、当時は散らばってしまった風の民をどのように再集結させ、民の力を復興させるかを考えるので手一杯で、火の国のことなど考えてはいられなかったのだ。


 しかし。


 初夏の風が気持ちよいある晩に、執務室に突然火の民の風貌を持つ男が現れた。


「火の王。あまりにも不躾ではあるまいか」


 静かに問うイフラームをみて、火の王、と呼ばれた男は面白そうに片方の眉を上げた。

 一瞬の睨み合い。一陣の風が駆け抜けた。


 沈黙を破ったのは、火の王ザハルだった。


「よく火の王とわかったな」

「赤銅色の肌、赤茶の髪に鳶色の瞳。火の民しかありませんね。そして空間瞬間移動ができる。そんな力を持つのは、純血に近い血筋を持つ高位王族だけです」


「さすが王太子。よくわかってらっしゃる」


「して、何用ですか」


 イフラームは手元の扇子をピシャリ、と鳴らす。

 ザハルは、余計な話をするつもりはない、というイフラームの意図を汲み取ったようだった。


「提案だ。

 火の国領地に土地を用意する。大陸全土に散っている風の民を収容できる大きさだ。どうだ?」


 つむじ風が起こり、ザハルの左頬に赤い筋が一筋、走る。

 イフラームの異能で起こした真空の刃が、ザハルの頬を襲ったのだ。


「つっ……」


 痛みにわずかに顔をしかめ、ザハルは反射的に左手を頬に当てるが、それ以上の動揺は見せなかった。

 ザハルもまた、イフラームの異能の力を知っていた。


「話はそれだけではないでしょう。見返りに何を求めているのです」


「我らの勢力強化に手を貸せ」


「なるほど。火勢を強め、火を思う方向へ進ませることができる風の力が欲しい、と」


「理解が早くて助かる」


「そうですか。では断ります」


「な……なんと?」


 考える素振りも見せず、即答したイフラームを見て、ザハルの顔から余裕のある不敵な笑みが消える。断られることなど、毛筋ほども考えていなかったのだろう。


「風の民には土地など何の魅力もありません。故に、土地に対して見返りを渡すこともない」


 今度はイフラームがニヤリと不敵に笑う。


「双方の益の交換、はこれで崩れました。さて火の王、これで天理に完全に背くことになりますが、それでも我らに協力せよ、と言いますか?」


 思いもしない拒絶に一瞬たじろいだが、すぐに態勢を立て直したザハルはイフラームの質問を鼻で笑った。


「ならば力ずくよ」


 ザハルは、手のひらを上にして前に突き出す。

 その手のひらの上には火の玉が揺らめいていた。


「応じなければこの火がこの集落を飲み込む」


 それは天理を踏みにじる行為だ。

 そう説得する方策もあったが、イフラームはとっさに風で消し飛ばそうとした。


 だが!


「うわっ」


 それはどちらの声だったか。

 消えるはずの火は突然燃え盛り、あっという間に執務室を飲み込む。


 なぜ火は消えず大火となるのか!


 部屋の異変に気が付き駆け寄ってきた侍女をできるだけ遠くに飛ばす。風の民に稀に出現する、他者を瞬間空間移動させる力で。


 そしてすぐに書棚奥の隠し扉から密道に入り、王家の館からの脱出を試みる。

 が、火の回りが凄まじく、すでに街全体にすでに火が回っていることに気が付いた。


 館を出ても助からない。


 ――これまでだ。


 火は本当にごうごうと音を立てて燃え盛るのだな。


 灼熱の熱さを感じながらそう思ったのを最後に、イフラームの記憶は暗転する。



**

 風の民の大半が滅亡した火事。

 直後に現場に入ったキリアンは、その惨状を知っている。

 普通、火元が一番燃えているものだが、あのときは街全体が火元のような燃え方だった。


 なるほど、とキリアンは膝を叩く。


「あの火の出方、回り方……確かに異様でした。火の異能が暴走したのだ、と、スーイン様はあのとき結論づけておられましたが、天理が動いた可能性が高いのですね」


 イフラームが大きくうなずく。


「その通り、天理がザハルを止めるために動いたのでしょう。

 そして、ザハルを止めるためなら、風の民を根こそぎ巻き込む苛烈さ、無差別性があるのも天理だとも、あのときわかったのです」


 だから、とイフラームはエルディオを見た。


「天理が動くのを待つと、逆にスーインに悪い方に作用する恐れは十分にあります。そんな危険な橋は渡らせられません」


「義兄上。そうですね。私の考えが浅はかでした」


「いや。天理に翻弄されたことがある人間でなければ、こうは思わないはずなので、エルディオ殿、気になされるな」


 そして、イフラームは大きく息を吸った。この先の見えない議論の中で、絶対言っておかなければいけないことが一つある。

 だが、それは決して気持ちの良い話ではなかった。


「カイル殿、キリアン殿。非常に言いにくいが……最悪の場合、スーインの遺体を持ち帰ることになる可能性がある。そのシミュレーションも、騎士団でしておいてはもらえないか」


