代打、アタシ

チョイス

第1話 遺言、アタシ。

 人工呼吸器の音だけが、静かに病室に響いていた。

 白く塗られた壁。無機質な医療機器。季節外れの冷気。

 その中心で、日本プロ野球界の英雄――高嶋一雄(78)は、静かに息を引き取った。


 孫娘の高嶋一花(いちか)は、ベッド脇で肩を落としていた。


「……結局、最後まで“野球”のことしか言わなかったな」


 彼女はため息をつきながら、祖父の手をそっと撫でた。

 温もりがまだ少しだけ、そこに残っている気がした。



 数日後――。国立競技場にて、球界関係者とファンを集めた合同葬が執り行われた。

 元プロ選手、監督、政財界の重鎮、有名タレントまでが参列し、まるで国家行事のような厳粛さだった。


「すごいね、おじいちゃん……」


 一花は喪服の裾をつまみながら、改めて祖父の偉大さを実感していた。

 そして、思っていた。


(これでやっと普通の大学生活に戻れる……)


 ずっと“高嶋の孫”として見られ、自由がなかった日々。

 ようやく一区切りがついた。そう、思っていた――このときまでは。



 葬儀の翌日、都内の会議室にて。

 一族と球団関係者、弁護士が集められた。そこで“遺言”が再生されることになる。


 弁護士がノートPCを操作し、録画された映像がスクリーンに映し出される。


《……ワシが死んだら、ザビエルズの監督は――高嶋一花に任せる。選手として登録して、プレイングマネージャーじゃ。》


 一瞬、時間が止まった。


「……は?」


 一花が固まる。

 球団GMが立ち上がる。


「冗談、ですよね?」


「正式な映像記録です。本人の直筆署名と証人も揃っております。法的拘束力がございます」


 弁護士が淡々と述べる。


「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!?!?!?」


 一花は文字通り叫び声を上げた。


「アタシ、野球やったことないんですけど!? というかグローブすら触ったことないんですけど!?!?」


 だが、球団幹部たちは次第に沈黙していく。

 誰も、“高嶋一雄の遺言”には逆らえなかった。



 その日の夜。自宅のソファで一花は体育座りをしていた。

 スマホには通知が鳴り止まない。「高嶋一花、監督就任」「謎の美女がプレイングマネージャーに」など、ネットは祭り状態。


「無理だって……アタシ、まともに運動したの中学のマラソン大会までだし……」


 母はため息をつきながら言った。


「おじいちゃん、アンタにはよく怒鳴られてたけど、それが嬉しかったんだと思うよ。あの人、自分に楯突ける人間ほとんどいなかったから」


 ――あの日、病床で祖父が言った言葉が蘇る。


《誰も信じられなくなっても、お前だけは本音で怒ってくれたな。お前なら、野球を守れる》


 一花は唇を噛んだ。


「そんなの知らないよ……」



 翌日、記者会見場。

 詰めかけた報道陣の前に、一花が立たされる。逃げ場は、なかった。


 フラッシュが焚かれ、無数の視線が突き刺さる。

 マイクの前に立ち、震える声で口を開いた。


「……はじめまして。おじいちゃんの代打、一花です。よろしくお願いします」


 その場が、凍った。


 


――つづく。

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