6章-3(6章終)

 空気が澄んでいる。

 こんな空気の晩秋の日には、スーイン姉様が妊娠したという話をした日のことを思い出してしまうわね、とエリシアは思い返した。


 あの騒動の後に生まれたサリフは、とても穏やかないい子だった。

 いまも、回廊をから見える中庭で、ラーニアをうまくあやしながら遊んでいるサリフの姿を見つけることができる。

 こんなにも穏やかな秋の日差しの中で、サリフと妹が笑い合う光景を目にする日が来るなんて、あの時は思いもしなかったけど、と回廊を進みながらエリシアは想いをかみしめた。


 そして今。

 スーインからお茶でもしながら話をしない、という誘いがエリシアのもとに来た。


 ――姉様は、いつも気まずい話をするときって、ワンパターンのお誘いしかしてこないわね。


 なんでもできるといわれている姉の、意外な弱点を握った気持ちで、エリシアはスーインの執務室へ向かう。


 ノックをしてはいると、執務室のテーブルの上にはすでにお茶の用意ができていて、人払いも済んでいた。……わかりやすすぎるわ、姉様。と思いながら、エリシアはスーインに微笑みかけた。

「ユーリはいないの?聡いと評判の、従妹に会いたかったのだけど」

「今日はカイルが非番ゆえ……市街地に行って市でも見ておるだろう……」


 目は泳ぎ気味だが、口調に迷いはない。思いついた言い訳ではなく、ユーリが市に行ってしまったということは事実なのだろう。ただ、このお茶の時間に寄せ付けないために、カイルをたきつけて連れ出した……ということなのだろうな、と泳ぐ目線を見つめながらエリシアは推測した。


「では、次の機会を楽しみにしています……姉様、座っても?」


 本来、主人の側が座るように促すものだが、おそらくスーインは何をどこから話すべきかで頭がいっぱいで、着座については頭から飛んでしまっているに違いない。そっと、座ってもいいかどうかを尋ねる。


「あ、ああ、座って」


 案の定、上の空の回答が返ってくる。このままだと、のどが渇いたときに飲むお茶もなくなるわ、と、もう許可を取ることなく、スーインの分も含め、エリシアは勝手にお茶をつぐ。


「はい、姉様。で、話って?」


 エリシアはお茶のカップを渡すと、開き直って、さっさと話の先を言うように促す。

 通常レベルの話にくさ、であれば、これぐらいの頃合いでスーインは話し始めるのだが、今日はなかなか話し出そうとしない。


 このタイミングで、この逡巡。エリシアの中で、疑念が確信に変わる。これはやっぱり、入宮の打診だわ……そんなに言いにくいなら、わたしから言っちゃったほうがいいかしら?


 実はスーインが心配するほど、エリシアは入宮に後ろ向きではない。聞かれなかったから答えてこなかっただけで、縁談を断りまくってきたのは、いざというときに入宮できるよう、体をあけておきたかった、というのが真相だ。でもたぶん、姉様は縁談を断りまくってきたのは、わたくしがひそかに慕う殿方がいるから、と誤解しているわよね、と考えたエリシアは、自分のほうから仕掛けることにした。


「姉様……入宮のことですか?かまいませんよ?」

「そうだ、入宮のことなのだが……望まないのなら……ん?」


 これが、鉄の女だの化け物だのと口さがなく言われる人だろうか。少し面白くてエリシアは笑ってしまいそうになるが、それだけ世の人は、スーインの頭脳と実行力の側面でしか、評価しないのだろうなと思う。スーインが頭脳や実行力をいかんなく発揮しているのは、国を安定させるためなのに、それが伝わらない。

 実際は、こうやって自分が親しんでいる何かに犠牲を払わなければならないときは、あの頭の切れはどこに行ったのか、というぐらい、わかりやすく動揺してしまう人なのに。


「姉様。しっかりしてください。望まないとは、今まで一度も言った記憶はございません」

「しかし……いままであんなに縁談を断ってきたのは??てっきり、想いを寄せている殿御がいるものだとばかり……」


 姉様。あなたのように、絶対に無理な相手に誓いを立てて尽くす女ばかりではないのです。


 そう言ってしまいたい衝動に、エリシアはかられる。

 エリシアでさえ、アーサーに惹かれた時期がある。眉目秀麗で、王という最高権力を持つ男。一度も憧れたことがない、なんて女はいないだろう。

 だが、その憧れをずっと堅持し続ける女は珍しい。釣り合うのか。尽くして実は取れるのか。身もふたもないが、結婚には生活が懸かってくる。多くの女は、あこがれと生活の実を天秤にかけ、生活の実を取っていくものだ。