「義兄上!!」


 さすがにあからさまな言葉に、エリシアがとがめるような声を上げる。


「エリシア殿、すまない。だが、最悪は考えておくべきだ」


 でも、と言いかけてエリシアは唇をかみしめて口をつぐむ。

 イフラームの言う通りなのだ。今回ばかりは、窮地を打開する術が見つからないのだから。


「またスーインが目を覚ましたら、スーインの意向も含め、作戦会議をしましょう。皆、休めるうちは休んでおいて」


 イフラームが終了を宣言する。

 スーインをどう逃がすのか、方策が見つからないまま密議は終わった。



**

 陛下にお話があります。


 そういう使いを、放心しきったスーインを見かけてすぐに出しておいたかいがあったか、その晩はエリシアの部屋にアーサーが来る、という触れがあった。


 エリシアはあれもこれも言ってやらなくちゃ、と手ぐすねを引いてアーサーの訪れを待つ。


 やがて姿を現したアーサーを見て、エリシアはひどく驚いた。


 朝議終了直後のスーインも相当やつれていたが、今目の前にいるアーサーも相当やつれていたのだ。

「陛下……ご無理なさってるなら、お帰りになられても……」


 妃としてふつうは言わないようなことを言ってしまったかも。とちらりと思ったが、言った言葉は取り消せない。


「いや。そなたの気持ちもわかるから……スーインのことだな?」


 アーサーはそう言いながらぐったりと長椅子に身を沈めるが、口調ははっきりとエリシアに問いかける。


 言いたいことはたくさんあった。が、それをはばかられるほどの顔色の悪さに、エリシアはかろうじて首を縦に振ることしかできない。


「スーインはどうしている?」


「ショックを受けて帰ってきて、今も眠っていると思います。明日の朝議は欠席かと」


「そうか……」


 エリシアはひとまず、軽い果実酒をアーサーの前の杯に注ぐ。

 アーサーは軽く礼を言うと、杯を手に取り、一口飲む。


「信じてはもらえぬだろうが、再交渉しろ、といったのは本意ではない」


 エリシアは果実酒の瓶を机に置くと、ふいと横を向いて見せた。


「では、信じられるような説明をしてくださいませ」


 その言い方を聞いたアーサーは、ふ、と笑いを漏らす。


「スーインに似てきたな」


「最近よく言われますけど、あんな強くはありません」


「そうか?すまなかった。そうだな、説明だな。しかし言い訳にしか聞こえぬ気もするが」


 気弱な笑みを浮かべると、アーサーは果実酒を一息に飲み干す。そして覚悟を固めたかのような風情で話し始めた。


「中央の廷臣どもは、辺境防備の苦しさを知らんのだ。中央の文官の理屈で事を進める。つまり、中央文官の理解を得られなければ、武器や食料などを都合する兵站は何一つ機能せん。兵站が機能しない辺境の戦地もまた、地獄だ……」


 知らず、アーサーは握りこぶしを握っていた。


「余の鶴の一声で防備増強を断行することはたやすい。だがあの状況では、出兵後の兵站の運用は、文官たちは言を左右にしてわざと滞らせるだろう。どのみち、行く末は死地なのだ……

 であれば、スーインに再交渉に行かせ、その再交渉の場で近衛の剛衛隊に護衛させる方が、まだスーインの命の保証ができる、と思ってのことだ」


「近衛の剛衛隊……本当に?」


「本当だ」


 アーサーはまっすぐエリシアの顔を見つめ、大きくうなずいた。


 剛衛隊は、名目上は左大公家が管轄する近衛団に所属の隊ではあるが、実質は王家直轄で王家の責任で運営している、王家専門の護衛集団だ。

 右大公家の暗衛隊、左大公家の隠密隊、ともに精鋭部隊であるが、王家の剛衛隊はさらに精鋭部隊だ。

 そんな剛衛隊が両大公家に貸し出されたことなど、今までに一度もないはずだ。

 つまり、スーインに対して相当の特別扱いということだ。


「余とて、スーインを一人死地になど行かせたくはない。だが、騎士団すべてを死地に置くわけにも、いかん。騎士団は右大公家のものかもしれないが、とどのつまり王家のものでもある」


 血を吐くような言葉。


 その時取りうる選択肢の中では最善だった、ということ。国王なんだからそんなのどうとでもできるでしょう、とエリシアはなじりたかった。だが、エリシアにもそんなことは言えなかった。


 なぜなら。


「右大公家も暗衛隊を出します。連携したほうが姉上の救命の確率上がるでしょうから、わたくしが暗衛隊へ繋ぎます」


「サラが行くのか?」


 当たり前のように問うアーサーの言葉がエリシアに突き刺さった。

 思わず息をのむ。


 告げにくい事実であるが、言わないわけにはいかない。


「いえ。サラは今後のために残す必要がありますので、レオとリンという者が数名の手勢を連れて向かいます」


 虚を突かれたかのようにアーサーはエリシアの顔を見つめる。

 エリシアはアーサーの視線を受け止めきれず、目を伏せる。

 

 結局のところ右大公家も「許された選択肢の中での最善」を取ったのだ、ということをアーサーもすぐに悟った。


 今の水の国には、スーインを救い出せる完全な方策を持った人間はいないのだ。エリシアとアーサーはただ、そのことを確認しあっただけだったことに今更ながらに気が付いた。


――けれど、それでも。

 だからこそ、できることはすべてやるしかない。


 アーサーは、国も、愛した女のことも、自分の感情すらも――すべてを賭けて、彼はこの玉座に座っているのだ。

 この人は、自分が思っていたよりも、ずっと誠実で、ずっと孤独だ。

 姉様は、だからこの人を愛したのだろうか?


 そうなのだとしたら、この血を吐くようなアーサーの想いが、正しく姉様に伝わるとよいのに、と心の底からエリシアは願った。


「陛下。剛衛隊を出していただいたこと、心から感謝します」


 アーサーが目を上げてエリシアを見る。


 わずかにその視線がゆれたのは、アーサーのそばに置いた暖炉のかげろうのせいなのか、アーサー自身の心の揺れだったのかは、エリシアにはわかりかねた。

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