雪山

二ノ前はじめ@ninomaehajime

雪山

 積雪の下に妻を埋めた。

 私が愚かだったのだ。雪山を登り始めて、登山道で妻が転倒した。きっと夫に気をつかったのだろう。彼女は軽い怪我だと笑って、二人で登頂を目指した。この時点で引き返すべきだったのだ。

 山の天候は崩れやすい。陽の光が覆い隠され、雪がちらついた。勢いが増し、程なくして視界が白く染まった。いつしか登山道から外れて山中を彷徨さまよい、やがて小さな建物の影を見出した。避難小屋だった。不幸中の幸いと、その中に飛びこんだ。

 四角い造りをした、簡素な避難小屋だった。寝袋に毛布、古びたランタンと燃料が置いてあるだけだ。吹雪を凌げるだけでもありがたかった。妻と二人で毛布にくるまり、雪が止むのを待った。

 携帯電話は圏外で、山岳救助隊に助けを求められなかった。荷物には食料や飲料水があった。ただ、妻の顔色が悪くなってきた。登山道で転んだ際に打ちどころが悪かったのかもしれない。口数が少なくなり、ずっと体が震えていた。屋内でも寒さまでは防げない。寝袋で寝ることを勧めて、その隣で私も眠った。

 避難小屋で一夜を明かした。目を覚ましたとき、妻の入った寝袋からは返事はなかった。

 私は呆然ぼうぜん自失じしつとした。息をしていない寝袋の傍らで、何時間も過ごした。おそらく正気を失っていたのだろう。下山することよりも、妻を埋めなければ、という思いに駆られた。ジッパーを完全に閉めて、彼女の遺体が入った寝袋を抱えて避難小屋の外に出た。雪の勢いは収まっていた。おあつらえ向きなことに、外の壁には錆びたスコップが立てかけられていた。

 小屋のすぐ傍らで妻の墓穴を掘った。ある程度の深さがある穴に寝袋を横たえた。スコップで土混じりの雪をすくい、その上に被せた。

 疲労ひろう困憊こんぱいだった。一人になった小屋の中に戻り、食事も喉を通らないまま眠りにいた。

 夜明けのわずかな光で目を覚ました。誰もいないはずの隣には、もう一人分の寝袋が横たわっていた。先日埋めたはずだった。膨らんだ表面が、雪の白い粉にまみれていた。

 その寝袋から目を離せないでいると、後ろで小さな起動音がしているのに気づいた。振り返ると、そこには持参したビデオカメラが床に置かれていた。元々は、登頂記念に撮影するために用意したものだ。丸いレンズが無機的に、驚く私の姿を映していた。

 ここには私一人しかいない。どうしてビデオカメラを回したまま眠ったのだろう。寝袋に背を向けて、ビデオカメラを手にした。昨夜の出来事が記録されているはずだ、という考えに思い至った。穴に埋めたはずの遺体を誰が掘り返したのか。液晶モニターを開いて、時刻を指定して撮影された映像を再生した。

 真夜中、寝袋にくるまった私の寝顔が映っている。暗い屋内で、小さな人影が覗きこんでいる。帽子を被った、少女に思えた。両膝に手を当て、私に語りかける。

「ほら、おじさん。奥さんが寂しがってるよ」

 囁きかける。寝入っていた私は寝袋から這い出た。謎の人影に疑問を抱いた様子もないまま、夢遊病者そのものの足取りで小屋の外へ出ていく。少女がその後ろ姿を見送る。

 小屋の外で、雪を掘る音がくぐもって聞こえる。かかとが余っているのか、少し間の抜けた靴音を響かせて得体の知れない少女がビデオカメラに駆け寄ってきた。持ち上げると、「あはっ」という笑い声とともに口元が大きく映し出された。

「ねえ、見ているんでしょ」

 明らかに現在の私に語りかけていた。

「おじさんは、この小屋に入ってきたときから一人だったよ。ねえ、誰を埋めたの?」

 八重やえ歯が覗いた。ファインダーを見つめる私の背後で、静かにジッパーが開く音がした。

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