「姉様。縁談を断っていたのは、実は、何かあったときに姉様の力になれるよう、入宮できる状態にしておきたかったためだけですよ?」


「エリシア……幸福を棒に振ってどうする……」


 あまりなエリシアの告白に、スーインはようやく一言、反撃する。

 ところが、エリシアはどこを吹く風、という顔でエリシアの反撃をさらっとかわす。


「一番、自分の幸せを後回しにする姉様に言われたくはありません」


 そんなつもりはないが、他人から見るとそう見えるのか……とスーインは絶句する。


「姉様……戦うのは、姉様一人の仕事ではありません。右大公家全員の責務です。ですから、全員で戦えばよいのではありませぬか」

「だが……」

「右大公家に生まれたものの宿命です。それは、姉様にとってもわたくしにとっても、ではないですか」

「では……」


「はい。入宮の話、進めてください。大丈夫です。わたくしは一生分に足る恋をしました。あれだけの恋ができたら、もう後悔はありません」



**

 あれは、初夏のころだった。

 スーインに付き添って火の国国境の地にいたころ。

 もうイフラームは救出されて、隠れ家にしていた館にかくまわれていた。


 あの日は館中が大騒ぎで、館を覆う空気も重苦しく、エリシアは気分転換に庭に出て風に当たっていた。


 どうか、ご無事で……


 そう願って姉のいる部屋のあたりを見上げた時、目の前に黒い影が立った。

「探したぞ」

 夜なので、影は黒いが、オーラは炎のように燃え立っている。


「な、何やつ……!」


 辺鄙な地にある館とはいえ、それなりにスーイン直下の優秀な暗衛をおき、警備は万全なはずだ。そんな中でこんな館近くの庭に入り込んでくるなんて、どんな手練れだ。

 頭と顔をほとんど頭巾で覆っているが、ちらりと見える目元からわかるのは、赤銅色の肌、赤茶の髪、鳶色の瞳。火の民だ。


「俺を忘れたのか?……いや違うな……似ているがお前はこの間の女ではないな……」


 男が何を言っているのか、さっぱりわからない。ただ、言葉の断片からエリシアがわかるのは、おそらくスーインと人間違えをしているのでは、ということだ。


 だが。それがわかったところで、今自分の身が守れるかどうかがわからない。

 騎士団も擁する右大公家の姫として、エリシアも一通りの武術は体得している。スーインが強烈すぎて目立たないが、エリシア自身も「鬼姫」と呼ばれる程度には強い。並みの騎士なら勝てるという自負がある。


 そのエリシアからみて、目の前の男は強い。敵わない。おそらく、姉様でようやく互角……

 ロンはいないのか。エリシア自身に付き従う暗衛のことを思い浮かべるが、ついてこなくてよいといったのは自分だったことに思い至る。慢心した……唇をかみしめる。この状況を脱する術が思いつかない。


「あの女ほどではないが、お前もなかなかではないか。水の民を見誤ったか?こんなにも面白い女たちに会えるとは」


 気が付くと間合いが詰められていた。まずい。そう思った刹那、エリシアは男に抱きすくめられ、唇を奪われた。


「強い女は嫌いじゃない。大好物だ」


 抱きすくめられたまま、耳元でささやきかけられる。普段なら振りほどくであろうに、エリシアは何かに魅入られたように、動けない。


「水の国に飽きたら、俺のところに来な。俺は……火の王、ザハル」


 頭巾をバサッと外した音がした、と思った次の瞬間、エリシアの体が男から離される。素顔をさらした男、ザハルがエリシアの顔を見つめる。それは同時に、ザハルの顔をエリシアの脳裏に焼き付けるかのような行為だった。


「またな。どこかで会おうぜ」


 雷に打たれた、と思った。

 突然現れて、強烈な印象を残した男。こんなにはっきりと自分の感情をむき出しにして物を語る男。ほんの一言二言しか話していないが、あの欲望のむき出し方は水の国の男たちにはなく……無意識にエリシアが求めていた男の魅力、だった。それを彼は持っている……


 だけど、目の前にいる自分を見ているようで、視線は素通りしてその先――おそらく姉様――を見ている。なんて憎らしいのだろう……


 これは、はかない初夏の宵の夢なのだ。

 きっと恋。でも実らない恋。そして、ザハルを想うなら、アーサーを想う方がまだましな気がする。でも、そんな理屈では気持ちはどうにも曲げられないし、止まらないのだ。


 わかってはいても、進むしかないのが恋なのだとエリシアは生まれて初めて知った。


**

 昏い水底を思わせる、左大公当主の寝室。思い起こすだけで窒息しそうな部屋だ、と左大公家の執事は吐き捨てるように思った。

 若干顔をしかめ、左大公家の執事は寝室に入室した。


「殿下。隠密より情報です。どうやら、右大公家の第二王女が入宮するようでございます」

「それはエリシアか?」

「さようにございます」


 執事には、怒りの黒いオーラが爆発的にはなたれている幻覚が見える気がした。


「小賢しい……」

 そのつぶやきの向き先は、アーサーか、スーインか。

 パキ、と何かが折れる音がして、続いて怒声が響く。


「セザリアンは何をしておるのだ!」


 あの坊っちゃんは、折檻の痛みに耐えるので手一杯ですぞ。

 そう言ってやりたい昏い願望に、執事は囚われる。

 が、決して口にはしない。口にすれば、自分も被害を受けるからだ。


「なぜ……なぜ、女子供の後宮ぐらい、奴は押さえられぬのだ。難しいことではなかろう!なぜ、できぬのだ……」


 暗い部屋に、左大公当主の怒声が浮かび、沈殿していく。

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