003 TENROU-花園

「は?」


 アンテイア・ペポパンキンは激怒していた。そりゃあもう、今世紀類を見ないくらいの怒りっぷりだった。こんなに腑が煮えくりかえるのは、この天界に来て初めてのことだ。何千年も前に勝手に花の女神にさせられた時も、かつての代理戦争で自分の信徒が惨い殺され方をした時も、この先二度と自分はここから出られないと悟った時も、絶望こそすれ、こんな激情に身を支配されたことはなかった。


(ふざけるな! ふざけるな!)


 血が沸騰して目の前が真っ赤になる。全身の毛が逆立って、言葉にならない怒りが喉元まで膨れ上がっていた。


「私をどこまで馬鹿にしたら気が済むんだッ‼︎」

「ボクに言わないでよ……」



   ◇ ◇ ◇



 アンテイアの自室から続く、アンテイアが造った美しい花園。そこは墨色の高い塀に囲われていて、中央に白いガゼボがデンと構えている広い箱庭である。ガゼボの中には洒落た丸テーブルと椅子が二脚あり、アンテイアと友人のムーサはここで、細やかな午後のティーパーティを開いているところだった。


「クソ、この私が! 手を貸せと! アイツに頼むわけないだろうがッ」


 そんな名勝に、ドスの効いた怒号が反響する。ブルブル震える空気。アンテイアの震怒に耐え切れず、全ての花が一斉に朽ちて塵となった。庭園の花々は全てアンテイアの権能で管理されているので、感情の昂ぶりに呼応して原型を留められなくなったらしい。普段の楽園のような光景から一転、一瞬にして荒野のような有り様である。


「あーあ」


 視界いっぱいの花冠が見る間に萎び枯れていくのを眺めながら、ガゼボの中で音楽の女神であるムーサ・ダレンは残念そうにティーカップに口をつけた。凝ったティーセットに美味しいスイーツ。最高級の茶葉。それに天界随一の景観とくれば一流のティータイムが楽しめるはずだったのに、この状況は一体……。まったく、せっかくのお茶会が台無しである。

 ムーサは芸能の神らしく、エレガントで煌びやかなものが好きだった。空気の澄んだ美しい庭園でお友達と優雅にティーパーティが出来ると聞いて、一週間も前から今日のこの日を楽しみにしていたのに、


(黙っとけば良かったかぁ……)


 己の不用意な発言に後悔しかない。


「落ち着いてよ、アンテイア」


 そんなムーサの声は一切耳に入っていないようで、アンテイアは未だカッカしている。テーブルに両手を何度も叩きつけて、「クソッ! クソッ!」と叫んでいた。とても女神とは思えぬ粗野な立ち振る舞い。ムーサは衝撃でひっくり返りそうになっているアンテイアのカップをそっと回収した。


(ん? って、え? 何これ。すごいクサッ!)


 いつからか、ガゼボの中は強烈な花の芳香で充満していた。ムーサが顔を上げると、更地になったはずの庭に菫色の大輪が群生している。


「クソッ‼︎」


 アンテイアが一際盛大に台パンした。そんな彼女の頭皮の花もいつもと違う気がする。

 アンテイアの右米神には常に花が生えている。彼女の感情に呼応して咲く種類が変わるその花は、普段の朱色の質素な花びらから打って変わって、今は濃紫の派手な花弁になっていた。急に生え出した庭の花と同じ種。

 これはあれだ。芍薬だ、紫の芍薬。花言葉は、憤怒。


「余計な! 手出しを! 私の許可なく! するなッ‼︎」

「わかった、わかったから」


 ムーサは、自分の両手をアンテイアのそれに重ねて必死に宥めすかした。


「あのさ、アンテイア。言いたかないけど、あの子はそういうのわかんないでしょ。この天界で生まれた正真正銘の神様なんだし。偽物のボク達とは何もかもが違うんだから、アンテイアのそういう細かい感情の機微を察しろっていうのは無理でしょ」

「そんなことはわかってる‼︎」

「わかってないから言ってんじゃん……」


 そもそもアンテイアがこんなにキレ散らかしているのは、ムーサが茶会のつまみに話したある噂話のせいである。

 曰く、運命の女神であり、規律規則が服を着て歩いているような生真面目ちゃんことフォルトゥーナその人が、一人の人間に肩入れをして、魂の丘に関する全ての権限を譲渡したと。しかもその人間というのが、かつてフォルトゥーナの親友であったアンテイアの信徒とくれば、代理戦争に参加する他の神々からの、無用なやっかみを受けかねない。


「あーあ」


 ムーサは本日二度目のため息をついた。


(今回は荒れるなぁ……)


 そもそも今回の代理戦争は、例外中の例外、異例の開催なのである。本来、一度代理戦争で決着がついた後、向こう数十年は次の間隔が開くのが通例である。翌年に再度やり直しが行われるなど、少なくともここ数千年、ムーサは聞いたことがなかった。

