6章 水鏡の契り

6章-1

 翌日の朝議の後。

 約束通り、スーインはアーサーの執務室を訪れた。


 互いに、昨晩のことは「なかったこと」として振る舞う。でなければ、続けられない関係性だ。


「今一人王妃を、とのことだけど……現実問題として、うちのエリシアしか候補はいないわ。問題ないわよね?」


「そうか……承知した」


「ただ、問題が二つ。一つは、彼女の母は側妃だったから、庶子扱いよ。アスリーア、ゼスリーア両王妃殿下に比べると、身位が落ちるわ。これは私の姉としてのわがままだけど、それは忍びないと思うのよ」


「今からでも、継室の養女扱いにできるか?そうすれば、嫡子になるだろう?」

「てきるけど、双子の兄のエルディオも一緒に継室の養子扱いになるわ。よいかしら?」


「わかった……」


 ずっと前から気になっていた、サリフの身位。庶子の嫡男、では立場が弱い……彼の本来の血筋を考えたら、右大公家の嫡子の子の地位を与えなければならない。だが、方法がわからない。手詰まりになっていたスーインの前に、今回の話は思ってもいない僥倖をもたらした。一石二鳥。この気の重い話の中で、唯一スーインの利になる話だった。


 が、あとは難しい話しか残っていない。意を決してスーインは重い口を開く。


「二つ目は……これのほうが問題ね。エリシア自身の気持ち。適齢期を過ぎそうなのに、どんな縁談も断ってきたわ……それが入宮って……応じてくれるかどうかは、私にもわからない」


「そうか……」


 アーサーは組んだ手に額を押し付け、しばらく考え込む。


「エリシアの気持ちはわからぬが……」

 決然として、アーサーは顔を上げた。


「エリシアには、何も望まぬよ。ただ、入宮することで、あと数年の時間稼ぎの手伝いをしてもらいたい。入宮してくれさえすれば、後のことはエリシアの自由意思に任せようと思う」


「それは……」


「昨夜、決めたのだよ」


 自分の手のひらに乗せられた重責とは何か。それは水の国を守ることだ。

 昨夜スーインが立ち去った後、アーサーは自分の手のひらを見つめて自問自答した。

 最初の問い。自分の責務についてはすぐに答えが出る。ではなぜ、国を守る方法は何か、という次の問いについて、全く答えが出ないのか?


 ……答えを出せないのは、おいた前提が間違っているからだ。だとしたら、おかれた前提――伝統――を壊したらどうなるのか。当然のように、スーインが提示してきた二つの選択肢が出てくる。そう。前提を壊せば、そこに道はあるのだ。ただ。伝統を壊す道のりは険しい。


「思い込みを……伝統を、壊すしかもう道はなかろう」


 それが厳しくとも。もしも、アーサーが自分とスーインが並び立ち水の国を導く将来を少しでも夢想してしまうのなら。


「やるしかあるまい?」


 夢を持つなら、その責任を負う覚悟をもたなければならぬのだ。アーサーは、スーインの目を見て静かに問いかける。

 スーインは、昨晩のアーサーの目にはなかった熱情を認めた。


「つまり……」


 同意しよう。そう思ったはずなのに、スーインは思わずかすれた声で真意を問うてしまう。それぐらい、アーサーが伝統を壊す決意をすることは、自分とアーサーが結ばれる日がこないことと同じぐらいあり得ないと信じていたのだ。

 信じたい。が、真意を知らないと信じかねる気持ちの間で、スーインは返事をためらう。


「女子継承だ。男女の区別なく、長子継承を基本とするよう、改めよう」


 迷いのないアーサーの口ぶりに、ようやくスーインも腹を括った……括れた。


「そのための、エリシアによる時間稼ぎね?それは分かるけど、あなたとエリシアの間に男子が生まれる可能性は……考えないの?」


「もちろん考えている。仮に生まれても、女子相続の道を開くことは変えぬ」


「わかったわ。ではそのつもりでこちらも動くわよ?……エリシアのことに限らず」


「もちろんだ」


 アーサーの言葉に迷いはない。

 だから、ようやく自分も迷いなく進んでいける。スーインは、今までどれほど夢想しても、結局はアーサーの同意がなければ動けなかった。左大公家のように、陰謀を巡らせて王家に応諾させるしかないように動くことも、やろうと思えばできたことだったかもしれない。だが、スーインはその道を選ばなかった。


 単なる忠誠心というより、それが天理であると考えるからだ。あくまでも、国を導くのは王。大公家は、王を支えその意を実行する。王の意に反すれば、大公家は崩壊するし、ひいては国も滅ぼす。

 それを信じているのか、と問われれば、そこまで天理を信じてはいない。が、正道とされる道を軽んじる愚は、スーインは分かっているつもりだ。


「わかった。やるからには、手加減しないわよ」

「望むところだ」


 互いの視線が交差し、互いにいたずらっぽく笑い合う。

 スーインは、少しだけ、成人直前の頃の二人に戻った気がした。

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