第22話 隠し通路の戦い



「フェルザー城で何があった?」

 立ち止まったマルコスは低くい声で、フェルザーに問いかけた。

「ガルシアンの部屋に幻五郎と綾川水麗凪あやかわみれなが居たんだ」


 ──水麗凪みれな!?

 その名前に俺の心臓は一瞬、鼓動が強くなった気がした。


「はぁ!? ザリアナになんで、そんな本気なんだよ!?」

「……それだけじゃない」

 フェルザーの声はどこか震えているように聞こえた。

「俺は奴らに幻惑の腕輪げんわくのうでわを嵌められて……情報を全部……しゃべってしまったんだ。若様のことも全部……」

「ちっ、そうか」

 マルコスの返事は短かったが声の奥に微かな苛立ちを感じる。

「若様にも直接謝らせて下さい。申し訳ありませんでした」

「俺は、全然大丈夫だよ」

「フェルザー済んだことはもう、どうにもならねぇ。それで、シラスはどうした?」

「シラスは今魔縁輪まえんりんの所有者だ。幻五郎は魔縁輪まえんりんの回収に向かったから、おそらく幻五郎と交戦中だと思う……」

 場の空気が、一段と張り詰めた。

「俺も城に戻ってシラスに加勢するつもりだ」

「やめとけ」

幻惑の腕輪げんわくのうでわを外せたのはシラスが助けてくれたからだ。今度は俺がシラスを助ける」

 振り返り、城に戻ろうとするフェルザーの腕をマルコスは掴んだ。

「ちげぇだろ! 冷静になれ! お前にはまだ翼の役に立つ事が出来るからシラスは、お前を助けたんだ。俺ら森野派は仲間の誰がどうなっても翼だけは守らなきゃならねぇ」

 マルコスの怒声が狭い通路の中に反響していた。その言葉には森野派としての強い意志を感じる。

 それを聞いていた、イドナやマルセラの表情にも緊張感が滲んでいた。

「……わかった」

 フェルザーが拳を握り直す。彼の眼差しに覚悟が宿った気がした。


 俺は水麗凪みれなの名前を聞いた瞬間、一目で良いから確認したいと思ってしまった。本当に俺の知っている水麗凪みれななのかって。……でも、もう無理だ。そんな事言えない。『会って確かめたい』なんて口にする事は、できるわけがなかった。命を懸けて戦ってくれている仲間たちの前で、俺一人だけが現実を直視していない気がしてしまう。皆んなに対して、それはあまりに失礼だ。俺のいる場所は過去じゃない。ここは、もう異世界なんだ。前の世界の思い出はもう必要ない。マルセラの横顔を見つめながら、そう何度も自分に言い聞かせ、水麗凪みれなへの想いを断ち切った。


「先に進むぞ!」

 マルコスの声が短く響き、俺たちは再び歩き出した。

 足音が狭く湿った通路にコツコツと反響する。その一歩ごとに胸の奥に緊張が積み重なっていくようだった。通路の先は薄暗く空気はひんやりと重い。何かが潜んでいそうな錯覚が背筋をひやりと撫でていった。

 誰も無駄口を叩かない。ただ時折セレナの寝息と、イドナが背負った剣の鞘が揺れる微かな音だけが、この場に命の気配を残していた。


 どれくらい歩いただろう。時間の感覚が曖昧になる中で、ふとマルコスに問いかけた。

「マルコス……俺たち、どこに向かってるんだ?」

 先頭を歩くマルコスは振り返らず、低い声で答えた。

「森だ。この通路は、外の森まで繋がってる」

 それが逃げ道であると同時に、次の戦いの舞台であることを誰もが悟っていた。安息なんて待っていないことを前提に、みんな足を進めているようだった。

 その沈黙が妙に現実的で俺は喉の奥が乾いていくのを感じた。


 ──サッ。

 通路の先、ほんの一瞬だけ空気が揺れたような気がした。薄暗くはっきりとは見えない。けれど確かに俺たち以外の何かが動いた音がした。

 全員の足が同時に止まる。


「──へぇ。この通路、森に繋がってるんだね」


 その声は通路の奥からふわりと響いてきた。軽く楽しげで背筋に嫌な寒気が走るほど、どこか狂気じみていた。

 ──誰だ!?

