第4章 崩れる均衡

4章-1

 このところ、重要議案が多く朝議が疲れる。


 朝議を終え、王宮の自室に向かう回廊を歩きながら、アーサーは心の中でつぶやいた。


 雑念を振り払いたく、わかりきった文章を頭に浮かべたのだが、成功しなかったアーサーは、短くため息をつくと、後ろに控える次官に声をかけた。


「エルディオの言うことは本当であろうか」


「……真実にしか聞こえませんでしたが……」


「そうか」


 アーサーにはどうしても、作り話にしか聞こえないのは、もしかしたら自分自身が隠された真実のうちの一つだからか。


 ちょうど中庭にある花園にさしかかり、立ち止まって見下ろす。


 あの夜は、十年と少し前のはず。

 サリフの年を考えると、自分の子として考えても整合する気がする。


 本当にエルディオの子なのか?

 スーインの子ではないのか?


 いや……自分とスーインの子、ではないのか?


 拭い去れぬ疑念が自分の胸に根ざしたことを、アーサーは自覚した。



**

 またもスーインかっ!

 隠し子騒動なら確実に一撃食らわせられると思ったのに!!


 なぜああもこちらの思惑を潰す。


 だがしかし、俺にはもうゼスリーアの腹に男子がいる、という切り札がある。どう足掻こうが、スーイン、お前は俺の前にひれ伏すしかないのだ。


 正しき伝統の前には、努力など蟻の汗にも及ばない。


 昏い笑みを漏らすセザリアンは、子どもは誕生するまでは、もっと言えば成長し即位するまでは、実はなんの保証にもならないという事実をすっかり忘却の彼方に押しやっていた。



**

 水の国の冬は寒い。

 知ってはいたけど、長逗留だと辛いわね。寒さには段々慣れつつも、普段薄物しか身にまとわないネフェルナには、厚物続きの装いに辟易としてきた。


「なーネフェルナ、左大公の坊っちゃんが、右大公追い落とし計画に失敗したらしいぜ」


 ひょっこり窓から入ってきたザハルにネフェルナは全く驚きもせず、呆れた顔をする。


「ザハル兄ぃ。もう少しご自分のご身分をお考えくださいよ。そんな隠密みたいなこと、いい加減やめないと命落としますよ」


「落としたら落としたまでよ。俺に理があれば、命は繋がるものだ」


 手にした赤い果実をぽんぽん、と、空中で弾ませると、ネフェルナに食うか?と軽く尋ねる。


「いりません。しかし、左大公は凡人ですかね?今回のはかりごとが失敗するなんて、最初からわかっておりましたよ」


 隠し子ごときであの右大公が動じるものか。どんな爆弾を投げられても、毛筋も表情を変えない右大公の顔を思い出す。そもそも、左大公は幼いころから右大公と一緒に育ったのではないか?それだけ一緒にいたのなら、右大公の考え方ぐらいわかっているだろうに、どうしてあんな稚拙なはかりごとが成功する、なんて思えたのだろうか。