 そんな状況だけでも特殊なのに、ましてや天界でのアンテイアというのは、ムーサと並ぶ最弱の一神という立ち位置なのである。億が一にも勝てる見込みのないアンテイアの信徒が、フォルトゥーナの手心のお陰で生き残りでもしたら……彼女と通じていたとして、アンテイアも制裁は免れない。


「フォルトゥーナ、今審問にかけられてるって」

「そんなの当たり前だ! 勝手にお節介を焼くからこうなる。こんな不正、とても許されない」


 本来中立でなければならない見届け人の立場で特定の神に味方したとして、フォルトゥーナは今、天界審問にかけられている。これで有罪の判決が出れば、フォルトゥーナは、権能の更迭どころか、最悪の場合、神の座を剥奪され、その存在を消滅させられてしまう。


「……大丈夫かな?」

「たとえ消滅刑が実行されたとして、あいつは『運命がそう定めたのなら』とか言って笑って消えるだろ」


 そういう奴だ。ようやく少し落ち着いたらしいアンテイアが目元を揉みしだきながら言う。そうだね、とムーサも同意した。微笑みながら特に抵抗もなく処刑台に立つフォルトゥーナ。……容易に想像できる。


「ところで、アンテイア。落ち着いたなら庭戻してくれない? 一面の芍薬は新鮮だけど、流石に意味が物騒すぎる」

「ああ」


 アンテイアが片手を無造作に振った。その撫でるような手の動きに合わせて、庭園中の芍薬が一斉に朽ち落ち、新たに彩色豊かな花々が次々と生えてくる。ムーサが二度ほど瞬きするうちに、そこはすっかり元の華やかな花園に戻っていた。


「もー。アンテイアが暴れるから紅茶蒸らしすぎちゃったじゃん。せっかくデメテルさんから貰った地球の良い茶葉だったのに」

「別に暴れてない」

「それは無理あるでしょ」


 アンテイアがわざとらしいため息と共に無造作に生え際を掻き上げる。米神付近の一輪も、いつもの花(--木瓜だ)に生え変わっていた。

 ムーサはティーポットから二人分のハーブティーを注ぎながら言った。


「それにしても、その人間の何があの真面目ちゃんの琴線に触れたのかね。アンテイアが選んだ信徒ってどんな子なの?」

「知らないが」

「えっ⁉︎」

「別に私が選んだわけじゃない。ただ名前を貸しただけだ。……いや、それは語弊があるか。前回の代理戦争のペナルティ清算で強制転移させられた人間を誰も引き取りたがらなかったらしく、ウラニアが困っていたから、私の名を使っても良いと許可を出した。選択はウラニアに一任してある」


 ムーサは、あんぐりと口を開けた。自分の信徒を知らない? それは仮にも代理戦争に参加する神として、あまりに無責任すぎやしないか。


「そもそも、ペナルティ清算の信徒を選んだのはお前も同じだろう?」

「そりゃそうだけど! でもどんな子かくらいはちゃんと見るよ! ボク達のために命を賭けて戦ってくれてんだから」

「ただの駒だろ」

「アンテイア‼︎」

「……人間なんて、使い捨てのただの駒だ。そうだろ? 地球に吐いて捨てるほどいる。信徒の一人や二人死んだからといって、今更どうということもない」

「昔は……そんなんじゃなかったじゃん。アンテイアだって、一人ひとり、すごくすごく大切にしてた」


 ムーサの沈んだ声を無視して、アンテイアは差し出されたカップに口をつける。彼女の言った通り蒸らしすぎたのか、鼻を突き抜ける薫りの後に、強い渋みが舌を刺激した。


「昔のアンテイアは、巻き込んでごめん、って毎晩泣いて詫びて、もしこの戦争で勝てたら自由になれるかもって、いつも希望を持ってた。私達二人で、亡くなった信徒達の弔いもした。その子達が転生した先で今度こそ幸せになれるようにって円環の泉に祈りにも行ったのに。それなのに、なんでそんな言い方するの……?」


 アンテイアは、カチャンと音を立ててカップを受け皿に置くと、頬杖をついてそっぽを向いた。問いには答えず、アンテイアはただ「やめておけ」とだけ口にする。


「人間は脆い生き物だ。私達みたいな弱い神の加護があったところで、どうせすぐに死ぬだろう。そもそも、いつも初日の間引きすら生き残れないんだから、信徒が誰でどんな奴かだなんて知るだけ無駄だ」

「ユン・ジンイー」

「は?」

「ボクの信徒だよ。ユン・ジンイーちゃん。三十二歳。中華人民共和国東部江蘇省出身。ルポライターとして、主に世界の貧困地域の子ども達の取材をしてた。……前回の代理戦争の参加者だったルー・ジンイーの姉で、ペナルティ清算で転移した人間の一人」

