010 地図

「僕は何をしたら良いですか?」


 ジンイーさんと行くと決めた以上、これ以上悩んで無駄な時間を消費するわけにはいかなかった。猶予はあまりない。午前一時。ジンイーさんと最後の打ち合わせをする。


「私が先導する。君は着いてきて」

「はい」

「ナイフは晴一郎くんが持っていてね。錆がすごいけど、刃自体はダメになってなさそうだし、ククリは護身用としても使えるかもしれないから」


(ククリ?)


「逃走経路は、せっかくだからこの地図を参考にしよう。ただ、この風化具合、流石に何年も前の地図だろうから、夜回りの巡回経路は当てにならないよね」

「そうですね」

「それを踏まえて慎重に行こうね。とはいえ、私が事前に仕入れた情報を合わせても、これはかなり緻密な地図だと思う。建物の構造はそうは変わってないだろうから、ある程度信用して良いんじゃないかな」


 見て、と促されて、彼女の手元を覗き込む。


「ここから外までの経路が何かで塗られてるの」


(本当だ)


 暗いからよくわからないが、何かで印がつけられていた。その印は、この部屋を出てから聖堂を抜け、丘を下り正門までご丁寧に伸びている。極力死角を縫うような筋だ。


「危険が少なくてとても効率が良い道順だね。これを描いた人はすっごく頭が良かったのかも」


 地図を見る。紙面に踊る力強いインクの線。定規なんてなかっただろう。フリーハンド特有の僅かなガタつきがところどころに見受けられた。顔を近づけると古い本のようなどこか落ち着く匂いがする。


「?」


 ふと、地図を持つジンイーさんの右手の下に、何か文字が走り書かれているのに気がついた。そこに何か、と指を指すと、ジンイーさんがランタンを寄せてくれる。橙色の明かりに照らされた右隅には、作者と思われる者からのメッセージがあった。



 --予言の果て、幾星霜の未来でまた会えることを願って PULUM--



「PULUM……? プラム? 何かのコードネームかな?」


(ああ)


 震えてしまった。だってその右上がりの文字には見覚えがあったからだ。書斎の床に散らばっていた沢山の論文。昔の僕の遊び場だったそこで、僕はこの字をしょっちゅう見る機会があった。


(そうか)


 走り書きの時にだけ出る癖だった。元々字がとても汚くて、大好きな人に恥ずかしいと言われて直したと言っていた。普段はお手本みたいに綺麗なのに、研究が行き詰まってイライラすると、それが決まって文字に出る人だった。床に座って狂ったように数式を書く背中を眺めながら、僕はあの家で幼少期を過ごしたのだ。


(父さん)


「晴一郎くん?」


 僕は今どんな顔をしているのだろう。この湧き上がる気持ちは何なのか、言語化する術を僕は持っていなかった。ある日突然行方不明になってから、ずっとずっと探していた父の痕跡。この世界に来てから朧げに感じていた父の幻影が、今、急速に現実となって僕の前に現れていた。


「……大丈夫?」


 僕は震えているのかもしれなかった。いつの間にか口を覆っていた手を下ろして、小さく頷く。父が蒸発したのは、最愛の人を死なせた僕を疎んだからじゃなくて、単純に、世界転移でこちら側に来てしまったからなのだとしたら。


「ジンイーさん」


 あのメッセージが、僕に宛てられたものだったら良い。強くそう思った。


「僕、この世界でやりたいことを見つけました。だから、絶対、二人で生き残りましょうね」

「え、え?」


 胸の前でガッツポーズを作ってみせる。困惑した様子だったジンイーさんは、それでも、僕の顔と手元の地図を見比べて、


「元よりそのつもりだよ」


 と、不敵に笑った。

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