「だからさ、ネフェルナ、直で対決してこない?右大公とさ。うちに来れば女だからって侮られずに思う存分手腕を発揮できるぞ、って勧誘してきてよ」


「はあ?辣腕振るえないことには不満を覚えているとは思うけどさ、あのタイプはそんなことよりお国第一でしょうよ。絶対なびかないでしょ」


「俺もそうは思うんだけどさ」


 手にした赤い果実を豪快にほおばる。


「珍しいものはやっぱり、手に入れたいじゃん?」


 目を細めてザハルは中空を睨む。


「自らの意志でたち、王と肩を並べて歩く女なんて、どんなに探したっていやしないぜ。手に入れられそうなら、最大限手を尽くしてやる」


 妖しく目を光らせるザハルを見て、ネフェルナは諦めて肩をすくめた。


「はいはいわかりました。接触してみます。でも、期待しないでよ」


「ありがとな!」


 来たときと同じく、窓からひらりと出ていくザハルをネフェルナは見送った。


 気持ちはわかるけど、ザハル兄ぃ、失恋確定よ。


 絶対失敗する命令を前に、ネフェルナは一つ大きくため息をついた。



**

 朝まだ早い右大公宮の回廊を、そろりそろりとネフェルナは歩いていく。

 故国の床材と違って、磨き上げられた石の回廊は、ネフェルナにとって歩きにくい。


 水の国に入ってから放っておいた密偵によると、最近政務が詰まっている右大公は、朝早くから政務を開始しているという話で、念のため今朝も確認を取ったところ、やはり政務を開始しているとのこと。


 二人だけで話すには、この時間よね。


 そう思って密やかに右大公の執務室に向かうことにしたのだが、うっかり転んで物音を立てるわけにもいかず、回廊を進むのに難儀した。


 何とか執務室にたどり着き、扉に耳を当てる。

 人の話し声などはなく、やはり一人で執務をしているようだ。


 そう確信したネフェルナは、そっと扉を開け、部屋に忍びこむと、またそっと扉を閉めた。途端。


「何か用か?ご使節殿」


 スーインから声がかかる。執務机の向こうに座ったまま、鋭い目で扉の前にいる自分を射抜くように見つめていた。


「やはりお気づきだよな。こっそり参って済まない。ネフェルナだ」


 害意はない。それを示すためにも、あっさり白旗を上げる。


「スーインである……わかっていて忍んで参ったのだな?」


 率直な態度にネフェルナは好意を抱く。

 このような出会い方でなければ、もしかしたらこの人とは友達になれたかもしれない……そう思わせる相手だった。


「そうよ。話がしたくて」


「椅子は勧められぬが、聞こう」


あるじからの伝言よ。このような窮屈な国は捨てて、火の国にいらっしゃらない?あなたのその能力、思う存分発揮いただけると思うわ」


「そなたの主は、火の王で間違いないか?」


「……間違いないわ」


「では一つ聞く。彼は何故、そこまでわらわに執着するのだ」


 ずいぶん傲慢な質問だわ。

 たしかに、はたから見たらザハルが執着しているようにしか見えないけど、しかし執着されている人間は、なかなか「執着」されていることに気づかないし、気が付いても堂々とその事実を言わないものだわ。


 この人、周りが己を求めてくることが当たり前、な人生を送ってきたのね。


 なんだか嫌味……と思わせないのが、この右大公のすごいところかもしれない。圧倒的な強さと、強さを支える努力――まさに今、だれよりも早起きして政務をこなしている――が、彼女という人物を裏打ちしているからだろう。


「そんなこと、本人に聞きなさいよ」

「俺が欲しいからだ、ぐらいしか答えないだろうな」


 その正確な読みに、ネフェルナは脱帽する。本当に……こんな人がこの国で、廷臣たちに侮られながら仕事をするなんて、なんてもったいないんだろう。


「個人的に……わたしからもお勧めするわよ、火の国」


「礼を言おう。だが、そなたはもっと働きやすい国があるからと誘われて、火の王をおいて火の国を出奔できるか?」


「できないわね」


「で、あればわらわの答えもおのずとわかるであろう」


 だよなぁ。そうなるよなぁ。数日前、期待するなよ、といったことが現実だったことを確認しただけだったな、とネフェルナは内心天を仰ぐ。


「わかってるわ。でも、そこを押して伝言して来いっていうあるじの依頼なの。悪く思わないで」


 右大公は微動だにしなかったが、是、と言ってもらった気がネフェルナにはした。


「ただね。あるじは、手に入らないものは壊してしまえ、の苛烈な性格でもあるわ。あまりに拒みすぎると……水の国にとっては、大変なことになるかもしれなくてよ」


「それは脅し、か?」


「そんなつもりではないわ。でも事実よ」


 風の国を焼き尽くした、と言われたことを思い出す。天理に逆らったからだ、とは言われてはいるが、「手に入らないなら消してしまえ」というザハルの苛烈な気性が全く影響しなかった……とは、ネフェルナはとても言えない、と思っている。


 風の民のような末路は、もうほかの民には辿らせたくないのだ。


「われわれ水の民は、水の民の対処をする。風の民とは違うからの」


「だといいけど。伝言も、警告も伝えたわ」


スーインは重々しくうなずいた。すべて了解ということなのだろう。


「そなたのあるじに申し伝えよ。マントぐらい、厚物のマントを使わせてやれと」


「……そのお言葉、ありがたく受け取っておくわ」


 肩をすくめると、片手をひらひらと振ってネフェルナは扉を開けて外に出た。

 火の王に伝えることが厚物のマントの話とは……完全に、差し出された手は断る、ということね。


 さぁ、今後どう動くことになるやら。



**

 数日後。


 水の国が提案してきた交易路として水路を開く、の案が提示され、調印する気があるならば交渉の日程を決める、とのユーリからの書簡が届いた。


 いつものごとく、ひょっこり窓から入ってきたザハルがその書簡を読み、感嘆の声を上げた。


「なんだ、眠たくなるような領地分割の話じゃないんだな!」


 面白いなぁ、水の国を見くびっていたなぁ、と何回も繰り返す。


「そんなに気に入ったなら、これで調印してくる?」


 半ば投げやりにネフェルナが言う。


「いやしない。右大公が火の国に来てくれるまではな」


 素晴らしくゆがんだ笑顔を浮かべるザハルを見て、いつの間に条件を付けているんだよ、と心の中で、ネフェルナが毒づく。


「だから無理だってば。『厚物のマントを着せてもよい』が、回答なんだよ?他国に行くわけがない、っていう彼女の言い分もわかるし……なんでそんなにあの右大公に執着するのよ」


「面白いからに決まってるだろう。よくいる姫なんか娶ったらつまらんではないか」


 答えながらも、書簡を隅々まで読み込み始める。やがて顔を上げると、ネフェルナの顔を射抜くように見つめた。


「右大公が来てくれるまではな、は冗談だが、この条約は金銭的には水の国の利幅が大きい気がする。すぐには返事はできん。持ち帰って検討すると答えておけ」


 突然為政者モードに入ったザハルに戸惑うが、ザハルの通常運転の範囲内だ。ネフェルナは即刻立ち直り、承知仕りました、と答えて文官たちに命じて返信の書簡の作成に入る。


「これ、持ち帰り検討が通ったら、わたしは帰国ってことで問題ない?」


「いや」


 答えてザハルはにやっと笑った。


「交渉は結局不調に終わったんだから、水の国への置き土産はちゃんと取り上げておけよ」


「ぬかりはないよ。ゼスリーアには可哀想だけどね」


「であれば、早々に帰るとよいぞ。寒いのは堪えておるのだろう?」


「まったくだわ」


「ただ、火の国についたら、どうしても右大公がなびいてくれない時の、ダメ押しの一撃に使う手を仕込んでおいてくれ」


 ザハルは、補佐の文官を指先で呼びつけると、何事かを囁く。

 補佐の文官が礼を取り、承知しました、と言ったタイミングで、ネフェルナは口を開いた。


「帰国してまで、あんまりこき使わないでよね」


 心なしか、支えてくれている文官たちの顔も、帰国の見通しがついて明るくなった気がする。ひとまず、今回の外交交渉には終わりが見えてきた。


 でも、今後の水の国との関係は?


 交渉は続く。少なくとも、ザハルが納得するまで。そう考えてしまうと、どこが落着地点かはネフェルナには見通すことができなくなり、言い知れぬ不安が胸を占め始めた。


 待ちに待った帰国なのに、何故こんな気持ちになるのだろうか。


 不安を覚えつつも、ネフェルナはザハルに従うより他になかった。

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