第六話 信頼と呼応
いつもの日課を終えて、シャワーを浴びた後、僕はアドバイザー部の部室で一人PCに向かっていた。
ちなみに、部活動を重視するこの学園は、体のメンテンスのための設備がかなり充実している。
シャワーはもちろん、フィットネス設備やサウナ、ジャグジーまで完備されており、生徒は部活の内容に関わらず、基本的には自由に使えるようになっている。
この点に関しては、公平性と自主性の観点で、成果ポイントの「費用」としては計上しないでいいこともあり、僕も最大限活用させてもらっていた。
文芸部とSNS研究部の株式交換による統合は決まったものの、株式交換の具体的な手続き、それに伴う両部の収支影響のシミュレーション、コラボ企画の優先順位付けやそのタイムラインの作成等々、考えないといけないことは、山ほどあった。
時折、唸りながら、粛々と作業を進めていると、部室のドアがノックされた。
(……いよいよ来た、かな)
少し緊張が高まるが、あまりそれが表に出ないような声で「どうぞ」と答える。
扉が開く――。予想通り、そこには朝比奈が立っていた。
無言で入室した朝比奈は、そのまま無言でコの字方に配置された部室の机の中で、ちょうど僕と対角線にあたるような場所にスッと座る。
心なしか目の下がくすんでいるようだ。寝不足なんだろうか。
彼女は、鞄を机の上に置くと、手慰みのように、そこについているキーホルダーをくるくる回し始めた。
少し、時間がかかるみたいだ、そう思った僕は、あえて何も話さずに、作業に戻る。
部室の中に、キーボードを叩くカタカタとした音だけが響く。
ただ、なんとなく彼女の視線だけを感じていた。
……ふと気配を感じて顔を上げると、いつの間にか朝比奈が、傍に立っていた。
彼女の手には、いつの間に鞄から出したのだろう、何か一枚の紙。
けれど、それをすぐには差し出さない。
数秒ほどの沈黙が、やけに長く感じられた。
「……どうした?」
沈黙に耐えかねた僕は、なるべく自然に聞こえるような声色で、朝比奈に声をかける。
朝比奈が僕に話したいであろうことの内容は、大体察しはついていた。
「一回だけ」そんな約束で始まった、僕らの関係において、文芸部の案件に目処がついたこのタイミングは、一つの節目だった。
そう考えると、ここで話されるであろうことは、二通りのパターンしかない。
これでおしまいというお別れの言葉か、このまま続けたいという決意の言葉か。
……もちろん、僕としては後者を切望している。
前みたいに、無邪気に勧誘したい気持ちだって、もちろんある。
でも、多分、ここから先は朝比奈自身の中で判断して、答えを出してもらわないといけないことだと思っていた。
だから僕は、出来るだけ朝比奈が自分の言葉で話すまで、余計なことは言わないように努めていた。
僕の問いかけには答えず、朝比奈が黙って一枚の紙を差し出した。
――そこには、「真っ赤」に塗りつぶされた絵が描かれていた。
一見、子供落書きのようにも見える。だが、それは、赤一色ではなかった。
緋、朱、茜、橙——光を内包するように幾層もの「赤」が絡み合い、まるで心臓の鼓動のように脈打って見える。筆跡は荒く、だが不思議とリズムがあり、偶然のように見えるその線は、どこか計算されたようでもある。
掠れたように滲んでいる部分と、意図的に塗り残された余白とが混在し、息をしているような余韻を残していた。
……朝比奈はそれについて、何も説明しない。
その絵の迫力に圧倒されながら、僕はこの絵を持つ意味を考える。
おそらく、これは昨日の本条と灯の共鳴を描いたものだろう。
ここまで美しい色を「視る」ことが出来る朝比奈を、素直に羨ましい、と思った。
「朝比奈には、こんな風に『視えて』いるんだな。まるで、真っ赤なルビーが朝焼けに照らされているみたいに、綺麗な『赤』色だな……」
そう呟くと、朝比奈は少し驚いた表情をした後、嬉しそうに微笑んだ。
「……そう、とても、美しいの」
朝比奈が話し始める。
「でも、その色は、私が『視ているだけ』では、絶対に生まれないものだった。
この部活で、間宮が、本条さんと霧島さんのことで一生懸命悩んで、考えて、動いて。
それに呼応するように、本条さんと霧島さんの二人も自分と向き合って、それをぶつけ合って。
そして生まれた『共鳴』なんだって思う」
僕は黙って、その先を目で促す。
「……私ね、本当はもう諦めていたの。この『チカラ』を憎んですらいた。
私には、未来の『共鳴』が視えたとしても、『人の気持ち』は見えない。
そんな私が何かしたところで、みんなにとって良くなるどころか、かえって悪い風にしかならなくて……、それなら、もう何もしない方がいいんじゃないかって」
初めて話した日、朝比奈が僕に、「私には『視る』ことしかできない」と言っていたことを思い出す。
多分、彼女はその「チカラ」をなんとか活用しようとして、でも空回って、失敗してしまった過去があるんだろう。
この能力の他者から理解を得ることの難しさを考えると、よほど上手く話を持っていかないと、そうなってしまうリスクがあることについては、僕も一番気をつけないといけないと思っていたことだった。
朝比奈が続ける。
「でもね、今は私を信じてくれる間宮がいて。それで、みんなで一緒に頑張ったら、私に視える景色は、こんなに綺麗な色に昇華されるんだって、気付けた」
「……私、間宮と一緒に居て、これからも、そんな色をもっともっと沢山見たい。そう、思ってる」
そう言うと、朝比奈は別の紙を僕に差し出す。決意はしたものの、迷いや不安の気持ちがあったのだろう、その文字は少し震えていた。
それは、朝比奈の過去の傷の深さを表しているようで、僕は胸が痛む。
でも、それを打ち消すように、はっきりとした字で、そこにはこう書いてった。
『入部願 アドバイザー部 2年C組
朝比奈るい』
「……ようこそ、アドバイザー部へ」
色々な気持ちを込めて、僕は朝比奈の目をしっかり見て話す。心からの言葉だった。
もちろん、朝比奈の能力は特殊で、その「チカラ」には文字通り、「価値」がある。僕が目指していることの、確かな助けになるだろう。
でも、そんなある種の「打算」よりも、人を避けて、人のために動くことを恐れていた朝比奈が、変わろうとしてくれていること自体が、ただただ純粋に嬉しかった。
「前に、『お前のことを信じる』って言ったことあったよな?
改めて言わせてくれ。俺は、これから先何があっても、お前のことを信じる。
……誓うよ」
少し、クサいかな、と思ったけれども、言わずにはいられなかった。
「それで、これから、沢山の綺麗な共鳴の色を一緒に見にいこう。
その景色は、俺には、朝比奈のようには見えないかもしれない。
でも、間違いなく、その先に俺が目指す世界があるはずなんだ。
その為に、俺はこれからも、頑張って、沢山考えて、動くよ。
……そんなわけで、これからもよろしくな、朝比奈」
僕は拳を彼女に向けて差し出す。朝比奈も素直にグータッチを返してくれる。
コツン、と小さな音が鳴る。
——それは、何かが静かに始まったことを告げる、合図のようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます