2章-5
水面を渡ってくる風が、そろそろ刺すような痛みを伴い始める時期がやってきた。
エドワード王子が雪の国に帰る支度を始めたのが、ちょうど一年前のことだ、とスーインは過ぎ去った時を数えた。
右大公家の謀略に巻き込み、傷を負わせた娘――ユーリもまた、国に捧げられた贄だった。だが、ユーリは贄になっても、自分の信念に基づき運命にあらがって、今日この地に再び降り立つはずだ。贄にも、運命にあらがうことができる
……スーインにとって、それは一筋の希望の光だった。
「ユーリ様、ご到着にございます」
エマの声がかかり、サラに先導されて少女が執務室に入ってきた。
「ユーリ。久しいの。息災であったか?」
「はい。女大公殿下もお変わりなく」
執務机に座るスーインに進み出たユーリは、ふわっと柔らかい笑みをたたえて正式な礼をとる。
「正式な礼はもうそれで終いにするのだよ?ここにはもう、そんな優雅な時間はないからの」
「はい、女大公殿下。承知しております」
柔らかく返すユーリを見て、変わったな、とスーインは思う。王太女という重責から解放されたから、だけではあるまい。
「時に……カイルはどうしたのじゃ」
「さっさと騎士団に行ってしまいましたわ。女大公殿下が副騎士団長なんかに任命してくださるからです」
柔らかく微笑んで答えるユーリは、愛されている者のオーラを放っている。愛されるだけで、人はこれほどまでに変わるのか、とスーインは改めて目をみはらされる。
「仕事の虫になりすぎぬよう、ユーリはほどほどのところで手綱を引き締める必要があるの」
女二人、顔を見合わせひとしきり笑う。
その様子を見ていたサラは、ユーリに同行せず、まずは騎士団に向かったカイルの判断は正しかった、と少々の同情を交えて思った。
「時に殿下。何やら王宮が騒然とされているようですが…何かございましたか?」
ユーリの背後で、エマとサラが顔を見合わせる。
「……第一王子が、昨日薨去されての」
「まさか……そんな時に到着してしまうなんて……」
狙ってそうなったわけではない。だが、よりによって自分が水の国に到着したその直後に、こんな事態が起きるとは。あまりの間の悪さに、ユーリはいたたまれない気持ちになった。
「よい。不測の事態じゃ。まだ理由もわかってはおらぬ。そなたが気をもむことではない」
「ですが……」
男子継承を原則とする雪の国で、自身も王太子の地位を巡る争いに巻き込まれた身だ。水の国もまた、王子はまだ一人だけだったはず――そのたった一人が失われた今、同じく男子継承を原則とする水の国に何が起こるかは想像に難くない。気をもむなというほうが無理だった。
「中の姫の呪ですもの…」
一瞬訪れた静寂の中に、思いがけずエマの独り言が響いてしまう。が、そんなに言葉が響いてしまうことはエマにとっても想定外のことだったようで、口を押さえて目を丸くしていた。
「エマ……昨日も言ったではないか。呪などではない」
そんなエマに、スーインは今一度、言い聞かせるように話す。だが、エマだけでなくサラまでもが、そんなはずはない、という表情を浮かべている。
その様子を見て取ったスーインは、短く息を吐いた。
呪ではない。
そう言うだけでは、きっと呪は解けぬのだ。一度、説明を試みなければなるまい。ちょうどユーリもいることだし、良い機会だとスーインは腹をくくった。
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