 この状況で敵じゃないなんてこと、あるはずがない。

「ちっ、幻五郎か」

 マルコスが舌打ち混じりに名を呼ぶと通路の先に現れた人影が薄闇の中からゆっくりと姿を現した。不敵な笑みを浮かべながら、まるで昔の友人にでも会ったような口ぶりで言葉を返す。

「やだなぁ、マルコス。久しぶりなのに、そんな言い方ないんじゃない?」

 その瞬間、フェルザーが無言で剣を抜いた。それを見たイドナも、即座に剣を抜き構えを取る。

「あれ? フェルザー君まで? 何でここにいるの? まさか、逃げてきちゃったの?」

「おい、幻五郎! シラスはどうした!」

 マルコスの声には明確な怒気どきが滲んでいた。だが返ってきたのは、信じがたい一言だった。

「別の僕がね、さっき殺しちゃったよぉ」

 空気が凍りつく。

 マルコスの目に、はっきりと殺気が宿った。だが、その時だった。


 ──カツン、カツン。

 通路の後方、何者かの足音。俺たちの背中側から誰かが近づいてくる。

 ……また敵か!?

 全員が振り向いたその先で薄暗い通路から姿をあらわしたのは幻五郎の姿をしている男だった。

「マルコス。そんな殺気を向けたって……僕に勝てるわけないでしょ?」

 ……え? もしかして双子なのか!?

 声も顔も体格も何もかもが同じ。

 頭が混乱する。意味が分からない。でも一つだけ確かなのは完全に幻五郎という奴に囲まれている。

 俺も手を震わせながら雛時雨ひなしぐれを抜いた。

「翼、セレナを起こせ」

 マルコスは静かにそっと呟いた。

「イドナは後ろの幻五郎を。フェルザーは翼を守れ」

「了解!」

「若様、こちらへ。俺の後ろに」

 フェルザーが即座に前へと出て、俺とマルセラをかばうように立つ。剣を抜いたイドナは背後に現れたもう一人の幻五郎へと鋭い視線を向けた。


 ──どうして二人!? 何かの魔法か? どっちも本物にしか見えない。

 狭い通路の中には、ただならぬ緊張感が漂っていた。その静寂を破ったのは、マルコスの詠唱だった。

「流れる水よ、時を刻む一瞬の閃光となれ、聖律第2章─凪の声─」

『──流水一閃りゅうすいいっせん

 マルコスの右手から水の刃が出て来て、素早く幻五郎に放った。

 ──だが。

「ははっ。残念」

 幻五郎は、それを片手で受け止めた。いや、受け止めたというより払いのけた。水の斬撃は霧のように散ってしまった。

「弱い、弱いよ、マルコス。君じゃ、僕に傷ひとつつけられないってば」

 後方の幻五郎を任されたイドナは、静かに呟いていた。


『──聖歌せいか記憶葬歌アムネリス【序奏・リリスの願い】

「沈黙の子よ、我が名に応えよ。記されぬ罪を、この掌に刻め。時を止めるは、幼きリリスの願い。我が声は、リリスの願いを囁き、光と闇を揺らがせる。そして闇の狭間に響きを与えん」


 その瞬間、イドナの全身が淡い光をまとう。輪郭が滲み、まるで現実から乖離しているかのような気配が漂っていた。

「おぉー。イドナさんのその聖歌せいか、久しぶりだなぁ!」

「あら、ごめんね! アンタの事なんて覚えてないや」

 イドナは剣を両手で構え重心を極限まで低く落とした。その姿勢は獣が獲物を狙っているような構えに見えた。

 なんだ……あの構えは……!?

 そして風すら裂くような音とともに、幻五郎へと飛びかかった。一瞬で幻五郎までの距離は消えた。まるで浮遊しているかのような足さばき。俺には、もはや目で追うことすらできなかった。

 は、早い……イドナ先輩……強くないか!?

「イドナ先輩、やっぱり凄い……」

 マルセラは小さな声で呟き、目を見開いて驚いている表情をしている。

 イドナの剣は、鋭く、連続し、まるで舞のように後方の幻五郎を斬り裂こうとしていた。

 ──だが。

 幻五郎は、それらすべてを小さなナイフ一本で受け流していた。まるで遊ぶように、紙一重の間合いで全ての斬撃をいなしている。

 ──やっぱり、あいつも強いのか……。

「おい、セレナ! 起きてくれ!」

 背中に負ぶったまま声をかけるが返事はない。ぬくぬくと寝息を立て、どう見ても熟睡していた。

「セレナ様、失礼します」

 隣にいたフェルザーが、急にそう言い出して

 ──パチンッ!