「…………」

「人当たりが良く、温和な性格。でも自分の意思がちゃんとあって、強い信念を持って仕事をしてた。ルポライターだっただけに胆力と行動力がある。いざという時の勘もいい。だけど」


 ムーサは目を閉じた。


「残念ながら、特別な才能は何一つない」

「……ルー・ジンイーも、前の戦争でお前の信徒だったよな」

「うん。やっぱり初日の間引きは生き残れなかったけどね。二人は家族だから、どっちもボクが面倒を見ようって最初から決めてた」


 ムーサはアンテイアを見た。アンテイアも、ちゃんとムーサを見ていた。


「アンテイアはここ数百年、代理戦争には参加してなかったけどさ」

「ああ」

「参加するなら、やっぱりちゃんと、信徒の子達と一緒に戦おうよ。私達はゴミみたいな加護しか授けられないし、私達が選ばなければあの子達は辛い思いも怖い思いもしなくて済んだのかもしれないけど」

「……ああ」

「関わる以上は、最後まで側で見守ろうよ。それが私達神側の義務なんじゃないかなって最近思うんだ」


 アンテイアは神になって一番最初の、初めての信徒のことを思い出した。鄙びて背中の曲がった、優しい声のしわくちゃな老婆。当然、特別な力も強い戦闘能力もなかったけれど、死地に信徒を送ることを受け入れられず、でも自由になるチャンスも諦め切れなかった当時のアンテイアにとっては、「あたしゃ追い先短いからね。気にしなさんな」と笑って言ってくれた唯一の人だった。


「……オーケー、ムーサ。今回だけだ」

「え」

「ウラニアのところに行くぞ。アイツなら私の信徒を知ってる」

「アンテイアってば! 最っ高‼︎」

「どうせ初日で死ぬだろうけどな」

「一言余計なんだよなぁ、もー」


 けれどこの後すぐに、アンテイアは自分の選択を後悔することになる。訪れた地球観測所。そこにいた予知の女神・ウラニアは、硬い表情でこう言った。


「……アンテイアさんの信徒、名前は梅原晴一郎といいます。前回の代理戦争に参加した信徒の男の一人息子です」

「男?」

「知らないとは言わせませんよ。あれは天界史に残る大事件だった」

「おい」


 ムーサが目を見開く。アンテイアは湧き上がる怖気から、思わず口を手で覆った。


「おい。ちょっと待て。それは……」

「その男は、代理戦争のシステムに最初から異議を唱えていました。殺し合おうとする信徒達を説き伏せて、潜在魔法スフィアで扇動し、誰一人死なさず話し合いにて勝者を決めようとした。そして、天界審問からペナルティ制裁を受けた前代未聞の人間」

「…………」

「その後、制裁の内容を知って心を病み、狂ったように他の信徒達を惨殺して自分も死んだ。--そうです。今回の異例の代理戦争を開催させるに至った元凶……あの梅原憂太の息子が、今回の貴女の信徒ですよ」



   ◇ ◇ ◇



【天規目録・第四百四十四条-終戦条件】

 一、代理戦争の終戦宣告は、天界審問協議会所属の神のみが行えるものとし、終戦の判断は協議会の半数以上の可決を以て決定されるものとする。

 二、一度の代理戦争の勝利者は一神とする。天規目録・第四百四十二条-信徒の選定に違反せず、且つ、天規目録・第四百四十三条-戦争の実施に定められた方法で生存した信徒を勝利者とし、その勝利者の全ての権限は信徒を庇護する一神へと帰属されるものとする。

 三、神あるいは信徒が何らかの方法で定められた規定に違反して勝利者を決定し、その権利を不当にせしめようとした場合、天界審問協議会は通達のうちに直ちにそれを阻止するものとする。この場合、通達は仮終戦の宣告となり、代理戦争の勝敗は翌年に持ち越される。

 四、持ち越された代理戦争に参加する場合、その参加者は天規目録・第四百四十一条-戦争の参加に準じるものとする。但し、信徒の選定に関しては、天界審問協議会が所有する天聖法典・第七十七節が優先され、信徒の数が神の数に満たなかった場合のみ天規目録・第四百四十二条-信徒の選定に則って補充することが出来る。


【天聖法典・第七十七節】

 不当ニ権利ヲ得ヨウトシタ者ハ、自ラ其ノ罪ヲ澄明スルコトガ出来ナケレバ、其ノ者ノ縁者ヲ以テ罪ノ咎ヲ清算スベシ。縁者、血ノ濃イ者ホド継グ咎メガ重ク、血ガ薄ケレバ咎メハ軽イ。其ノ者ニ縁者ガ居ナケレバ、魂ノ破壊ヲ以テ償イトシ、縁者ガ清算出来ナイ場合モ同様ニスベシ。(抜粋)

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