第24話 燃え盛る業火の中で



 セレナの魔法で前方の通路の両側の壁が閉じるように幅を狭め、完全な壁のような行き止まりを作ってしまった。

 一方後方では、イドナ、フェルザー、マルコスの三人でもう一人の幻五郎を圧倒していた。


「流れる水よ、時を刻む一瞬の閃光となれ、聖律第2章─凪の声─」

『──流水一閃りゅうすいいっせん

 マルコスの掌から放たれる魔法は鋭く研ぎ澄まされた水の刃。幻五郎にすぐ弾かれてしまう程の強さだったが、隙を作るには十分だった。


「闇に沈みし断罪の刃よ、我が影に宿りて敵を穿て。音を殺し、名を残さず、裁きだけを刻め。聖律第2章─影─」

『──黒刃断影シャドウ・セヴィール

 フェルザーの影が地を這い、背後から伸びた影の刃が更に隙を作る。

 そして、青白く輝くイドナの双剣は、流れる水と影の隙間を縫って舞い踊る。剣の一振り一振りが、水と影の調和に乗せて、幻五郎の防御を崩していく。


 ──息を合わせる三人。そこに迷いは感じない。

 それはまるで、長い年月を共に戦ってきたような連携だった。音も、魔力も、動きすらも噛み合い、確実に後方の幻五郎を追い詰めていく。


 イケる! そう思った時だった……

 カツン、カツン、カツン。

 ──足音。

 それは、通路の奥。後方の幻五郎のさらに向こう側から、確かに聞こえてきた。乾いた足音が反響して規則的に響く。

「若様……」

 セレナの声が震えていた。

「……もしかしたら、ヤバいかも」

 カツン、カツン、カツン。

 足音は迷いなくこちらに向かってくる。音が大きくなるたび、胸の奥がざわついてしまう。そして、足音の正体が姿を現した。


 ──は? なんだよ……それ。

 見えた瞬間、俺は息を呑んだ。

 三人目の幻五郎だった。それにガルシアンの姿もある。マルセラの腕を無理やり掴んでいた男だ。そして、最後の一人は仮面をつけた女。

 顔は見えない。けれど背格好や所作、わずかな呼吸の間合いが女だと告げていた。

 誰だ、あいつは……。

 だが、それよりも問題なのは、またしても幻五郎が現れたという、信じがたい現実だった。

「……あれが、あいつの能力なの」

 背後から、俺の肩にもたれるセレナの声が聞こえてきた。その声はかすれていて魔力も、体力も、限界を越えているのが分かる。

「それって分身ってこと!?」

「うん。簡単に言えば、そう。あいつは人を殺した数だけ、その死体を使って分身を作れるの」

 人を殺せば殺すほど、自分が増える? なんだそれは。狂ってる。いや、もう狂ってるなんて言葉じゃ、足りない。

「だからあんな余裕な喋り方なんだな」

「うん。分身に上限はない。殺せば、殺したぶんだけ増やせる。文字通りの殺し得なの、あいつにとっては」

 セレナの声には怒りもあるが、それ以上に疲弊がにじんでいた。

 それじゃあ、四人目、五人目の幻五郎が現れてもおかしくないって事じゃないか……

 そんなの相手にしてたらキリがない。


「イドナ、今すぐ二人目を殺しておかねぇと」

 マルコスの声が響いた。冷静で、だが焦りが隠せていない。

「了解! 今やるっ!」

 イドナが双剣を握り直したその瞬間。

「そうはさせないよぉ~」

 新たに現れた三人目の幻五郎が、にこやかに口を開いた。

 そして詠唱が始まる。


「終焉にして焔の審判。燃え残る理由など、もうない。煉獄の門は、いま開かれる。世界を覆うは紅蓮の幕。最後に残るのは静寂と焼け跡だけ。案ずるな、そこに苦痛などない。絶望すらも灰に変わる。聖律第4章─煉獄門─」

『──灰炎審判ヴェルティエ


 ──ゴォォォッッッ!!!

 辺りが一瞬で朱に染まった。魔力の密度が違う。さっきまでの比じゃない。通路が、空気が、焼ける前に焦げていた。それほどまでの高熱が、もう目の前に迫っていた。

 俺たちは即座に全員で固まって、ただ炎を耐えていた……。

 いや、違う。皆が俺を中心にして俺を守ろうとしていた。

 誰も何も言わない。だが、明らかだった。炎の渦の中で、一番守られているのは俺だ。

「マルセラ……大丈夫……!?」

 イドナがマルセラの肩を支えながら声をかける。震える声じゃない。むしろ、どこか安心させるような、柔らかな声だった。

「こんなの……全然へっちゃらです」

 マルセラは笑った。震えを隠すように、無理やり口角を上げて。

 そんなわけない。空気すら熱で歪み、呼吸もままならない。肌に火が触れているような感覚。

 俺の着ていたロングコートは焦げて、もはやコートとしての原型を留めていなかった。

 マルコスは必死に俺たち全員に水魔法を浴びせ続けた。だがそれも、灼熱の炎の中ではすぐに蒸発してしまう。焼け死ぬ。その言葉が現実味を帯びて俺の背筋を這い上がってくる。

