第5章 火と水の狭間
5章-1
ゼスリーアが産気づいた、と隠密が飛び込んできたのは、深夜のこと。
「なんだと!産み月まではまだふた月もあるではないか!」
まずい。まずいまずい。
冬の夜の冷気も手伝って、背中の古傷がうずく。
なぜ王太子を守れぬのだ!
そういって折檻する父が、背中に張り付いているようだ。
「侍医をありったけ呼び寄せろ!産婆は?」
「すべて手配済みとのことです」
「わかった。下がれ。何かあったら報告せよ」
「は」
すぐに王宮に上がろうかとも思ったが
近くに行っても男にできることはない。自宮で知らせを待つことにする。
ここで王太子を失ったらどうしたらいいのだ、と、思ってもいなかった展開にセザリアンは震える。
ゼスリーアはアーサーに嫌われたから、この先もう男子どころではなく、そもそも子を望むことは絶望的だろう。
アスリーアも、前回の王子の出産でだいぶん無理をしたから、こちらも子を望むのは難しい。
左大公家所生の男子を立太子させ、権力を盤石にするという、父の悲願はどうなるのだ。
――俺は、その悲願を叶えてこそ、ようやく父に認められるというのに!――
どうか、どうか、左大公家に王太子を!!
しかし、そんなセザリアンの叫びは、全能神に届くことはなかった。
非情にも、明け方にゼスリーア死産の報が左大公宮に届いた。
**
「アーサー!アーサー!!」
王宮の王専用区域、大公家でもなかなか入れないエリアだが、セザリアンは侍衛を振り切りアーサーの居室になだれ込んだ。
「すまない、ゼスリーアが男子を死産した」
「聞いている……」
執務椅子に深く座り、腕を組んで物思いにふけっているように見えるアーサーは、絞り出すように答えた。
まだ夜も明けやらないのに、執務服に着替え終わっているアーサーは、最初の報を受け取ってすぐに動けるよう、準備をしたのだろう。
「アーサー、ゼスリーアが気に入らないのはわかっている。だが、あいつなら男子を孕めることが証明できたんだ!頼む!今一度、あいつとの間に男子を設けてくれ!」
セザリアンはその場に崩れ落ちるように跪く。
「頼む――」
そして頭を床にこすりつける。
これで、アーサーが応じてくれるなら、父に言い訳が立つ。なんなら良くやったと言われるかもしれない。そしてもちろん折檻も受けずに済む――
目を血走らせ、土下座して頼み込むかつての友の様子を見たアーサーは、頭を振って悲しげな表情をする。
「子は道具ではない。生まれるかはわからない、生まれても成人するかも分からない。そんな不確かなものに、お前はそこまでするのか?」
「するだろう!」
血を吐くようにセザリアンは叫ぶ。
「するだろう……男子が家を継承していくのがこの国の伝統なんだ。左大公家が全能神を祀り、右大公家が精霊を祀り、王家がその力を統合して国土にあまねく広げて国を強くするんだ……力を広げる神事を司るのは、王家の男子――嫡流の男子と決まっているんだ……そうじゃないと、国は養えないって、そう伝統で決まっているじゃないか!」
どん。セザリアンは床を強く一回こぶしでたたく。
「そうやって国は繫栄してきたんだ……国の繁栄のためなら、土下座ぐらいしてやるさ!!」
セザリアンは顔を上げ、下からアーサーの顔を血走った目でにらみつける。
「ならばどうして風の民は滅びた。かの国はかの国なりに、伝統を守っていたはずだ」
「それは……」
思いもよらないアーサーの指摘に、セザリアンは言葉に詰まる。
「それは、なんだ」
容赦のないアーサーの追い打ちに、セザリアンは顔をゆがめた。
「かの国はかの国、だろ!水の国には関係ない!」
「そうか、そう思うなら、それでよい。しかし余はそうは思わぬ。だから、再びの男子懐妊の話は聞かなかったことにする」
「アーサー!なぜだ!!」
「世は変わっていくのだ。滅亡など考えられなかった4氏族の一角が崩れたように、国の在り方も変わっていかねばならぬ」
大きく一息。アーサーは息をついだ。
「もう一度言う。子が生まれるか、その子の性別がどちらか、そしてその子が健やかに育つかどうか、そんなことは非常に不確かなもので、それを支える人にも大きな負担を強いるものだ。余は、そんな不確かで人に犠牲を強いるようなものに、これ以上頼るつもりはない。伝統は変わっていくべきだ」
「なぜだ!違う、違う、伝統は正しい、守るべきものだ!」
セザリアンは立ち上がると、よろよろとアーサーの執務室を出ていく。
アーサーは暗い表情で、その背中を見送った。
**
セザリアンはその足で、ゼスリーアの居住区域へ向かった。いや、向かおうとした。
「なぜ?どうして?どうして死産なの?」
ゼスリーアの狂乱した声に、ガシャーンといったものが壊れる音がかぶさる。
見るまでもない。精神的に壊れたのだ。
なるほど。だから、アーサーは執務室にいたのか。
状況を理解したセザリアンは、自分もそっと踵を返し、重い足取りで左大公宮への道を進み始めた。
これではゼスリーアにもう一度男子を、とはいえる状況ではないだろう。
これはつまり、左大公家所生の王太子はもう望むべくもないことを意味している。
「どうしてこうなった……!!」
こぶしを握り締めて壁をたたいても、変わらぬ事実。
セザリアンの叫びは、どこにも届かないまま、ただ回廊に響いていた。
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