「えっ、フェルザー!? マジか!?」

 軽くとはいえ、頬を叩いた。

「痛ぁっ!? 何すんのよ、殺すよ?」

 ──起きた。

 セレナは、やっぱりというか、当然ながら超絶不機嫌だった。

「ん? てか何で私、こんなとこにいんの? てかフェルザー? イドナもいるじゃん。はぁ? 状況説明して」

「セレナ様、緊急事態です。ランベール家がザリアナを奪いに来ています」

「うっわ、幻五郎もいるし。ふーん、なるほどね」

 寝起きとは思えないほどの即時理解と冷静な分析。さすがセレナだな。

「セレナ、起きたな。前方の幻五郎はお前に頼む」

 マルコスの声に、セレナがひとつ大きく伸びをしてから、こちらを振り返る。

「はいはい、分かってるよ。若様、そろそろ降ろして?」

「……あ、ああ」

 俺は慌てて背中からセレナを下ろす。その瞬間、セレナは小さく笑った。

「若様、おんぶありがとね♪ ぬくぬくで気持ちよかったよ♪」


「セレナ様、お久しぶりですねぇー」

 前方の幻五郎は片手を振りながら、軽薄な笑みを浮かべている。

「アンタ大っ嫌い! すぐ殺してあげる」

 セレナの声は静かだったが、そこにあったのは確かな殺意だった。すでに、目が笑っていない。完全に戦う顔になっている。

「ふふっ。今の季節のセレナ様に、それができますかねぇ?」

 幻五郎の挑発に、セレナの眉がピクリと動く。次の瞬間、セレナは片手を高く掲げ、詠唱を始めた。


「大地よ、深き眠りより目覚めよ。静けき根は牙となり、脈打つ森の怒りを纏え。幾千の蛇よ、土を裂き、這い寄る闇を喰らい尽くせ。その身を緑の牢獄に沈めん。聖律第3章─土に還る─」

『──千蛇根せんじゃこん


 ──ズズンッ!

 地の奥から響くような低音とともに、通路の両側の壁が砕けた。そこから現れたのは、まるで無数の蛇がうごめくように動く木の根。意志を持ったかのようにうねりながら、幻五郎に襲いかかっていく。

「おおぉ……これは、なかなかだねぇ!」

 幻五郎は笑いながら、根をまるで踊るようにかわしていく。その身のこなしは滑らかで、異様なまでに軽い。

「やるじゃん、幻五郎。じゃあ、これは避けれる?」

 そう言ったセレナは、くるりと指を回す。

 次の瞬間、足元からも無数の根が突き上がった。

「下は見てなかったでしょ?」

 セレナの口元に、冷たい笑みが浮かんだ。

「さすがに魔法無しはキツイね」

 笑いながらそう言う幻五郎は、ひらりと根をかわしながら、詠唱を始めた。


「焦がせ、焼き尽くせ、喰らい尽くせ。この世界の輪郭を灰に帰すは、僕の炎。炎帝の嘆き、断罪の調べ、くらき魂の火葬曲。聖律第3章─灰歌─」

『──灼断葬アグナ・レクイエム


 ──ゴォォォォ!!!

 幻五郎の両腕が、真紅の炎をまとっている。まるで腕そのものが業火の剣になったみたいだった。薄暗かった通路はまるで昼間のように明るくなった。熱い。距離があるのに、肌が焦げるような熱が襲ってくる。

 反射的に俺はセレナの腕を掴んだ。セレナをマルセラの腕に押し込むように託し、俺は二人に覆い被さった。

「さぁ、耐えられるかな?」

「イドナちゃん! こっちに来い」

 フェルザーがイドナを呼び、俺たちは瞬時に一箇所に固まった。

 次の瞬間、地鳴りのような轟音と共に、狭い通路全体が真紅の光に包まれ、炎が生き物のようにうねりながら俺たちに迫って来る。まるで通路そのものが焼却炉に変わったような錯覚すら覚えた。