 しかも、セレナの魔法で通路は行き止まりになってしまっている。そのせいで、炎の逃げ場がない。行き場を失った炎が、俺たちのいる一点へと収束し、地獄の釜のような圧力で押し寄せてくる。

 このままじゃ、全員死ぬ。火傷だけじゃない、一酸化中毒で死んでしまう。

「マ、マ…ルコス……水魔法で……これを濡らしてくれ……」

 俺は、かろうじて残ったコートを差し出した。焦げて穴だらけのその布きれを、マルコスは即座に濡らしてくれた。俺はそれを、マルセラに被せた。

「……マルセラ……さん…これを……」

「……あ、ありがとう…ございます。でも…翼さんも……っ」

 俺は静かに首を横に振った。

「……おい、セレナ。魔法……まだ使えるか……?」

 かすれた声。振り絞るような呼吸の隙間に、マルコスの問いが混ざった。セレナは疲弊しきっていた。髪は焦げ、頬に血が伝っている。それでもセレナはわずかに微笑むように答えた。

「……もう第1章の魔法しか……使えない」

 言葉は、消えそうな吐息のようだった。

「そうか……何人ならいける……?」

「一人が限界……」


 ──ゴォォォッッッ!!!

 視界は完全に真っ赤で幻五郎達の姿すら見えなかった。


「翼を連れて……逃げろ」

 その言葉を俺は確かに聞いた。小さな声だった。けれど、それは耳じゃなく、心臓に届いたような気がした。熱く、そして……刺すように冷たかった。


「マルコス、だめだ」

 思わず、声が上ずった。

「俺は大丈夫だ……だから、セレナ。マルセラさんを……頼む」

 そう言った瞬間、胸の奥が締めつけられるように痛んだ。

 だって、本当は大丈夫なんかじゃない。怖い。痛い。逃げたい。でも、それ以上に皆んなを置いて、自分だけ生き残るなんて、絶対にできなかった。

 戦えないくせに、何もできないくせに、それでも。皆んなが命を懸けて、俺を守ってくれているのに。ここで背中を向けたら、せっかく手に入れた温かさを自ら手放してしまう様な気がしたから。だから俺は、叫ぶように想った。

 皆がここで死ぬなら、俺も一緒に死ぬ。それぐらいしか俺には出来ないから。


 ──ゴォオ……ッ! バチバチッ!

 耳を焼くような爆音と、爆ぜる火花の音。熱が、空気ごと喉を焼いていく。


「翼さんが逃げて下さい」

 業火の中、マルセラが静かに、けれど確かな声でそう言った。優しい口調だったけど彼女の手は震えていた。

「大丈夫よ、翼君。マルセラも私達も大丈夫だから」

 イドナも優しく安心させるような事を言ってくる。

「俺たちなら大丈夫だ。だから今は逃げろ」

 マルコスもそうは言うが俺は納得できなかった。確かにいても役にたたない。だけど自分だけ逃げて良い理由にはならない。

「おい……セレナ……今日が何月何日か……分かるか?」

「寝てたから分からない、教えなさい」

「十一月二十九日だ……意味わかるな…」

「分かってる。ビルカね」

「そうだ。翼を……頼んだぞ……セレナ」

「おい、マルコス。俺は逃げないからな。逃すならマルセラさんを頼む」

 すると後ろからマルセラの腕が俺を包み込んだ。彼女は耳元で涙声を優しく響かせた。

「翼さん……あなたの事が大好きです……」

 そしてマルセラはそのまま耳元で詠唱を始めた。


「月よ、安らぎの羽根を広げて夢の帳を静かに下ろせ。我が声に応じ、眠りの園へ誘え。聖律第1章─月の誘い─」

『──眠りの詩ルナ・セレスタ


 淡い光が俺を包み込み、俺の瞼はすっと閉じてしまった。深く、穏やで、抗うことができない眠りに誘われた。俺の身体は力が抜けてしまい、足元から崩れていくような気がした。


 結局、俺は何もできなかった。誰かの声が遠くで鳴っている。それがマルコスなのか、フェルザーなのか、マルセラなのか、もう誰なのか分からない。足元から崩れていく感覚。地面が沈むんじゃない、俺が沈んでる。何かに呑まれるように、ゆっくりと。

 怖かった。でもそれ以上に、悔しかった。震える手。焼け焦げた匂い。誰かの血。俺のために、みんなが傷ついていく。

 ──どうして、俺だけ何もできないんだよ。

 そんな声すら出せず、やがて世界の音は完全に消えてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る