『──流水壁りゅうすいへき

 マルコスの叫びと同時に、水の魔法が咄嗟に展開された。

 だが灼熱の奔流が、通路を押し流すように襲いかかってきて水の障壁は蒸気を噴き上げながら、一瞬で蒸発してしまった。

「ぐっ……あああっ!」

「すまねぇ、詠唱してないから、脆いんだ」

 詠唱していない魔法はどうやら弱いらしい。俺の背中には焼けつくような痛みが残っていて、ところどころ服が焦げて煙を上げている。

「……マルセラさん、大丈夫ですか?」

「翼さんこそ、背中が……」

 彼女の瞳に涙が滲んでいた。

 前方の幻五郎の放った炎は、不思議な軌道を描いて後方の幻五郎を避けるように流れていた。

「マルコス……通路、壊しちゃうけど暴れて良い?」

 セレナが、少し焦げた髪を軽く払うようにしながら言った。その声は低く、明確な怒りを孕んでいた。

「私もそろそろ本気だすわね」

 イドナは背筋を伸ばし、後方の幻五郎に剣先をまっすぐ向ける。そして静かに詠唱を紡ぎ始めた。


記憶葬歌アムネリス【提示・祈りの輪廻】』

「巡りゆく輪廻よ、どうか繋がれ。涙の種子よ、祝福に芽吹け。リリスの祈りで私は花になる。祈りは響き、花は可憐に舞い踊る」

  

 イドナがまとっていた淡い光は青白く変化して、手にしていた一本の剣も音もなく形を変えた。


 ──二本の光の双剣。

 先ほど同じように重心を低くして後方の幻五郎に突っ込んだ。さっきとはイドナの動きが明らかに変わった。双剣を流れるような動きで斬撃を繰り出していた。その動きは可憐で舞っているようにさえ見えた。ただただ美しく鋭い。刃は連なる祈りのようにひらめき、薄暗い通路を幾度も照らしていた。

「若様、俺もイドナに加勢します」

 フェルザーがイドナの側に駆け寄る。彼の動きは重厚で隙がなく、イドナの舞と対照的だったが、戦場が一気に引き締まった。

「……さすが……イドナさんは強いですね」

 後方の幻五郎の声は、さっきより余裕が無くなっているように聞こえた。イドナは幻五郎に詠唱する隙を与えなかった。幻五郎はイドナとフェルザーの攻撃をナイフで凌ぎながら詠唱を省いた魔法を繰り出した。無数の炎の槍。けれど、それらはイドナの双剣に触れた瞬間、音もなく断ち切られていく。

「後ろの幻五郎は、もう少しだな……セレナ、俺も後ろに加勢する。前の幻五郎は頼んだぞ」

 マルコスはそう言い残し、イドナとフェルザーのもとへ走っていく。三人の波状攻撃により、後方の幻五郎はついに防戦一方へと追い詰められていた。


 一方で。

「幻五郎、私、本気でいくから!」

 セレナが前方の幻五郎に向かって行った。

「えー、こわいよぉ」

 前方の幻五郎は、肩をすくめながらも軽やかに笑っていた。焦りはなく、むしろ楽しんでいるかのような余裕すら滲んでいる。

 皮肉な笑みを浮かべたまま、幻五郎はセレナの魔力の高まりをじっと見つめていた。

 戦場は、次の瞬間に大きく動き出す気配を漂わせていた。

 

 俺の手足は震えている。

 剣を抜き、マルセラの前に立つ。それだけしかできなかった。


冥歌めいか冥来めいらい

 誰にも届かないような小さな声で呟く。黒いオーラが、かすかに雛時雨ひなしぐれを覆った。日々の訓練の成果だ。ほんの一瞬だけでも、雛時雨ひなしぐれを戦う形にできたことは、前よりは確かに進んでいる。

 ──でも、これじゃ意味がない。こんな力じゃ、戦えない……

 皆の戦場に、ただ立ってるだけの自分。剣を抜き、守るフリをして。みんなと同じ場所にいるように見えるだけで、本当はまるで違う。マルセラを守るように見せて剣を振ることすらできない。マルコスも、イドナも、セレナも、フェルザーも、命をかけて戦ってるのに。


 俺も……戦わないと……頭では分かっていても震えている手は、それを許してくれなかった。

 情けない……俺は……力も弱ければ……気持ちすら弱い。

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